あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年中は私のブログをご愛読くださいまして、誠にありがとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。





R3001022
GR Digital3


R3001019
GR Digital3



R3001020
GR Digital3



R3001021
GR Digital3



一つだけ惜しいと思っていることがある

SORAの職員室にすぎやま先生がいなくなって2ヶ月が経つ。

私も森川先生もすぎやま先生がいないことの喪失感がとても大きくて4月は本当に何かしっくりこなかった。

今、すぎやま先生は宮崎でたった一人で九州みかみ塾を切り盛りしている。

彼は京都大学法学部という学歴信奉者からすると垂涎の肩書きを持ちながら、某超有名商社の内定をあっさり蹴って、知らない土地でたった一人で塾を始めている。

こんなことは並の22歳に出来ることではないし、普通はそんなことはしない。

彼は並外れた凄いヤツなのである。

学歴などは彼の「凄いところ」の10番目くらいのものだ。

性格、行動力、頭の良さ、情熱、どれも飛び抜けている。

例えば行動力。

彼は自分の塾の区域にある中学校がどんな学校か、そしてどんな生徒が通っているのかを知りたくて、朝一番で立ってみたという。

一見ささやかなことのようだが、全国津々浦々の大手塾の新卒専任講師でそんなことをした人物がどれだけいるだろうか。

あるいは新たに塾を立ち上げようとした塾講師でそんなことをした人間がどれだけいるのか。

このことだけでもすぎやま先生の凄さの一旦が伺えると思う。

しかもすぎやま先生はこのとき朝から校門のところに立っておられた学校の先生に屈託なく声をかけ、この地で塾を開くのだと説明し、挨拶までしたという。

そしたら、話が盛り上がって、その先生は色々教えてくれたのだそうだ。

しかも、先生と話をしているうちに、中学生達も集まり、あ、その塾なら知っている、チラシを見たと、話が盛り上がったという。

こんなところがすぎやま先生の一番凄いところだ。

彼は頭がよくて優秀で、行動力がある上に、「人に愛される」天性の何かを持っているのである。


どうだろう。


もしこれを大手塾の幹部の先生あたりが、あるいは優秀な人材が欲しいと思っておられる塾長先生がご覧になっていたなら、絶対に欲しい人材だと思うのではないだろうか。


もしすぎやま先生をSORAに置いておいて、SORAで働いてもらっていたら、私はきっと数年後には大層お金持ちになっていたと思う。

それくらいの人材だ。

そのすぎやま先生に大きく大きく羽ばたいてほしいので、みかみ先生の下で頑張ってもらうことにした。

お金持ちにはなれないが、友人が大きく成長してくれる方が私は嬉しい。








しかし、私はみかみ先生にすぎやま先生をお預けして、実は一つだけ惜しいと思っていることがある。

このことだけはずっとずっと残念だった。






私は自分の息子を彼に教えてもらいたかった。

それがおそらくは叶わないだろうことだけが残念でしょうがない。





この春、卒業した子で一人、11月の終わりに突然東大寺学園を受けたいと言い出した子がいた。

何せ東大寺学園である。

びっくりしたが、本人が受けたいというので、こちらも随分頑張った。

本人も頑張り、先生達も頑張ったが、残念ながら合格は叶わなかった。

後3ヶ月早く言い出してくれていれば何とかなった、私達はそう思った。

それくらい彼は頑張ったし、優秀な子だった。

それにしても何故急に東大寺学園を受けたいと言ったのか不思議に思っていたらあるとき、お母さんと話をする機会があって、真相をお母さんが教えてくださった。




「あの子が東大寺を受けたいと言ったのはすぎやま先生みたいになりたいからなんですよ。大学は京大に行きたいって言うんです。」






人と人との縁が人の人生を作っていく。

この子がすぎやま先生に教わることができたのはとても幸せなことだったのだと思う。






まだきっと宮崎のみかみ塾は生徒がそんなに多いことはないだろう。

ならば、今ならすぎやま先生が独占できるのだ。

しかも夢を追い、単身宮崎に乗り込んだ、ピチピチのすぎやま先生に教わることができるのだ。

彼の近くにいる中学生が羨ましい。

数年もすれば塾はきっと大盛況になるだろう。

今なら10倍お得という感じだ(笑)




そうだ、いつか突然宮崎に行って「おすぎ」を驚かせてやろう(笑)

驚いた後きっと彼は泣くにちがいない。

あの日の伊丹空港でもそうだったのだから。







あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます


昨日大晦日、年末の買出しの手伝いで塾の近くの業務スーパーにいると、昔の教え子とそのお母様に声をかけていただきました。本人はともかくもお母様にお会いするのは7年ぶりくらいです。目が合って声をかけていただいたのではなく、後ろから声をかけていただきました。わざわざ私を見つけ声をかけていただいたのです。こういうのはとても嬉しいものです。

お母様曰く、先生に英語を鍛えていただいたお陰で、今、英語の論文を読んだりするのに苦労がないとのこと。お母様が仰るということは、家で本人がそんな話をしてくれているのだと勝手に解釈し、嬉しくなりました。大学院へ行くことが決まったその子は、SORAの建物の大家さんのご親戚だったということも分かりました。人のすることはどこかで何かとつながるものです。

年末は何人もの教え子から連絡があり、それぞれの子が、それぞれのターニングポイントを迎えているタイミングで、そういうときに連絡をしてきてくれるというのは本当に嬉しいものです。嬉しい嬉しい嬉しいと何回書くねんとつっこまれそうですが、どんなに辛くてもこういうことがあるとエネルギーがチャージされ、頑張ろうという気持ちが湧いてくるものです。

生徒達のために頑張る。それが最終的に自分のエネルギーになって返ってくる。それがすぐのタイミングのこともあれば、何年も時を経て返ってくることもある。もちろんこれはこの仕事だけの特権ではないのでしょうが、この仕事をやっていてよかったと心から思います。

今、元旦勉強会で中3の生徒達が教室で勉強しています。結局自由参加のこの会でしたが、ほとんどの生徒が参加してくれました。今、合格目指して頑張っているこの子らともそういう関係が築けたら、それは幸せなことですし、そう思うと「未来」というのはまさに「今」が作っていくものなのだと思います。

本年もよろしくお願いいたします。



ありがとうございました

家のことをずっと放ったらかしにしていたので本日はずっと家のことをやっておりました。

この一年このブログを読んでくださった方、本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

(このあと大神神社に初詣に行き、元旦午前5:30からはSОRAの中3勉強会です。)

三年坂

ブログを書き始めてちょうど3年になる。今日は3周年記念である。一つのことを3年続けたことなどなかったので、これは私にしたら凄いことだ。

私はブログの冒頭に「自らの成長のために記す」と書いている。その気持ちは変わらない。読んでくださる方を思いながら書き、それは巡り巡って自分のためとなる。そう思って書いている。

独りよがりの教育論も、どうでもいい話も、親馬鹿の息子ネタも、これからも楽しみながら書いていきたい。そうだ。楽しみながら書いてきたからこそ、3年間も続けられたのである。


3歳だった息子は6歳になった。



3歳の息子(ブログを書いて二日目に載せた写真)



2963705107_51f17f55de
6歳の息子(こないだの運動会。ちょっとりりしい。)


子どもはあっという間に大きくなってしまう。息子は夏休みだけで身長が2センチも伸びてしまった。3年ブログを書いていても、遅々として成長の進まない私だが、息子に負けず成長していきたい。

清原の引退

ダイエーの王監督は清原選手に花束を渡すとき、「来世、生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう」と言ったのだと言う。王監督は本当に凄い人だ。「同じチームで」というところにいくつもの意味がある。

清原選手が過去巨人に入団できなかったということ、そして王監督がかつて同じチームでホームラン競争をしていたのが長島さんだったということを思えば、この言葉は短いけれど本当に凄い言葉なのだ。

一つ以前から思っていたことがある。清原選手の選手生命を大きく縮めてしまったのはアメリカでの「肉体改造」ではないか。

病気でお痩せになっているとはいえ、王監督と清原選手が並ぶと体の大きさが全然違う。改めて現役時代の王選手の映像もチェックしてみたが、上半身の大きさが全然違うのである。王選手の方がずっと華奢である。しかしそれは無駄のない体つきだと思うのだ。

素人ながらに思うが、ホームランを打つための筋力とは体の回転力を生み出す力ではないだろうか。それは「押す力」ではなく「引く力」だと思う。子どもの頃、王選手は握力などは全然強くなくて、その代わり背筋力だけは恐ろしく強いのだと本で読んだことがあるが、清原選手は不必要なところに筋肉をつけすぎたのではないだろうか。過度の器具を用いたトレーニングはどうなんだろうか。無駄なものがつきすぎるのではないか。だからゆえ、体のどこか(膝)に無理がきて痛めたのではないだろうか。

王は日本刀で素振りをし、巻き藁を切って「一本足打法」を完成させた。どうせ肉体改造をするなら、西洋の科学的トレーニングではなく、東洋の武道などの理論に基づくトレーニングをした方が長く選手を続けられたのではないか。

「まずいやり方で負荷をかけ続けるとよくない」それは教育においても同じことが言えると思っている。




イチローがバックスクリーンのビジョンに大写しになると、清原選手はそれに応えるかのように、イチローの打席に入るときの仕草をしてみせた。(実況をするアナウンサーがそれを見逃したは痛恨のミスだろう)いささかドラマくさいのは分かってはいるが泣きそうになった。



印象操作はされないよ

ブログを書くにあたって、自分で決めた「きまり」の中に、「政治ネタは書かない」というのが一応あったのだが、ちょっと書いてみる。

私は今の与党の政治を諸手をあげて支持するつもりはない。それは誤解のないように言っておかないといけない。しかし、今のマスコミの、あからさまに世論を民主党支持へ持って行こうとする印象操作しまくりの報道の仕方にはぞっとしてしまう。麻生総理の所信表明をノーカットで見てつくづくそう思った。







一文一文を短くして畳み掛けるようにして読むと迫力がある。いい演説だ。