2015.06.24 Wednesday

彼の誕生日

今日は親友の50回目の誕生日。親友とは中3の11月頃友達になった。中学に入ってすぐ、同じ駅から通学していたので私は彼のことを知っていたし、彼も私のことを知っていたが、友達になったのは、中学生活もあと少しという冬の寒い日の夜、学校帰りの駅の電車を待っている時間のことだった。

初めて話した内容はたしか女の子のことだった。彼がそのとき好きだった女の子のことを話し始めたのがきっかけだったと思う。彼は学年の有名人で、生徒会長もしており、おまけに野球部で、野球部っていうのは学校でも一番デカい面をしているものだから、それがちょっとウザくてなんとなく今まで関わりがなかった。(学校で一番態度がデカいのは野球部、柔道部、ラグビー部だったろう)彼の話を聞きながら、へ〜コイツってこんな話せるヤツだったんだ、なんでコイツと今まで友達にならなかったのだろうと思った。若いときというのは仲良くなるのも早い。次の朝に駅で顔を合わせ、「おうっ」と声をかけあったときから、私達は友達になった。

卒業間近に「門出の集い」なる泊りの学校行事があった。卒業を控え、最後の思い出づくりのためのイベントだったのだと思う。色々楽しいことをしたのだが、その中で「人形劇」というのがあった。人形の作成からシナリオ作り、演技すべて自分達で行う即席発表会。たしか半日かそこら時間をかけていたと思う。即席のグループ割りで作られた同じ班の子らに、「これって、一人ひとりが演技して、それを練習する時間はちょっとないから、ナレーションも人形の声も全部一人でやったほうがいい」みたいなことを提案した。皆は誰がそんなことできるの?と問うてきたので、じゃあそれは俺がやるわ、と答え、シナリオ書きとナレーション役をすることになった(昔からそういう性格)。

皆が人形を作っている間、私は一人でシナリオを書いて、一人ナレーションの練習をした。分かりやすいのがいいということで、桃太郎を面白おかしくしたストーリーにすることにした。本番では大ウケで、他の班はというと、案の定時間が足りずにグダグダ気味だったものだから、私の班と私が、なんと「最優秀賞」「最優秀シナリオ賞」「最優秀演技賞」とあと一つか二つくらい賞を取ってしまった。「総ナメ」だったのである。中学生時分だとそんな器用な子もいないから、シナリオを書いたり、演技をしたりというのは私の力が一番発揮されるパターンではあったが、何分、私一人が目立ち過ぎた。当然これがオモシロくない奴もいて、けっこう大きなブーイングがとんだ。

そのときである。親友はそのブーイングをかき消すように「ええやんけ!ダントツで面白かったやんけ!そら総ナメやって!」と大きな声を上げた。彼は影響力のある生徒だったので、一気にそのブーイングをしぼませてしまった。ケチなブーイングを止めようとする真っ直ぐさも素敵だが、「そんなこと言うなや!」ではなく、「面白かったやんけ!」と言ってくれたのが何とも嬉しかった。こんな人形劇のことを覚えているのは絶対私だけだと思うが、それは私の人生の中の最も大切な「時」の一つだった。私の中で彼が「親友」となった瞬間だったからである。

中学の卒業式の日、生徒会長だった彼は「答辞」を読んだ。前のほうに座っていた私は彼の後ろ姿がよく見えた。巻紙に筆で書かれた答辞の文章までよく見えた。堅苦しいだけでなく、ユーモアも交え、素敵な答辞だったと思った。しかし、途中、彼の声がピタッと止まってしまった。何度も練習した朗読にはたまにあることだが、暗唱するくらい繰り返してしまったせいで原稿を見ずに読んでしまい、どこを読んでいるのか分からなくなったということがある。そうなったしまったのではないだろうかと思ったがそうではなかった。彼は涙をこらえていたのである。

いつまでも黙っているわけにもいかず、彼はあふれる涙を止めもせず、泣きながら答辞を読んだ。ほとんど声にならないような声で振り絞るように読んだ。彼の頭をよぎった中学生活の思い出が皆に伝播する。一気に体育館に鼻をすする音があちこちから聞こえてきた。ふと壇上の校長先生に目をやると、校長先生はあふれる涙を拭うことなく、直立不動で彼の答辞を受けておられた。彼の立派な答辞に、見事な姿勢で応えてらした。私は二人の姿があまりに感動的で息を飲むばかりで泣くことすらできなかった。

「見事な卒業式だった」と先生や父兄が仰っているのが式後あちこちから聞こえてきた。もちろんそれは彼の答辞の素晴らしさがそう言わせたのだと思う。彼は「スーパースター」だった。彼の友人であることが誇らしかった。

しかしその華やかな中学生活とは対照的に、高校生になって、詳しくは書かないが、私も彼もちょっとした「傷」を負ってしまっていて、それは今から思うと小さな「傷」だったかもしれないが、心の底がどんよりと重い高校時代を過ごした。それが学校の体制というのもあり、私達の不器用さもあったのだと思う。表面上はチャランポランでいいかげんに過ごしていたが、そのチャランポランの奥にそういう「傷」を隠していて、一人でいるときは人知れず、その「傷」にずっと耐えているような状態だった。彼が普段つきあっている連中と私のつきあっている連中があまり重なっていないこともあって、彼と私が仲がよいことを知らないヤツもいたと思う。それでも二人は親友だった。

私が塾講師をし始めて半年ほど経ったころ、この仕事は面白いと、彼に電話をかけ、説得し、同じ職場に引きずりこんだ。私なんかより彼の方がこの仕事に向いていると思ったのだ。今から思うと若さの勢いとしか言いようがない。実際、彼は素晴らしい先生だった。私が斬新なアイデアを出したり、「画期的」な方法を考えたがるのに対して、彼は石橋をコツコツ叩き続けるような指導を好んだ。細かく生徒のことを見、厳しく鍛え、泣きながら生徒に説教をし、生徒の学力を伸ばした。生徒達は皆彼のことを信頼し、愛した。私は傲慢な性格なので、彼が自分より腕のある、素晴らしい先生だとは言いたくないが、どう考えても勝っているとも思えない。

親友は親友であり、ライバルだった。私は彼に負けたくなかったし、彼も私に負けたくなかったろうと思う。何が勝つことで、何が負けることかは分からないが、とにかくそう思っていた。彼がいたからこそ、私は、私達は力をつけることができた。

勤めていた塾と自分達のやりたい教育とのズレを感じるようになり、私はその塾をやめ、SORAを作った。一年後、親友はDaichiという名前の塾を作った。空と大地である。いい年をして浪漫チックに過ぎた名前だが、新しい世界へ船出するときの高揚感の為せる技である。

彼の塾が開校したとき、私は、入塾説明会で喋らせろと押しかけ、彼がいかに素晴らしい先生かということを、説明会に参加された保護者の方々にまくし立てるように語った。まあそんなことをするまでもなく、彼の塾はあっという間に大人気となり、地域でDaichiの名を知らぬ人はいないというくらいの塾になった。

そんな彼が病いとなり、闘病生活に入り、仕事を休むことになった。中学から途切れずにつきあいのあった一番の親友がそんなことになり、その病名を聞き、なかなかそれを受け入れられずにいた。半年ほどして、彼は私の父の葬式に来てくれたが痩せてはいるものの顔色がいいと少しほっとした。安堵しながら、「お互いの父親の葬式に出ちまったな」という話をした。これなら何とかなるのではないかという希望の光が見えた気がした。

去年の春、彼は仕事に復帰した。後悔はしたくないので、と彼は言った。私はDaichiへ顔を出し、久しぶりに彼と顔を合わせて話をした。つまらない話をして笑いあった。「お前よお、老眼だからって眼鏡かけたまま上目使いでプリント読むのやめろよ。カッコ悪いよ、それ」と私。「そ、そうか。ほんならどうやって見たらええのよ」「いや、それはこうやって華麗に眼鏡を外してこう・・」「いやそれは気障すぎるやろ(笑)」そういうたわいもない話がとても嬉しかった。しかし、それが彼と顔を合わせて話をした最後だった。

「悪化した」それから数か月後、突然彼からかかってきた電話だった。しわがれた声。声帯をコントロールする神経がうまく使えなくなっているらしい。絞り出すような声だった。「俺の幸せの半分のお前のおかげやから」彼はそう言った。お前が引き込んでくれたから、嫁さんとも知り合えたし、自分の塾も持てた。だから俺の幸せの半分はお前のおかげ、みたいなことを絞り出すように私に伝えた。普通親友にそんな話はしないものだ。だからそれが何を前提に話をしているかを考えると何も言えなくなった。

闘病の末、昨年9月に彼は亡くなった。彼らしく律儀に、葬儀や何かで塾の授業を休みにする必要のない日程を選んだようなタイミングで息を引き取った。(最後まで気を遣いやがってバカヤロウ)奥様から彼の最後の数か月の話を聞かせていただいた。自分の姿を誰にも見せたくないと一切の見舞いを断り、彼は最後まで闘った。すべてが順風満帆、これからだというときに彼はこの世をさらなければならなかった。それはどれだけ悔しかったことだろうか。

私は自分の心を構成する何割かを失ってしまったような喪失感を今でも少し引きづっている。いい年してナンだと言われそうだがそうなのである。片肺飛行を続けながら、死んだヤツに負けずに頑張るというのはちょっとばかり大変だ。

思えば、彼が闘病生活に入ったときに、俺も何かチャレンジしなければ、と思い、高校生を指導することを思い立った。今から考えると、彼らに入れ込んだのはどこかに「祈り」のような思いもあったのだと思う。「俺も頑張るからお前も頑張れ」

Daichiは今、彼と共に塾を立ち上げた廣田先生が中心となり、彼の形見を大切に守っている。時は流れ、生きている者は失くした人を心に刻み、毎日を生きていく。

今日は彼が迎えることができなかった彼の50歳の誕生日。彼は空へと旅立ち、私はまだ少し大地に這いつくばりながら生きていく。毎年この日は彼のことを思い、祈り、心の中にある彼と語り合う日にしたい。



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2009.8.12 SORAとDaichiの合同夏期合宿にて 御杖村三季館



 
2013.08.30 Friday

泣かずにはいられない

 8月8日、14年間飼っていた愛犬のロビンが死んでしまった。

人間でいうなら90歳近くで、心臓も少し弱くなっていたし、耳もあまり聞こえなくなっていた。その上、てんかんの持病もあったので、仕方がないといえば仕方がないが、前日までとても元気だったので、私達家族のショックは大きかった。

ロビンが死んでいるのを見つけたのは息子だった。家内と一緒に帰宅したとき、居間で横になっているロビンが見えた。耳が遠くなっているロビンが、自分に気づいていないのだと思い、ちょっと驚かせてやろうと、ポンと体を叩いてみたら、ピクリとも動かなかったのだそうだ。生まれたときから一緒にいるロビンが死んでいるのを見つけたのは大層なショックだったことだろう。

家内から塾へ電話をくれて、ロビンが死んでると告げてくれた。電話の向こうで息子が声を上げて泣いているのが聞こえてくる。ちょうど授業が空いている時間だったので、私も急いで家に帰った。ロビンはいつも私がコンピューターを触っているときに座っている「いつものところ」で、いつもの寝姿で死んでいた。

ロビンは元々義母が飼っていたが、都合で飼えなくなり、生後一年のロビンを我が家で引き取ることになった。私は元々猫派なので、最初はちょっと渋ったが、それでも誰かが飼わないといけないので結局引き取ることになったのだった。

家に来た最初は私には懐かず、触らせてもくれなかったが、いつの間にか私を「主人」だと思ったのか、腹を見せてひっくり返るようになった。



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ロビンが我が家に来たとき、まだ息子は生まれておらず、私達夫婦は結婚して9年間子供がいなかった。それがロビンが家に来て、しばらくして息子を授かったものだから、私達夫婦はこの犬が息子を授けてくれたのだと本気でそう思っていた。ロビンが来てからの14年間は私の人生が大きく動いた日々で、よい時期も悪い時期もあり、SORAを作ったのも、この14年の間のことだ。私は人生で一番色んなことがあった14年間をロビンと過ごした。

ロビンは家の中で放し飼いで、ずっと一緒に暮らしていた。家族の誰かが、寝ずに一階にいると、必ず一緒にいて、先に寝室へ行くことはほとんどなかった。また誰かが風邪や何かで一人で寝室で寝込んでいると、その一人と必ず一緒にいてくれた。

「僕たちは同じ『群れ』にいるんだから、『群れ』は一緒にいないとダメなんだよ。なんで一人でいるの?しょうがないなあ、じゃあ僕が一緒にいるよ。」

きっとロビンはいつもそう考えていたのだろう。死ぬ前日、私がこのブログを書いていて、寝ずに起きていたときも、胡坐をかいてパソコンを打っている私のお尻のところに体を一部をちょっとだけくっつけて寝ていた。いつもそんなふうだった。

遅くまで起きていたせいで、翌日、ちょっと私は寝坊をして、あわてて支度をしたので、ロビンが死んだ日の朝の記憶がない。それがとても悔やまれる。

ああしていたら、ロビンを死なさずにすんだのではないか、こうしておけばよかったのではないかと、あの日以来、ずっと考えてしまうが、それをしてしまうとドンドン心が悪い方へ行ってしまうので、心がそちらへいかないようにするのが本当に大変だ。



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8月8日にロビンが死んで、翌日の9日が親父の四十九日、10日から中3の夏季合宿と、なかなか大変だった。8日は授業の空いている時間にペットを埋葬してくれる霊園を探して、ロビンを運んで10日にお葬式をしてもらった。私は合宿だったので、葬式には出ていない。

8日にロビンを霊園に運ぶとき、私のクルマと、家内のクルマと二台で行ったので、クルマの中で私は一人だった。車の中で私はずっと泣いていた。私は顔をくしゃくしゃにして泣いた。車の中では一人になれたから人目もはばかることもない。思う存分泣いた。大人だって泣くのだ。

先日死んだ実の親父と縁が薄く、私はとうとう彼とは家族になることはできなかったが、ロビンは私にとって家族だった。(ロビンは同じ『群れ』の一員だと思っていただろう。)私達は家族を失ったのだ。

「ロビンちゃん、にいちゃんはがんばるわあ。」

ロビンが来た頃、私は今より若くて、子供もいなかったから、ロビンに話しかけるときの私の一人称はずっと「にいちゃん」だった。息子ができても「お父さん」とか「パパ」とか言わないでずっと「にいちゃん」だった。

ロビンがいるときは、夜中にプリントやらチラシの原稿を作っているときには、ロビンに時折声をかけながら作っていた。動物は言葉がわからないから、何でも言えた。その習慣はなかなか抜けなくて、今も同じ口調で私はロビンに話しかけながら、色々やってる。

ロビンを失って気がついたが、私はロビンに語りかけながら、その言葉を自分に言い聞かせていることが多かった。信仰のある人が神仏に向かって言う言葉を私はロビンに向かって言っていたのかもしれない。



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この14年間、いつも君がいた。もう君はいないけれど、にいちゃんの心の中のいる君には話しかけられる。神仏を心に置くように、君を心に置いてこれからは頑張るよ。



2012.10.16 Tuesday

この夏、後悔したことについて

 ※先に言っておきますが、この文章、かなりの長文の上、情けない話が続きます。

8月のとある休みの日、奈良へ帰省していた小学校の同級生、H君と飲みに行った。西大寺近辺で飲んで、まあそれは楽しいお酒を飲み、帰りにもう一件行くほどでもなかったので、駅前のスターバックスに二人で入った。



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GR Digital 3 写真はイメージです。当日のものではありません。



私達は大テーブルの端っこに座った。私の斜め前にはスマホをいじっている若い女の子が座っていた。いまどきの女の子である。無表情でちょっと愛想のない感じの子だなと思った。

H君には一年ぶりに会う。前回会ったときは25年ぶりくらいの再会だった。だから今回の再会は、一年ぶりというより、25年ぶりの再会Part2という感じ。だから話のネタはつきない。昔一緒に遊んでいた頃のこと、25年の間にそれぞれが経験してきたこと。話し、聞き、感想を言い合う。旧友との再会は、自分の過ごしてきた時間の確認作業なのかもしれない。

しばらくして、一人のおばあさんがレジのところにいるのに気がついた。およそスターバックスの注文のシステムなどわからないであろう感じのおばあさんだ。(たいていのおばあさんはスターバックスのシステムなどわからないにちがいない)

案の定、おばあさんは、店のシステムなど分からなくて少しオロオロしている。私はこういう場面が苦手だ。かといって、店の人がいるのに、私がしゃしゃり出て助け舟を出すのもおかしい。私とH君は少し心配しながらそれを見ていた。

しかし、スターバックスの店員さんは優秀で親切だ。おばあさんの欲しいものを上手に聞き出し、それを用意し、お金を払ってもらい、商品の載ったトレイを持って、おばあさんを席まで案内した。

私もH君はホッとして、また25年ぶりの再会Part2の会話に戻る。おばあさんが案内された席は先ほどのスマホをずっといじっている女の子の横だった。

私のナナメ前に座ったおばあさんを、チラッと横目で見る。なんというか、30年くらい前にはよくいた、声の大きな昭和のおばあさんという感じで、あんまりチラチラ見るのも失礼なのだが、どこか見ずにはいられない、ちょっと個性的な方だった。私が二回目くらいにチラッと見たとき、おばあさんは、注文したドーナツやら、飲み物に手をつける前に、いきなり隣の女の子に話しかけだした。

ああいうお店というのは、一人の人は一人の楽しみ、連れと行った人は連れとの時間を楽しむようなお店だ。平日の午後9時前、働くサラリーマンやOLの方々が自分の時間を取り戻す、そんな場所である。そういう店で、スマホをずっといじっている、いまどきの女の子におばあさんは大きな声で話しかけたのだ。

「おじょうさんはこんなとこ、よう来はりますのんか!」

私は本当にこういう場面が苦手だ。心の中で「あああ」と叫んでしまったくらいだ。女の子はきっと不機嫌そうに「ええ、まあ」と答えて話しかけられるのを拒絶するような態度をするのだろう、おばあさんはそんな彼女の態度に気づきもせず、話しかけ続けて、女の子は無言で席を立ってしまうにちがいない、無表情でスマホをいじりつづけているこの子はきっとそんな子にちがいない、ああ〜、とグルグル考えてしまった。

しかし、女の子はスマホから目を離し、くるっとおばあさんの方を向いて、にこっと笑って言ったのだ。

「ええ、わりとよく来ます(^^)」

それまでが無表情で愛想のない感じだったので、私は ポカ───( ゚д゚ )───ン 状態。

一番のびっくりポイントは「くるっとおばあさんの方を向いて、にこっと笑って」というところだ。いきなり話しかけられた(おばあさんとはいえ)見知らぬ人に、この対応をズバッときめるこの子は只者ではない。(レジのところでのバタバタ状態も耳に入っていたはずだ)

驚いたものの、そんな対応をしてくれたのなら、ひと安心、と思ったが、そうは問屋がおろさなかった。おばあさんは、女の子の対応に気をよくしたのか、一気に話し出した。あろうことか、最近の若い子への文句から、人生論に至るまで延々と話し出した。(念のために言っておくが、盗み聞きをしたのではない。勝手に聞こえてきたのだ。)

しかし、女の子はずっと笑顔で話を聞いている。ただ単に相槌を打つだけでなく、おばあさんに「でも・・・は〜ですよね。」なんて返したりして、ちゃんと興味を持って聞く姿勢で会話をしている。しかも品のない感じではなく、上品な感じなのだ。

予想外の展開だ。「あの子凄くないか?」私はH君に言った。これに対するH君の言い分が面白かった。彼は「いやあ、あんな子、ウチの息子の嫁に欲しいわ」と言ったのである。そう言うのも納得がいくくらい、その女の子は良い感じでおばあさんと話をしているのである。

「凄いよ。あの子。あの子、ウチの塾のスタッフになってほしいくらい。」と私が呟くと、H君は「スカウトしろ!行け!」とそそのかす。

「この時間、時間を潰すようにして、スターバックスにいる。学生ならば夏休みのはず。でも、この子の格好はお出かけというより「仕事帰り」という感じだ。社会人か?いやアルバイトの帰りという可能性もある。」なんてことを私は考えていた。つまりは色々シナリオを練っていたということだ。

いったい、どれくらい時間、彼女はおばあさんの話を聞いていただろうか。少なくとも30分以上はつきあっていたと思う。その間中、彼女はおばあさんから上手に話を引き出したりなんかして、見事にコミュニケーションをとっていた。時間が来た彼女はおばあさんにそれを告げ(その告げ方も上手だった)、席を立って店を出ていった。

H君は彼女の後ろ姿と私を交互に見ながら、「おい、行かんのか?行けよ!」と言うのだが、私は躊躇してしまったのである。行けなかったのである。スターバックスで見初めた女の子を追いかける47歳の自分の俯瞰図を想像してしまったのだ。

考えてみてほしい。若い女の子が、スーツも着ていない、ちょっと酒臭いおっさんに声をかけられて、「私はこういうもので、塾をやっておりまして・・・」と言って、信頼してもらえるかどうか。まあムリだ。しかも私は「名刺」というものを持っていない人間なのである。それが男性だったなら絶対声をかけていたろう。正直、女性だったからできなかったのだ。変なヤツと思われたくない、スケベなおっさんと思われたくないと思ってしまったのである。もう自分の行動力の無さにがっかりである。

そのとき、私はみかみ先生のことが思い浮かんだ。みかみ先生ならば絶対声をかけたと思う。私にはできなかった。

これを読んで下さってる方の中には、そのおばあさんとのエピソードだけで、その女の子を雇ってしまってよいのか、大丈夫か?と思う方もおられるだろう。それは当然である。

しかし、その子のコミュニケーション能力と、おばあさんへの優しさは半端なかった。無理して愛想よくしているのではなく、心の底から優しい感じがしたのだ。それが別に「心の底から」のそれでなかったとしても、H君に「ウチの息子の嫁にほしい」と言わせるくらいなのだ。

学力に関しては、勉強すればよほどの怠け者でないかぎり、何とでもなる。しかし、あのおばあさんへの接し方は1,000人に一人のレベルなのだ。あの子ならば生徒の力になってあげられるよい先生にきっとなる。学力レベルが未知でも、10,000ポイント取れる長所があるのだ。とんがった何処にも負けない塾を作るのに当たり前の人材の発掘の仕方をしていてはいけないというのが私の持論だ。

SORAの今の体制を作っていくときに、私は「自分が好きな人としか仕事をしない」と決めた。だから、今SORAにいるスタッフは皆、私が好きな人間だけである。森川先生も、コーシ先生も、井上先生も、酒井先生も、阪東先生も皆私の弟子のつもりでいる。(嫌いな人間は弟子にできない。)もちろんアルバイトのスタッフまで全員そうだ。SORAには私が見込みがあると判断した人間しかいない。

ちなみに、どこの塾にもヘボな先生がいるものだが、それは人が足りないときに、妥協して雇ってしまった人であることが多い。いきなり先生が辞めたので、人を補充しなければならないとか、新規校舎を出すから急いで雇ったとか、そういうときに雇いたくなかった人が混じってしまうのだ。私が一番避けたいパターンである。

私は「ああコイツは素晴らしいな」と思った人間を集めていき、より強い集団を作りたいと思っているし、ずっとそう言ってきた。だから、自分の主義を貫くのであれば、駄目で元々、トライするべきであった。(スケベなおっさんと思われないよう、私の持てる全ての技術を注ぎ込んで会話をするべきであった。)

本当に自分の弱さにため息が出た。ああもったいないことをした。これがこの夏の最大の後悔のお話である。

この話にはさらに続きというか、オマケがあって、私とH君がスターバックスを出た後、私はH君に、ひさしぶりの西大寺だからちょいとそのへん歩こうや、といって5分ほどブラブラした。

優秀なH君は私の意図を察知して言った。「お前、ちょっと時間潰したら、駅でさっきの子に会えるんちゃうかとちょっと思ってるやろ?」

そのとおり、私はそう思っていたのである。彼女は店を出るとき、駅の方向には行かなかった。だから何かの用事を済ませてから、駅へ行くはず。ならば時間をずらして駅へ行けば、会える可能性がある、そう考えていた。

よくよく考えれば、西大寺駅にはいくつもホームがある。そんな都合よく会えるわけはない。しかし、もし会えたなら、そのときは・・・みたいなことを考えて自分の乗る電車のホームに行った。




( ゚д゚ )




そしたらなんと、階段を降りたところに彼女はいた。つくり話ではない。本当の話である。

しかし、情けないことに、私はここでも彼女に声をかけられなかった。まあ、スターバックスで声をかけられなかったのだから、駅のホームでかけられるわけがないと言えばそのとおりだ。神様に再びチャンスをいただいたというのに、私はそれをふいにした。KO負け×2。

旧友との再会は楽しかったが、気分はプチブルー。「未熟なり!」という内なる声が聞こえてきた夜だった。






2012.04.01 Sunday

『リアル』

世間にはセミナーや異業種交流会に積極的に参加して、多方面に「ご縁」を拡げるのに一所懸命な人がたくさんいる。

学ぶということはとても大切だし、確かに「人と会う」ことは本を100冊読むより、学びがあったりするのも事実。

しかし、そうした人の中には、新しいご縁を求めていく割には、今、一緒に働いている部下や上司、同僚との縁、もう既にそこにある縁を大切にしていないという人が少なくない。

自分の周りにいる人をないがしろにして、名のある人や、力のある人と縁を結びたがるのはとてもさもしい行為だと思う。

「さもしい」とはとても厳しい言い方だが、そういう人はまず「自分」ありきで、自分のネットワークを広げたり、自分の成長のことしか考えていない。

ゆえに「さもしい」と言っているのである。

イケてる未来の自分のことばかり考えていて、「今、ここ」をないがしろにしていると、腰が浮いてしまい、見てなければならないことが見えなくなる。

目標を高く持つことは大切だが、踏み出す一歩は小さく確実にすることが大切だ。

それはつまり「今、ここ」を大切にすることだと思う。



「リアル」(井上雄彦著)という漫画がある。(素晴らしい漫画だ)

作中、登場人物の一人、野宮朋美が引越し屋の吞み会でこの台詞を言う。


偉いね 目指すもんがあって…

俺は何を目指すのかすらまだ見つかってねーや

でもだからこそ 今を生きることにした

お前が今踏みにじっている今を



今、世間では、夢を追いかける人は素晴らしいということになっている。

夢を持ち、それを追いかけることは確かに素晴らしい。

しかし、夢を夢見て、今自分がいる場所を軽蔑したり、今ここにいる自分を認められないという人も山のようにいる。

でもそれはおかしい。

今、ここにいる自分、現実の自分を認め、大切にすることが人生の基本だと思う。(自分のいる場所、それは自分自身の一部である)

(私達は子供達に、夢を見ることの素晴らしさと同時に、今自分がいる「現実の世界」を大切にすることを教えなければならない。)

自分自身の「リアル」をないがしろにしている人が「自己啓発」や「ご縁結び」に精を出しても「リアル」にはけっしてなれない。

そんな人には上の野宮の台詞を言ってやりたいが、そういう人は大抵、自分は「リアル」を大切にしていると思っていたりするので本当にタチが悪い。





2009.11.20 Friday

ロカビリー先生の塾(礎義塾)を訪問(3)

ロカビリー先生が書いてくださっている私の授業に対する感想は私を本当に熱くしてくださった。力量ある先生は見るところが違う。

「授業を見る」というのは力量が要求される。「見る」という行為は「目」で行われるのではない。それは「脳」が行う。人は自分の脳に「あるもの」しか見ることができない。脳に情報がないと「あれども見えず」という状態になるのである。

若い連中が、「授業を見学させてください」なんていうものだから、見せてやって、授業後「どうだった?」と聞いてみると、「なんか、めっちゃわかりやすかったです!」などと言う。あるいは、すばらしい「発問」だとか授業の話をしていても、それの「ねらい」や「意図」を一から説明しないと分かってもらえない。こういうときは本当にがっかりするものだ。昔はそういうことがよくあった。私は授業を観る目で先生の力量というのはおおよそ測れるものだと思っている。

先生の書いてくださったブログの返信の意味も込めて、先生の文章を引用しながら、自分の授業を振り返りたい。(青字部引用)


さて、いよいよKamiesu先生の授業が始まった。猫ギター先生と俺は既に事務室に掛け、ガラス張りの間仕切り越しにKamiesu先生の姿を見ていた。授業開始数分後、猫ギター先生が俺の方を振り向いて仰られた。「これはすごい導入ですね。」俺も大きく頷きながら、まったく同感だと思った。驚いた。こんな関係代名詞の授業は見たことがないし、俺も結構これまで英語を教えた場数はある方だが、こんな授業はしたことがない。もっとも、こんな切り口に気づかないのだから、できるはずもない(笑)。第一、関係代名詞の授業なのに「関係代名詞」という用語が出てこないんだから。本当なら内容の詳細も書きたいが、Kamiesu先生の新しい試みを俺がここに書くのはちょっと控えたい。


今回の授業では、関係代名詞の節が形容詞節であることをしっかり理解させるために 「形容詞とは何か?」と確かめさせることから授業を始めた。

【板書】I bought a red hat yesterday.(He is a very good baseball player. の方が例文としてはよかったと思う。ここは少ししくじった)

【発問】形容詞はどれですか?(この発問は形容詞は何個ありますか?の方がよかった。そのほうがずっと考えさせる発問になったと思う。)

そして、さまざまな句が名詞を修飾していく例を示すために、the book on the desk や the book to read フレーズを訳させた。ロカビリー先生の生徒たちはとても優秀で、ためらうことなく、これらのフレーズを訳していった。


代わりに、先生の授業の様子を書かせていただく。先生は教室という場の空気を掴み、コントロール下におくスピードが速かった。テンポもよく、生徒をどんどん授業内容に引き込んでいく。15人いた中3に当てるとき、俺が事前に渡した座席表にほとんど目を落とすことなく、本人の方を真っ直ぐ向き、名前を呼ばれた。まさか・・・授業前の時間に生徒の名前を覚えていらっしゃったのか?後方座席の生徒を当てると、その生徒の側まで近づかれる。そして、その生徒が何か答えると肩を優しくポンと叩く。できない、できない、こんなこと(笑)。


「授業」に関しては塾の先生方にもいろいろな考え方がある。曰く、「塾は生徒の学力を伸ばしてナンボの世界、よい授業をしていても生徒の学力を伸ばせてなかったら意味がない。それよりも生徒に勉強させることの方が大事だ。」このような考え方の先生は実は少なくない。

しかし、それは私の考え方と大きく異なる。集団授業を行う教室というのは、生徒の力を引き上げる可能性を持った空間である。1対1での指導でやらせてもできないことが集団授業の教室ならできてしまうということがよくある。一人の生徒がこんなの無理、できないと思ったことを隣の生徒がやってしまうと、「そうか、できないということはないんだ」と気づくことができるのである。授業の場というのは個人の「できない」という思い込みを破壊し、可能性を引き伸ばすことのできる場所なのである。私はそのような「場」を最大限に活用したいのだ。


この授業の中で、私は口頭で言った文をリピートさせたり、言い換えさせたりと、けっこう生徒たちをイジメた。しかし生徒たちはしっかりとついてくる。皆いい目をしていた。普段のスタイルとちがう授業を初対面の先生が行っているのにもかかわらず、彼らは指示をよく聞き、大きな声で発音してくれた。ロカビリー先生の普段の指導のレベルの高さがひしひしと伝わってきた。

私は一時間の間に、一人の生徒を2〜3回は少なくとも指名した。ロカビリー先生がご指摘くださってるように、私はガラス越しの後ろから教室を見ていて、生徒たちの名前を頭に叩き込んでから授業に臨み、座席表を確認することなく生徒を指名した。座席表を見たのは確か2回だけだったと記憶している。ちなみに私は授業しながらけっこう教室を動く。先生が書かれているとおりである。私が後ろの席の生徒の方へ歩んでいっても、前の席の生徒が背中で私の気配をつかんでいるのがよく伝わってくる。本当にいい生徒達だった。

多くの人の授業を私は見てきた方だと思うが、生徒に言葉が届く話し方をする先生とそれが届かない先生というのがいる。どんなに理論的で、緻密な授業であっても、生徒が聞く気を起こすリズム、声量、テンポの話し方の授業と、そうではない話し方の授業がある。簡単に言うと、それは「つまんない話し方の授業」ということなのだが、そういう先生はそれを改善するべきだ。これを「聞く側」の問題にしてしまうことは論外で、あくまでも指導側が努力するべき点だと思う。

先生の声は決して大きな声ではなかった。デカイ声で聞かせる授業ではなかった。生徒全員の意識を束ね、次々と内容を変化させ、展開させながら、最終目標へ着実に誘う授業だった。話の内容も授業一本。雑談や小話のような「寝技」で生徒を惹き付けるのではなく、授業と言う立ち技で生徒を惹き付けている。最初はその変化と展開の速さについて行くのがやっとだった生徒たちも、先生のリピートの回転に誘導されるように、彼らの脳内の歯車が徐々に噛み合い回りだす。俺は指導する立場の人間なので、先生が段階をギアチェンジする音が聞こえた。俺は思わず猫ギター先生に「おお、だんだん本題に来てますね!」とボソッと言った。

私は授業中大きな声で話さない。しかし、学生時代、芝居を少しかじったせいか、届く声にはなっていると思う。雑談も私の授業では外せないが、雑談に頼らなければならないようなことではいけない。授業で生徒をひきつけ、授業で生徒達をできるようにしてあげたいと思っている。「考える力」も「集中力」も「指示を正確に受け取る力」も授業という場で大きく鍛えることができると私は思っている。

先生が仰る「ギアをチェンジする音が聞こえた」という箇所はおそらく私が「この子たちなら、斟酌なくガンガン進めてもついてこれるし、しっかり学べるだろう」と私が確信した瞬間のことを仰ってるのだろう。ロカビリー先生は私の授業のテンポの変化(というより「気」の変化)を察知してらっしゃった。

誤解のないように申し添えると、それはロカビリー先生の生徒達をなめていたとかそういうことではない。いつもと違う先生、いつもと違う授業スタイルをわずか1コマの授業の間で受け入れ、ついてくることは結構大変である。私も最初は目の前の生徒に合わせてよそ行きの授業をしようと思っていた。今教えている生徒の力量を量り、授業を調整するのも、先生の力量のひとつであろう。


【板書】
I met the boy yesteday.        私は昨日少年に会った。
the boy I met yesterday        私が昨日会った少年



英語の先生なら誰もが感じたことがあるだろうが、「私が昨日会った少年」を英語で書きなさいと指示を出すと、必ず「I met the boy yesterday.」と書いてしまう子がいる。この間違いは英語の学力の問題というより、むしろ日本語の力の問題で、「私が昨日会った少年」も「私は昨日少年に会った」という文も語順がちがっているだけという認識程度の子はけっこういるものである。だからこそ、指導する側としては非常にやっかいなのである。

そこで私は「私は昨日少年に会った」という文を「私が昨日会った少年」と日本語を「体言止め」に書き換える練習をはさみ、表現のちがいを認識しやすいようにしたのである。

たとえば、

「『私は昨日少年に会った』と『私が昨日会った少年』は表現が違うんだぞ。最初のは節になってるけど、後のはちがうだろ。しっかり見ろよ。」

と解説するのは間違ってはいない。わかったか?と聞けば、生徒は、はいわかりましたと言うだろう。けれど、そこがあいまいな子が、この説明を聞いて、「おお、なるほど片方は節じゃないな」とストンと落ちるだろうか。それだけの言葉で理解できるなら、そこまででも理解できているはずなのである。

そこをどうやって理解させるか。理解を深めるための「ほんのささやかな補助階段」こそが授業のキモなのであると私は思う。そんなことは常識だとか、分かっているとか、指導しているとか言う人は山ほどいるが、このような「補助階段」をきちんと授業の中に組み込めている人は少ない。

この授業をどう評価するかはお読みくださる方にお任せしたい。


【板書】
   英   文            和   文
(               )    彼は昨日サンドイッチを食べた。
(               ) (              )


上記のような板書で和文の体言止めの表現とそれぞれの英文を書く練習をさせた。何問か書かせた後は口頭でプラクティスさせた。

He read the book yesterday.

She lives in the house.

He ate something hot last night.

She takes care of the baby.

The boy is playing tennis.

She broke the window.

etc.

ロカビリー先生も仰って下さってるが、私は例文を出すスピードが速い。この日も言い淀むことなく、例文を出した。ロカビリー先生の生徒達はこれらの文をリピートし、日本語にし、関係代名詞を使った「体言止め」の形に変形し、それらを英作した。

上記の例文のところで気づかれた方もおられることだろうが、この形で関係代名詞(あるいは不定詞の形容詞的用法)を学んだ子は「なんでthe house she lives in なんて最後に in が入るんですか?」と聞く子は非常に少ないし、作文させてもinを落とす子が極めて少なくなる。(不定詞の場合だと後々意味上のVOだとか、SVだとか同格だとかの説明がしやすい)この日の授業ではinを落としたのはわずか一人だった。

生徒たちは私が発音した文を書き取らねばならないし、口頭で言い換えさせられるので、文を短期記憶しなければならないし、一瞬で組み替えなければならない。一回の授業に「読む・聞く・話す・書く」を全部盛り込める。英語の授業は本来そうあるべきだ。


ところで、俺の独断で「力量のある英語講師か否か」の判断材料がいくつかある。超基本的だが、たとえば、「発音がいいこと」。発音の悪い英語講師に習った生徒は耳(リスニング力)が例外なく悪くなる。先生の発音はとてもきれいだ。俺も発音はまあいい方だと思うが、Kamiesu先生の発音はものすごくいい。


自分で言うのも何だが、私はけっこう英語の発音がきれいな方だと思う。発音がいいのは英語教師の七難を隠す。以前勤めていた塾にカナダ人の先生がおられたが、近所のユニクロで声をかけたら、すごくギョッとされて振り返られた。その先生曰く、「近所にネイティブスピーカーの知り合いはいないはずなのに」と思ったとのことだった(笑)

先にも書いたように、私は、口頭で言った文を生徒にリピートさせる。これをやると、リスニングの力を伸ばし、脳の「ワーキング・メモリ」の容量をアップさせることができる。リスニングの力を伸ばすためには音声テープの問題を解かせる前にやっておかなかればならないことがあるのだ。


あと「例文が即興でスラスラ出てくること」。授業中の例文の連発は、生徒の理解を助けるのに重要な役割を果たす。いやあ、速かったなあ。例文が出てくるスピードが。


これはまったく同感だ。授業という「ライブ」の実力を左右する部分だと思う。


しかしね。驚いた。

キレのある授業だった。

静かに、奥の方に浸透するような授業だった。


自分が敬意を払い、尊敬している方に授業を評価していただくと嬉しいものである。しかし、ただ単に浮かれているだけではない。今回私はロカビリー先生の生徒達に授業をしながら、自分の指導で改善するべき点をいくつも見つけた。それは授業の範囲のこともそうであるが、塾作りという点でもいくつもの勉強をさせていただいた。また、自分の授業のよい点も再確認できた。

ロカビリー先生の生徒達はよい子ばかりだった。皆いい目をしていた。あのような生徒達を育み、鍛えているロカビリー先生はまちがいなく指導者として一流だと思う。私も負けずにあのような目をする生徒達を育てたいと心から思った。

ロカビリー先生のブログを読ませていただくと、先生はとても厳しい指導をされているようなので、もっと生徒達は大人しかったり、管理されているのかと思いきや、生徒達は屈託なく伸び伸びと過ごしていたし、愛想よく私や猫ギター先生に話しかけてくる生徒もいた。挨拶がきちんとできるし、礼儀も正しい。「生きる力」の基本となる部分がきちんとしている印象が強かった。

このような機会を与えてくださったロカビリー先生には心から感謝したい。

(つづく)












2009.11.17 Tuesday

ロカビリー先生の塾(礎義塾)を訪問(2)

「こちらです。」

猫ギター先生がきれいなビルを手で示される。

とうとうロカビリー先生の塾に到着した。先生の塾はとてもこざっぱりとしてきれいだった。とても空気が澄んでいる感じだった。誰でも、身体の感覚を大事にしているとわかるようになることだが、「場」には気が流れていて、よい気の場所と悪い気の場所がある。ロカビリー先生の塾はとてもいい気を放つ場所だった。

「こんにちは。はじめまして。」

初めてお会いするロカビリー先生は先生の塾と同じく透明な感じの美しい気を放っているような方だった。とてもキックボクシングのような激しい格闘技をやっておられる方のようにお見受けしない。ご自身の放つ気をみだりに外へ漏らすような方ではないということだ。

それからしばらく私たちはいろんな話をした。塾のこと、生徒のこと、広告のことなど、今まで想像していただけのロカビリー先生の実際の人となりを噛みしめながら話をした。ロカビリー先生と猫ギター先生と同じ場所で話ができている幸せを感じずにはいられなかった。

また、私はロカビリー塾のあれやこれやを学びとらせていただこうと、教室、生徒が提出したノート、掲示物、地域の定期試験の問題、はてはトイレまでどんどんのぞかせていただいた。こういうときの私は非常に意地汚い感じになる(笑)


「今日はどの学年の何の授業をさせていただいたらよろしいですか?」

しばらく話をした後で、私はいよいよロカビリー先生に切り出す。先生は猫ギター先生に中2の数学「証明」を、私には中3の英語「関係代名詞」の授業をするのはどうですかとご提案くださった。私は「はいわかりました」と答えた後、矢継ぎ早に生徒のここまでの学習内容を確認した。たった一回の授業が先生の指導の流れを壊すようなことがあってはいけないからだ。あと、先生に生徒たちの座席が決まっているならば、その座席表をくださいとお願いした。

分詞は学習済み、関係代名詞は主格と、教科書通りに目的格の関係代名詞が省略された形(接触節)までの学習が進んでいるとのこと。私はその場で授業の形を考えた。そして、ロカビリー先生がブログで書いておられるとおり、私はちょっと温めていた関係代名詞の授業をやってみることにした。

(つづく)

2009.11.16 Monday

ロカビリー先生の塾(礎義塾)を訪問(1)

先週、ロカビリー先生の塾、礎義塾を訪問させていただいた。

そのことについて、ロカビリー先生が書いてくださってる。

その

その

その

その

その

その


今回、ロカビリー先生の塾を訪問させていただくことになったきっかけは、猫ギター先生との電話での会話だった。猫ギター先生が何気なく、今度コカビリー先生の塾へ行くんですよとおっしゃったのだ。私は先生がそのセリフを言い終わるか、終わらないかのうちに「先生、それはずるいですよ!私もご一緒させてくださいよお!」と言ってしまった。猫ギター先生はロカビリー先生に確認をとってくださり、ご快諾くださったとの連絡がすぐに入った。

とうとうロカビリー先生に会える。私はロカビリー先生のファンだ。毎日、先生のブログの更新を楽しみにしている。「ヤンチャ塾長のブルース」というタイトルのブログであるから、先生は文章をちょっと悪ぶって書いておられるが、どう書いても、先生ご自身の品の良さと知性の高さがにじみ出る。そして優しい。そういうところがとてもかっこいい。だから先生のブログのファンはとても多い。SORAのスタッフも毎日読んでいるし、私の教え子たちの中にもファンは少なくない。そんなロカビリー先生に会えるのだ。わくわくしないはずがないのである。

私は猫ギター先生を通じて、ロカビリー先生に「授業をさせてください」というお願いをした。これもロカビリー先生はご快諾下さった。せっかく3人で会って、学び、高め合おうというのである。授業を見せ合うというのは大きな学びとなる。緊張もするが、そういう鍛えを入れてこそ成長できるというものである。

私はロカビリー先生に会うまで、授業をする学年や単元その他の情報を一切聞かないでおいた。授業をするのが、小学生であろうと、中3であろうと、単元が不定詞であろうと、関係代名詞であろうと、長文の解説であろうと、何でもやる覚悟だった。まさに「飛び込み授業」だ。これが一番先生の力量が丸裸になる。

そんな気合いの入れ方をして出かけて行った福岡。空港に着くと猫ギター先生がお迎えに来てくださった。出不精(デブ症でない)の私を気遣ってくださってのことである(笑)先生は福岡をしょっちゅう訪問されてるようで、昼食にと美味しいラーメン屋に連れて行ってくださった。(ロカビリー先生のブログに書かれているが、この日は結局晩もラーメンを食べたのでラーメン三昧の一日となった(笑))

いつもいつも思うが猫ギター先生は気配りの方だ。ウチの森川先生などは先生の気配りの細やかさにいつも感動している。先生と一緒にいると自分のガサツさにちょっと自己嫌悪するくらいだ。一流の人というのはこういう気配りができるものなのだ。

ラーメン屋を出て、ホテルのチェックインを早めに済ませたのはその日の晩が相当遅くなることが分かっていたからである。入室せずに料金だけを先に支払う。旅慣れた猫ギター先生から旅での段取りを教わっている感じになる。

ともあれこれでロカビリー先生とお会いする段取りが整った(笑)



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