全裸で考えた

最近の趣味は「風呂掃除」である。毎日せっせと風呂を磨いている。いつ風呂掃除をするのかというと、それは自分が風呂に入るときである。台所用のスポンジを使うのが具合がよくて、自分の体を洗ったあと、せっせとそのスポンジで風呂を磨いている。今では風呂に入るついでに風呂を掃除しているのか、風呂を洗うついでに風呂に入っているのかよく分からないというくらいのもんである。

 

毎日掃除していると風呂はたいていキレイなので磨くところがなくなってくる。そうすると今度はどこか汚れたところ、磨き損ねたところはないかと色々探し出す。蛇口の裏側とか、浴槽のヘリの溝だとか。汚れを見つけたときは嬉しくなってくる。「へっへっへ、見つけてやったぜ」とほくそ笑みながら磨くのである。もちろん私は全裸である。

 

毎日同じことをやっていると、工夫をしたり、改善をしたり、日々やっていることに漏れがないかを探す習性が人間にはある。毎日コツコツと勉強をしていれば、やり残したところはないか、もっと難しい問題もやってみようか、などと高いところを目指せるようになる。普段コツコツとやらずにテスト前に慌てて、という勉強ではその高みにはいつまでも登れない。

 

それが習性というならすべての人間はあっという間に成長してしまうが、そうは問屋が卸さない。人間はいくつもの相反する習性を内在させている。工夫、改善を目指す習性を持ちながら、一方で面倒臭いとか、物を考えたくないという習性も同時に持っている。どの習性が優位に立つかは、結局のところ、その人の「習慣」が決めているのだと私は思うのだ。「人は習慣の奴隷」である。逆に習慣を変えることによって自分自身を変えていくこともできる。工夫をしたり、改善をしたり、ち密に積み上げていくにはそれができる習慣をコツコツとつけていかなければならない。

 

自分自身を変えようとして新しい習慣を積み上げようとしても、「変化を嫌う」のも人間の習性で、なんやかんやと理由をつけて変化をしないようにしようとしてしまう。「こんなことやってて意味があるのかな」「こんなことをするならもっと他のことに時間を使った方が」と、一見もっともらしい理屈をつけてくる。心の奥のあなたの怠惰さがあなたに囁くときは何かの姿に化けて囁いてくる。ここのところでコロッとやられてしまう人が多い。

 

「続けることに意味がある」という言葉がある一方で、「無駄なことを続けてもまったく意味はない」ということもよく言われる。どっちが正しいということはない。どちらも正しい言葉なのだ。つまりは「無駄ではないことを正しく判断し続ける」しかない。それをどう判断し、見つけていくことができるかは非常に難しい。結局は、色んなことを真面目に考え、数多くの考えに触れてきたかどうかというところにかかっているのだろう。生徒諸君はいっぱい色んなことを考えてほしいと思うのだ。人は他人に騙されるよりも自分自身に騙されることの方がずっと多いのだから。

 

 

 

 

『戦いはスポーツだが勝つことは思想だ』

今日第一志望の大学に合格することができた。人生で一番嬉しい瞬間だった。

自分の番号を見て、本当に涙が出てきた。ボロボロ泣いた。合格してたら、よっしゃーと叫ぶつもりだったのに全然できなかった。声の出るような状態じゃなかった。この喜びの大きさは、一年半の苦しさと引き換えだ。kamiesu先生は「人は苦しみの中からしか学べない」と言ったが、それは本当だと思う。苦しかったからこそ学びは大きいし、手にしたものに対して心から嬉しいと思えるのやと思う。

部活を途中で辞めるという決心をしたときはしんどかった。自分はどう考えても部活と勉強の両立はでけへんし、部活をやっとったら、きっと第一志望の大学に合格できないだろうということは薄々気づいてた。でも、実際に辞めるという決断はなかなかできへんくて、一緒に頑張ってきた友達に「部活辞める」と伝えるときが一番つらかった。友達に「なんで?」と聞かれて、「大学受験頑張りたいから」と答えたとき、「俺達かって受験するっちゅうねん!」と言われた。半分はその通りと思ったけど、「俺はお前らみたいに頭よくないねん!」と叫びたかった。

第一志望の大学に合格するために部活やめたんやから。絶対に受からなあかん。そう思って必死にやった。落ちたり、志望を下げたりして、友達に負けたら、あいつらは部活の思い出と、受験の成功の両方を手に入れることになる。俺には両方無い。そんなんは絶対に避けたい。だから必死でやった。

遊びを全部削るのはよくないと思ってたから、人の半分にすることにした。みんなが10遊ぶなら、自分は5にしよう、そう思ってた。つきあいの悪いヤツみたいに思われるのは嫌やったから、文化祭の打ち上げとかにも出た。そういうのはめっちゃ気を使ったし、一人で遊んだり、ぼーっとしてる時間をできるだけ削るようにした。

何度もめげそうになりながら勉強してたが、kamiesu先生がイチローの話をしていて、それで興味を持って、『イチローの名言』を色々調べた。それはメチャメチャ自分の力になった。kamiesu先生もたまには良いこと言うが、イチローの言葉のキレにはかなわない。ただ先生がイチローの言葉を紹介してくれたのでそれには感謝してる。

『準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。』

という言葉はそのとおりやと思った。だから自分が言い訳できそうなできそうなものを自分の周りから全部排除した。携帯を持たないってわけにはいかなかったけど、LINEは削除してTwitterは勉強のことしか呟かないと決心した。

『「たのしんでやれ」とよく言われますが、ぼくにはその意味がわかりません。』

『少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。』

『プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。逃げられない。なら、いっそのこと(プレッシャーを)かけようと。』

イチローの言葉はしんどいときの助けになった。イチローのこれらの言葉がなかったら、俺は合格できなかったと思う。


部活もやって、遊んでもいる連中に、いくら勉強しても最初の8ヶ月ほどは正直負けてた。同じ部だったAに模試の成績聞かれるのは本当に辛かった。毎回必ず聞いてくるのは本当に根性悪いなコイツと思った。

でも、この8ヶ月経ったときの模試で成績がメチャメチャ伸びた。初めていつも模試の結果聞いてきたAが顔色変わってた。「ま〜そら、部活まで辞めて勉強してたもんな〜。俺も部活終わったら頑張るわ〜」と笑いながら言いやがった。でも初めて見返すことができた。(A,顔ひきつっとった(笑))

成績が上がるまではホンマにしんどかった。部屋で暴れてオカンにメチャ心配されたし、妹にも迷惑かけた。でもこの試験で結果出たときは「ホンマに結果って出るんや〜」と思って、そこからはさらに頑張ることができた。上がると信じることができたらしんどいのはたいしたことない。

みんなが受験勉強を真面目にやり出した頃、さらに勉強時間増やして頑張った。そうしないと人と差をつけることはできない。そこから順調にグングン伸びたわけじゃないけど、辛抱してやってたら伸びるって分かってたので、辛くはなかった。ただヘボいやり方だと伸びないので、先生のアドバイスや受験体験談などは読み込むようにしていた。

『何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では「次の打席が大事だ」と思っていました』

模試でいい成績が取れたときはイチローのこの言葉を思い出して、気を引き締めた。まあAにはAが部活引退してからも一回も負けへんかったけど。絶対に負けたくないと思って頑張れたというのもあるから、Aには、イチローの次くらいには感謝しないといけないかもしれへん(笑)

受験勉強の最後の頃は、周りから浮くとかそんなこと、気にしてられへんかったけど、そういうヤツは、俺だけでなく、クラスにもチョコチョコいたので、気にならなかったというのが正直なところ。でも、逆にそういうヤツがどれだけ頑張ってんねんやろということの方が気になって、「自分、文法、何で勉強してるん?」とか「一日何時間くらいしてるん?」とかさりげなく聞いたりしていた。(全然さりげなくではなかったと思うけど。)

『夢は近づくと目標に変わる。』

受験間際、大きなミスがない限り、半分は無理と思っていた大学に合格できる可能性が高くなってきたときにイチローのこの言葉は本当だと思った。ここで気を緩めたりして落ちたら馬鹿馬鹿しい。最後の最後まで気を緩めないのは本当に難しかった。伸びないのは辛くなくても、最後まで緊張感を保つのは本当にしんどかった。部活を辞めたときのことと、Aの顔と、夏に見学に行った大学の様子を思い出しながら頑張った。人生でこんなに頑張ったのは初めてだった。

たしかに大学に合格できたのはうれしかったけれど、受験勉強の間に学んだことも俺の財産。先生が「孤独を愛せ」と言ったことの意味は今ならわかる。「なかよしこよしは駄目だ」の意味も。言われた最初は全然わからんかったけど(笑)まあその分成長したということなんやと思う。

kamiesu先生が、受験のときに思ったことを綴っておけ、そしてどこかにそれをしまっとけというから、この受験で感じたことを書いてみた。自分では絶対にやらないけど(笑)紙に書いたら、絶対失くすので、スマホに書いてしまっておくことにした。10年経ったら読み返してみろと先生は言うので、とりあえず言われたとおりにしてみる。10年後これを書いたことを覚えているかどうかはわからんけど、ここに書いたことは自分の力にはなっていることを信じてはいる。


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上の文章は私が書いた。創作ではあるが、かつての教え子達の言葉や行動から紡いだ文章だ。こういう子は君達が気づかないだけで君達の周りに(多くはないだろうが)実際にいる。

ある詩人は「戦いはスポーツだが、勝つことは思想だ」と言った。私はこの子の様にしなさいというつもりはない。部活も頑張ればいいし、やりたいこともやればいい。けれど、君達が学力を伸ばして、大学受験に合格したいというなら、この子以上に勉強のことを考え、この子に負けない努力を、どこかでどうにかしてやらないと勝てませんよ、と言いたいのだ。


 

ファイト!

 カロリーメイトのCMがとてもいい。
普段、私は受験生と共に過ごしているから感情移入が半端ない(笑)

中島みゆきの「ファイト!」を若手の女優さんがカバーしている。「ファイト!」の歌詞が素晴らしいのは言うまでもないが、このカバーがびっくりするほどいい。最近の若い人の歌みたいに、変な発音で歌ったり、メロディラインを追いかけただけの感情のこもらない歌い方をしていたりもしていない。ソリッドで感情の伝わってくる、見事な歌唱だ。(感情は込めすぎてもいけない さすが女優)特に「戦う君の歌を〜」の「を〜」の部分の声が最高。(低いところが聞かせどころなのを分かっている)






戦う君の歌を 戦わない奴らが笑うだろう
冷たい水の中を 震えながら登ってゆけ

君達は勉強なんてカッコのいいものではないと思っているが、けっしてそんなことはない。
「一所懸命」はカッコイイ。
大人はそれを分かっているから、それができなかった日々のことを後悔しているから、若者にそれを期待するから、だからこそこんなCMを作るのだ。
いよいよ受験のラストスパートに入っていく。
心が苦しいことも、諦めそうになることも、きっとあるだろう。
でも、真正面を見据え(このCMの女優さんのように!)冷たい水の中を震えながら登って行ってほしいと思う。

ファイト!





『今、ここ』

 明日はセンター試験。

今まで積み上げてきたものをしっかりと出せるよう祈っています。

「いつも通り」を目指して頑張ってください。

いつもと違うリズムで、いつもより慎重になり過ぎたりすると、時間配分をしくじったりして、時間が足りなくなってしまったりすることが多いです。

「いつも通り、いつも通り」と念じてください。



また、過去問をやっていても、1教科くらいはいつも失敗したりするものです。

1教科の失敗を次に引きずらないよう、今できるベストのことをやっていきましょう。

過去や未来というものは存在しません。

未来を心配し、過去を引きずっている「自分」という存在がいるだけです。

「今、ここ」に集中しましょう。

それができる自分をイメージして明日を迎えましょう。

頑張ってきてください。

明日、京阪神私立高校受験

受かっても、落ちても、別に君は不幸になるわけではない。

だから肩の力を抜いて、リラックスして力を出しきるように。

一教科、二教科うまくいかなかったとしても、大丈夫。

最後まで全力投球すれば受かる。

頑張れよ。




花は必ず咲く

もう20年ほどこの仕事をしているが、今年の入試ほど神経を使った入試はなかった。

この不景気で公立志向が高まることは明らか。

実際、私立の募集状況を見たときはぞっとした。

今までの進路指導のデータやノウハウだけでは正確なボーダーを読み切ることはできない。

塾の先生の仕事は生徒達の学力を伸ばすことであるが、受験校を決定するための情報やデータも提供できなければならない。

学校の先生が懇談で呟いたこと、私立高校からの情報、そしてそこから私自身の経験則による推測も含めて、ボーダーラインを算出した。

特に、今年は奈良高校と畝傍高校のボーダーがほぼ変わらない、私はそう読んだ。

奈良高校が若干易化して、畝傍高校が難化する。

それを基に進路指導を行った。

しかしながら、そう簡単に物事は決まるものではない。

確実に合格できる学校を受験させれば、生徒全員を合格させることもできなくはないが、多くは高い目標を持って頑張ってきた子達である。

ボーダーぎりぎりで受験をする子も当然出てくる。

話し合いを重ね、それでもどうしても受験したいという子はいるものだ。

その子が受験することが決まったならば、合格させてあげることが私達に課された使命である。

今年は私立が易化することは明白だったので、いつもの年よりも公立受験にシフトした指導を早くから行った。

結果、最後の最後の彼らの伸びは素晴らしいものがあった。

私達はこの一年で、さらに指導を進化させることができたと思っている。

それくらい彼らの点数は上がっていった。

メンタルな部分にも気を配った。

「緊張」を乗り越えるには「緊張しないこと」を目指してはいけない。

「緊張」の中でもベストが尽くせるよう、場数を踏ませるのが一番だ。

受験前のラスト二日に連続して、本番と時間を合わせてテスト会を行った。

今、私達にやれることを考え、彼らが全力を尽くしているように私達も全力を尽くした。

結果、それでも、残念ながら、今日合格させてあげることが出来なかった子を出してしまった。

最後にぐんぐん点数を伸ばし、合格する可能性は高まっていった。

教えている私達もかなりの手ごたえを感じていた。

しかし、合格させてあげることができなかった。









合格できなかった子は能力が足りなかったのではない。

ほんの少し間に合わなかっただけだ。


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同じ木に生まれた桜の花も、同時に花を咲かせるわけじゃない。

花は、同じ場所で同じく育っていても、それぞれに咲く時期がある。

咲かないのではない。

花は必ず咲く。

辛い思いの後には、きっと大きな花を咲かせることができる。

それを信じて頑張ってほしい。


私達は君を今日合格させてあげることはできなかったけれど、辛い思いの後に大きな花を咲かせた人はいっぱいいるよと言ってあげることはできる。

なぜならそういう生徒達をたくさん見てきたからだ。

だから、涙を拭いた後には、「いま・ここ」を大切にして、花を咲かせる努力をまた続けてほしいと心から願っている。




半年前の君たち

夏合宿の写真。


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Nikon D700

僅かの時間も惜しんで勉強をしているじゃないか。


あと一カ月で高校入試の勉強も終わる。

終わってしまう。

「ラスト」の気持ちの持ち方はとても大切だ。

最後の最後でふっと息が上がって、緊張の糸が切れてしまう人がいる。

「合格」というのは「うまく勉強すること」だけでできるものじゃない。

最後まで走りぬける意思の強さが必要。

「知識」も「テクニック」も「気力」も最後の最後まで磨きぬこう。

君たちが目指しているのは「ゴール」ではなく、「通過点」なのだから。