生徒を育てるというなら、まずは先生を大切にし、育むべき


ネットのニュースでこんな記事を見つけた。

入社3年以内の離職率 ワースト1位は「教育・学習支援」
夕刊フジ 11月1日(木)16時56分配信
 わが子の就職を心配するお父さん、お母さん方にとって気になるデータが厚生労働省から初公表された。入社後3年以内に仕事を辞めた人の業種別割合の調査結果で、大卒では小中学校の教諭や塾講師など「教育、学習支援」が48・8%でワースト1位。「宿泊、飲食サービス」が48・5%で続いた。特定の職種でほぼ2人に1人が辞めてしまう現実は、再就職が困難を極めるデフレ不況下ではあまりにも厳しい。

入社後3年以内に離職する若者はここ数年減少傾向にあった。しかし、2009年の入社では高卒で35・7%、大卒で28・8%に上った。1位となった教育分野について、今年から小学校教諭になった男性が過酷な現状を語った。

「採用減で教師の高齢化が進み、若手の負担が極端に大きい。土日は部活動の引率などのせいで休みもほとんど取れない上、授業の計画など膨大な書類の処理に追われて日々の睡眠時間は2時間程度。正直、心が折れそうになる」

大卒の離職率が高かった業種はそのほか、ワースト3位が美容院やパチンコ店などの「生活関連サービス、娯楽」で45・0%。4位は「医療、福祉」の38・6%、5位は「不動産、物品賃貸」で38・5%だった。

離職率が低い業種としては、「鉱業、採石、砂利採取」の6・1%を筆頭に、7・4%の「電気・ガス・熱供給・水道業」、15・6%の「製造」が続いた。

十分な経験を積まずに辞めた場合、正社員としての再就職は難しい。ただでさえ仕事をみつけにくい不況下でもある。厚労省は今回の調査結果について、「少しでも長く勤め続けられるよう、就職活動の指標にしてほしい」としている。就職前の想像と現実とのギャップが大きくならないよう、しっかりとした事前の情報収集が必要だ。



なんと入社三年以内の離職率が一番高いのは「教育、学習支援」業なのだそうだ。

48.8%といえば、それは約5割ということだ。この業界は入社三年以内に二人に一人が辞めていることになる。数字から見た限りではとびっきりの「ブラックな業界」だ。まして、この数字は学校に就職した人も含めてであるから、塾業界だけで言えば、もっと離職率は高いかもしれない。

離職率が高いということは、よほど酷い人材しか入ってこないか、給与などの待遇が悪すぎるのか、あるいは労働環境が劣悪ということなのだ。担任の先生が日頃からイライラしていると、教室は荒む。先生が穏やかで知的だと、教室もそうなる。教師、講師の心の状態は驚くほど生徒達に反映されるものだ。

以前から私は、「よい塾を作ろうとするならば、働くスタッフの職場の環境を整えるところから行わなければならない」と、このブログで書き続けてきた。この主張は、読んでいてピンとこられない方もおられたかもしれないが、こういう数字を具体的に見ていただくとご理解いただけると思う。

先生がどんどん辞めていく塾、劣悪な環境でスタッフが働かされている塾、あるいは、よい人材が入ってこない塾が、じっくり腰を据えて生徒を指導し、伸ばすことなどできないのである。

生徒を大切にするのならば、その大切にするべき生徒と日々接している、先生を大切にし、育てていくなんて当たり前のことなのだ。




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夢を語るときは(2)

 


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可能性のある限り 決して あきらめるな

たとえ身は結ばずとも いつかは必ず糧になる



「夢」という言葉は、子供達の前に甘いお菓子のようにぶらさげてはいけない。

それは身を引きしめて語るべきだ。






ソレゾレノミツメルトコロ

 経済協力開発機構(OECD)の調査によると日本の学校の先生は先進国の中で勤務時間が長いということが明らかになったという。


日本の先生、働き過ぎ? 事務作業長く OECD調査

日本の先生は先進国の中で勤務時間が長いことが、経済協力開発機構(OECD)が13日に発表した調査結果から明らかになった。ただ、長いのは授業ではなく、事務作業の時間。負担が重い一方で給与は減る傾向にあり、教員の質を確保する手立てが課題になっている。

 調査によると、日本の小学校の先生の勤務時間は、2009年の時点で年間1899時間。データのある調査対象国21カ国の中で米国に次いで2番目に多かった。ただし授業に費やす時間は707時間で、OECD加盟国の平均を72時間下回っており、授業以外の事務作業などの時間が勤務時間数を押し上げていることがうかがえる。

 一方で給与をみると、05年の水準を100とした場合、平均は7ポイント上昇していたのに対し、日本は5ポイント下がっている。OECDの調査担当者は「日本は仕事の負担は重いが、報酬は恵まれていない。優秀な人材が集まり教員の質を上げるような対策が必要」と話す。

http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY201109130560.html


私はこの1899時間という学校の先生の勤務時間が長いのか短いのかは分からない。

しかし、塾の先生はもっと労働条件が過酷だろうとは思う。

年間の勤務時間は学校の先生の何百時間オーバーといったところだろうか。(もしかしたら1000時間オーバーという人もいるかもしれない)

過酷な労働環境で「生徒のために一所懸命」と言ったって、それには限界があるが、経営者の多くは現場の先生方の労働環境を改善せずに、現場を締め上げ、「生徒のために一所懸命」を要求する。

生徒が集まらなくなった塾は先生をリストラし、一人当たりの授業コマ数を増やすことで対応し、利益を確保せざるを得なくなる。

ただでさえ忙しいところに、会議や報告書の作成、生徒募集のアイテム作りなど、仕事が山のようにある。

(生徒が集まらなくなった塾はほぼ例外なく会議や報告書提出が増える。経営側は生徒が減ったのは先生のいいかげんな仕事が原因だと思っていて、先生達の仕事を監視したくなるのだろう。)

塾の先生を訪問したときに、先生がくたびれ果てているのを目にしたという方は多いだろう。

「ああ、先生方は子供達のために一所懸命やってくださってるのだわ」と好意的に受け止めてくださることが多いが、実は、連続会議と報告書作成、ポスター作りでヘロヘロになっていたということも少なくないのである。

塾の先生が授業時間以外で生徒のために使っている時間は思ったほど多くない。

大手塾では、よくて3割くらいで、下手をすると1割程度というところもあるのではないか。(組織が大きくなるとよけいな仕事が増えるのは宿命みたいなものだ。)

多くの塾の先生がその忙しさゆえ、パフォーマンスをかなり落とさざるを得ない状況で仕事をしている。

それでは生徒達のためによいことはできない。


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Nikon D700 SIGMA 50mm/f1.4 EX DG HSM



SORAはスタッフの先生達が生徒のために存分に時間を使うことができる塾だ。

そういう体制でなければ、自分で塾を作る意味はないとさえ思っていたくらい、このことにはこだわっている。

ウチの先生達は、勤務時間中は、生徒用のプリントを作成していたり、授業の準備をしていたり、生徒について情報交換をしていたり、勉強していたり、本を読んでいたりする。(和気あいあいと雑談をしていることももちろんある。)

やりたいことがなかなかできず、忸怩たる思いをしている先生方には夢のような仕事環境だと思う。

私達の方向性は「コストの無駄を徹底的に省いてお安い授業料を実現しました」ではない。

「時間の無駄を徹底的に省いて生徒のために使える時間を多くすることを実現しました」である。

生徒達のためによいことができるというのは言うまでもなく大切なことであるが、そこで働く人達にとってよい環境を作るということも同じくらい大切なことだ。

生徒によいことをするために先生を不幸にしているようでは、その「よいこと」は長続きしないにきまっているのである。


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「音」は大切

この間の杉山先生の結婚披露宴の写真。

スピーチをしながら、歌の準備をしているところ。

よく見ると、シールドをギターに差し込もうとしているところだ。


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森川先生撮影。


持っているのはOvationというメーカーのギター。

80年代、アーティスト達はこぞってOvationのギターをライブで使用していた。


それは、このギターが写真のように、シールドを差して、アンプにつないで音を出せるギターで、大会場でもハウりにくいという特性があったからだと思う。

(あと、弾いたときの音のレスポンスがよいので、速弾きをするミュージシャンは好んで使った。)

当時のギター少年は皆Ovationに憧れたものだ。

ハウリングを起こさないようにするには、響かないギターでなければならない。

だから正直このギター、ポロンと弾いた「生音」はよくないのであるが、この日アンプにつないだら、思った以上にいい音で、弾いている本人が驚いた。

歌も演奏もヘタだったが、いい音は出せたと思う。

私は結婚式などで歌を歌うときには、大層なことであるけれど、機材をフルセットで持っていくことにしている。

アンプまで自前で持っていってしまう。

会場によっては音響がよくないこともある。

それは当日行くまでわからないし、スタッフの方にセッティングを任せると、思わぬ音になることがあるので、全部こちらでやりたいのだ。

凄い荷物になるので、毎回毎回、大変で、挫けそうになる(笑)

それでも、きれいに響く「よい音」はそれだけでエネルギーのあるものだと思っているのでやめられない。(お祝いに贈る「音」であるし。)

ヘタだからこそ、よい音を鳴らしたいと思うのである。



授業においても、「音」というものは、大切な要素だ。

授業の上手い先生は声がいい。

みかみ先生の声なんか、相当魅力的だ。

映像などで、みかみ先生の声を聞いたことがあるという方もおられるだろうが、生の先生の声はあれの10倍以上いい。

声のハギレもいいので、どんなに早口で話されてもきちんと聞こえるところも凄い。


この杉山先生の披露宴で、新婦側の主賓のご住職様が、スピーチのときに、「このマイクは少し音が割れますな、後ろの方、私の声が届くようでしたら、マイクなしでお話しさせていただきたい」と仰った。

音にこだわる私でさえ、気になるほどでもなかったのだが、御年87歳のご住職はマイクを通した音を嫌って、肉声でスピーチをされたのである。

お坊さんはお経を読むし、説教もされるので、声の力、音の力の大切さをご存知なのだ。

私のこだわりは間違いではなかったと、ご住職に強い力をいただいたような気持ちになった。





お金持ちを嫌う人はお金持ちになれないそうな。

自己啓発の本や、いわゆる「成功本」で読んだ記憶で書くが、「お金持ちを嫌う人はお金持ちになれない」という。

「お金持ち」を憎むと、自分自身がそうはならないように、無意識のうちに、自身の行動に制限をかけてしまうからだ。

また、女性が変な男性にひっかかることのないようにするには、自分がつきあいたいタイプの男性の条件を箇条書きにして紙に書いて貼っておくとよいなどという。

これも原理は同じなのだろうが、紙に書かれた条件を無意識のうちに意識するようになるので、条件に引っかからない男性と縁ができる可能性を下げられるらしい。(なんとなく、で男性を選ばないようにするということか)

日頃の生徒の様子を見ていても、これは頷ける部分が大いにある。

勉強ができる人を馬鹿にしたり、「努力」というものを軽んじたり、馬鹿にしたりする人はなかなか勉強ができるようにはならないからだ。

まじめにコツコツと勉強をしている人を馬鹿にしていると、いざ自分が何かを為そうとして、努力しようとしても、それは「普段自分が馬鹿にしている行為」をしようとしていることになる。

だからなかなか動けないのである。

また、「今度は400点目指して頑張ってみろよ」と声をかけて、首をブンブンふって、「そんなん無理っ!」という子は残念ながら、400点は取れない。

宿題ができていなくて、「やったけれどノートを忘れてきました」と安易に誤魔化したり、あるいは解答を写してズルをする子も悲しいほど学力は伸びない。

いざというときに安易に逃げることの味をしめると、なかなか真正面からの努力はできなくなってしまう。

自分の普段の行為や言葉というのは、思っている以上に自分自身を縛る。

それは大人も子供も変わらない。

普段の行動から自分自身を「真っ当」に、そして「素直」にしておかないとなかなか向上はできないものである。

自己を向上させる第一歩は普段から正しく生きる心がけをすることである。

生徒に向けて書きながら、自分自身にも言い聞かせながら書いている。

アントニオ猪木

女性や若い子にはきっと分かってもらえないだろうが、私達の世代にとって「アントニオ猪木」という人は特別だ。

心密かにアントニオ猪木を心の師としている40代は実は少なくない。

猪木がそんな立派な人間かよ、などと批判されたとしても、そんなことは先刻承知。

そういう人は、そのうさんくささまでも呑み込んで、猪木を師と思っているのである。

猪木のモノマネをするだけで食っている芸人さんが何人もいるということだけでも、アントニオ猪木という人の凄さが分かろうというものだ。




そんなアントニオ猪木が映画に出て、しかも主演らしい。

しかも元プロレスラーの役ということらしい。

よくあるストーリーのような気もするが、それをアントニオ猪木が演じるというなら話は別だ。







監督と脚本が辻仁成ということらしいが、彼はきっと、我々の時代における「アントニオ猪木」を分かっているはずだ。

私は辻仁成があまり好きではないが、そこに賭けたい。

素晴らしい映画であることを期待して観に行こう。







「方針がない」というのは「間違った方針」よりもタチが悪い

私は「方針がない」というのは、「間違った方針」よりも悪いと思っている。

方針のない人は目の前に起こった事象に右往左往し、「その場しのぎ」のことをやってしまいがちである。

だからこそ、塾にしても、学校にしても、子どもを指導する軸となる「方針」は持っておくというのは当然のことである。

いや、教育の話がしたかったのではない。

これのことを言いたかったのである。


http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY200912080335_01.html

2009年12月8日21時9分
菅VS.亀井「しこり残りません」 8日の鳩山首相

 【過去最大の借金】

 ――今年度の税収が37兆円を下回り、国債発行額が過去最大の53兆円に達する見通し。来年度の新規国債発行額を44兆円以内に抑える考えに変わりはないか。

 「これはあの、リーマンショックからきていますからね。それまで私ども野党時代を通じて、経済対策をもっと早く打てば良かったのにな、という思いがあります。

それだけに、ここまで深刻になってしまったことは、残念なことではありますけども、しかし経済をある意味では、しっかりと立て直していかなければならんということで、補正を組んだ前政権の考え方も分からんわけではない。

どこまで有効であるか、ということで我々は事業仕分けのような、凍結のことも行いました。しかし、結果として税収も大きく減ったわけですから、結果として、国債をこうせざるを得なかったということは、国民の皆さんも理解をして頂けるのではないかと、そう思います。

しかし、財政規律はそれなりに、一方で経済、一方で財政、これはともに国民の皆さんの命を守るために必要な議論でね、そのバランスの問題だと思います。

これ以上深刻にならないようにしなきゃいかんというために、経済的な手だてを打つと。一方で打ちすぎると財政がおかしくなる、ということですから、そのバランスの中で私は44兆円、来年度に関してはそれに向けて努力しようじゃないか、ということで申し合わせたわけです。

いまはその努力に向けてですね、一人ひとりが頑張って、閣僚の皆さんがね、その中で予算を組もうとしている状況ですから、まずは私はこの44兆円に手足を縛られて、それによって人の命の方が失われるという話になってはいけないことも事実でありますけども、努力としてはこれからも続けていこうと、思っております。


村山富市が首相のときに阪神大震災が起こり、自身のイデオロギーに縛られ、自衛隊の出動を遅らし、批判され、「なにぶん初めてのことなので…」と言い出したときには頭がグラグラするくらい腹が立ったものだが、この鳩山首相の発言はあのときの怒りに負けぬくらいの感情が湧いてくる。

経済対策はスピードが命なのに、麻生政権が進めようとしていた経済対策を審議拒否して遅らせに遅らせ、政権を取ったら取ったで、補正予算を凍結させてしまった。

で、結局、モタモタと補正予算を組み直すことになった。

そういうことをやってきた張本人がこう言っているのである。

ちなみに現政権が組み直そうとしている補正予算、その額7兆2000億円。

麻生内閣が組み、一旦成立したものの、現政権に凍結された補正予算は14兆円。

私は知識もなにもないが、この予算ではどうにもならないということだけはわかる。

方針のない人間が、やいのやいの言われて組み立てたものなんていうのは、腰が入っていなくて役にたたないことがほとんどであるからだ。

自分の国の総理大臣を「他山の石」に学ぶというのも悲しい話だとは思うが、しっかり学び、しっかり思考し、骨太の方針を持った人間でありたいと思う。