2017.04.08 Saturday
2017.04.07につぶやいたこと
00:20
RT @kyt0122: 私は小学生から信頼されるために授業の安定感に重きを置いている。子どもに無駄なストレスや不安を与えない授業設計や話法を心がけている。
00:29
今年の畝傍高校入学式、新入生総代はSORAの生徒。ウチの生徒が総代を務めるのは2回目。
00:30
きっとビリで合格したのもウチの生徒。今年の畝傍高校の合格最低点はおそらく314点。
10:14
翻訳ソフトで出てきた訳から推測すると「こんな関係であることが私の最大の目標」くらいのコメントが。たしかにそうですね。
10:19
RT @ittokutomano: 教育界に根強い、理論と実践の対立や齟齬。「とにかく経験こそが大事、理論なんて役に立たない」という実践家と、「実践知など、一般化できない独りよがりなもの」という理論家。どちらかと言うと前者の方が多いけど、いつも本当に悲しくなる。
10:31
現場の教師は理論を学びそれを経験に照らし合わせて実践に落とし込むことが何よりも大切。なのに理論以前の言葉の定義やらの周辺をぐるぐる回っているだけの人や「そもそも〜という用語の定義をご存知ですか」なんていうズレた質問を投げっぱなしにしてしたり顔の人もいる。
10:31
RT @ittokutomano: 教育理論には2つの側面がある。1つは、様々な経験知を蓄積し、できるだけ誰もが使えるように一般化すること。だからこれが役に立たないはずはないのだけど、もし役に立たないと思われるなら、その理由は、ただ現場が「知らない」だけか、あるいは理論家が本当…
10:34
本当におっしゃる通りなのだがなぜそんなことになるかというと、きっと自己顕示欲や自己防衛の本能が働くからなのだと思う。
10:35
RT @ittokutomano: そしてこの理論は、学校現場だけをどれだけ見ていても出せるものではなくて、哲学を基盤に、歴史、政治、経済、行政など多角的な探究が必要になる。
10:41
哲学を基盤に、というのはきっとその通りなのだと思う。この方の言いたいこととはズレるかも知れないが、自分を見つめること無しに研究や修業をするのは誤った道を歩む可能性がある。「誤った」は言い過ぎか。「ズレた」くらいかな。
10:53
修業や研究というのは前へ進んでいく「意思」と「脚」だけでなく、道を間違えないために、「コンパス」を見るという作業が必要なのだろう。
11:01
私は「匙加減」とか「バランス」とかいうものを大切にするようにしているが、それらを大切にしようとすれば「計測器」である「自分」が歪んでいたらすべておかしくなってしまう。
15:16
私の呟きの中で最もリツイートやら「いいね」をされたツイート。それなりに意味のある言葉だということか。新大学生の方に読んでもらいたい。 https://t.co/T2ivUMXNVH
15:16
コメントをいただいた中にあった『「活動」に囚われ精神生活の鍛錬を行わない青年(学生)』というのはまるで今の多くの大学生を象徴するような言葉だなと思った。