あれこれ

 三者懇談のときに、保護者の方が家で採れた野菜をくださったので、家で料理して食べた。

スーパーで売っているような野菜と違い、曲がっていたり、ピカピカしているわけではないが、大地で豊かに育まれたのが伝わってくるようなしっかりとしたなすびときゅうりだった。

味が濃くてとても美味しかった。

消費者が望むものを作っていても、実際それが消費者のためになっていないことなど世の中には山ほどある。

作る側や売る側が「これこそがよいものだ」と信念を持って、作ったり、売ったりすることが大切になってきたのではないかと思う。


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GR DIGITAL4    自分で作りました。


何でもかんでも拾ってくるんじゃないと普段から言い聞かせているのに、息子が亀を拾ってきた。

家内は真面目なタチで、ぶつぶつ言いながらも毎日世話をしている。

なぜ家内が世話をしているかというと、ガサツな息子が世話をすると、うっかり世話をし忘れ、死なせてしまうようなことがあると嫌だからだろうと思う。

とても手間で面倒で無駄だが、けっこう息子の教育になっていると思う。

手間と面倒と無駄を省き、大人が「子供にとって大切だ」と判断したものだけを子供に与えると子供は成長する機会を大きく失う。

手間と面倒と無駄の中には大切なことが含まれているのだ。



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Nikon D700 + SIGMA50mm/f.1.4  カワイイ。


ある塾のトップの方が「大きくならないと(塾は)生き残れない」と仰っているのを報道で目にした。

私の考え方はまったく逆だ。

塾は小さくないと生き残れないと思っている。

ただ、企業というのは成長を止めてしまうと衰退する定めにある。(ここでいう「成長」は「大きさの変化」の意味)

大きくならないと死んでしまうが、大きくなると死んでしまう。

塾業界に限って言うと、こういう恐ろしい矛盾が存在すると思っている。

だから、生き続けるには「成長しなくても死なない形態の塾」を作るか、「成長はするが大きくはならない形態の塾」を目指さなければならない。

前者の形態はもう答えを出している人がいて、そういう塾は存在する。(答えを出してそうしているかどうかは別。分かってやっている人と無自覚でそうしている人がいる。)

ただし、この形態は構造上は死ににくいが、腐りやすいのが弱点なので、無自覚な人は間違いなく塾を腐らせてしまう。

後者はまだ答えを出している人がいないが、私は「答えらしきもの」を出しているつもりでいる。






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