人間はバカをやっていないとバカになる

 昨日チラシが入って、本日より夏期講習会の受講予約受付開始。

普段ブログで偉そうなことを書いてはいても、塾なんて生徒が来ないとどうにもならない.

だから予約受付初日というのは毎回ドキドキする。

桜井校はすでに中1〜中3の本科生がキャンセル待ちの状態で、今年も小6だけの講習会実施となっていたのだが、それも電話受付開始時間より1時間で定員。

八木校も、まだ期末試験も始まっていない時期というのに、ありがたいことに早いペースで電話が入っている。

ホッとひと安心、と言いたいところだが、先週末からチラシの入った日曜日にかけてバタバタとしまくっていたので、心配している暇もなかったというのが実のところだった。

金曜日は、小5と小6の保護者会があって、それだけでも準備やら何やらで忙しいのに、同時並行で高2生達の「泊まり勉強会」につきあっていた。

畝傍高校の子達が試験範囲が広すぎて半端ないので、泊まり込んで勉強したいと言いだしたのが事の発端だった。

畝傍高校は今年から、試験スケジュールが変わって、年間の試験の回数が減り、つまりは一回の試験範囲が広くなった。

試験勉強の最後の詰めを「合宿」でやってしまおうということらしい。

3階の部屋は宿泊の設備が整っている。

私は前からこの「泊り勉強会」をそそのかしていたくらいなので、二つ返事でOK。

「食事は俺が作ってやるから思う存分勉強しろ」

というわけで初の「泊まり勉強会」。

金曜日、彼女達は学校から急いで帰宅し、荷物を整えて塾へやってきた。

私は3時頃からその日の夕食のカレー作り。


DSC_1859.JPG
Nikon D800 AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR


カレーを作って、米を炊いておき、食事をするように生徒達に指示を出して、私はエプロンを外して保護者会。

一日の仕事が終わって、3階へ戻り、勉強の様子を見ながら、翌日の米を炊く準備(笑)

「泊まり勉強会」に参加したのは5名だったが、5名の食事の準備をするとなると、まあ一日中食事のことを考えることになる。

ビッグダディの大変さがよく分かった。(世の「お母さん」の大変さもよくわかった)

そういえばあの方、食事のことは大変マメにやっているように思える。

他のことはともかくも、食事だけはと、その一点に関してはいいかげんにしないと決めているようにちがいない。(あまりよく見ているわけではないけれど)

彼は「食事」というものが家族にとって大切なものだと直感的に悟っているのかもしれない。

それはたぶん間違っていない。



R4001600.JPG
Nikon D800 AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR


「お前たちは勉強してろ 俺は飯を作ってやるから」

頑張っている連中に「頑張れ」と言う必要はない。

黙って食い物でも用意してやればいい。

なんかもう凄い適当なことを言うけれど、そういうのも教育。

(考えれば、親はそうしてくれているのに、子供ってのはその有り難さを分かっていない。子供諸君は親に感謝するように。)

全然、合理的でも効率的でもないけれど、これもプリミティブな教育のあり方にちがいない。



DSC_1867.JPG
Nikon D800 AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR


DSC_1880.JPG
Nikon D800 AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR


ある子が「先生の食事の準備する音が心地よくてかえって集中できました」と言っていた。

一日の仕事が終わった先生が次々に3階へ様子を見に来て、声をかけたり、質問を聞いたり、はたまた夕食の残りのカレーを食っていったりする。

そしてちょいちょいと生徒達と他愛もない話をする。

支えてもらっている安心感、応援してもらっている充足感はそのまま勉強へのモチベーションになっていく。

たしかに、生徒達はこの二泊三日、物凄く勉強していた。

休憩時間の間のアイスクリームを食べているときでさえ、ブツブツ言って暗記物を繰っていたり、問題の出し合いをしていたりした。

片時も勉強のことを忘れない。

メシと風呂以外の時間はずっと勉強をしていた。


R4001599.JPG
GR Digital4


この子らを見た後で、中学生の勉強の様子を見ていると愕然としたくらいだ。(まあ当たり前だ。鍛えに鍛えたその先にこの子らはいるのだ。)

「なんか、全然勉強飽きなかったなあ。」

一人の子のその呟きは皆の共通のものだったろう。



塾なんてものは生徒が来ないとどうにもならない。

だから、いかにして生徒を増やすかということについて皆考える。

しかし、そのことに囚われすぎてしまうと、「無駄」を排し、世間受けすることばかりを考え、平べったくて、奥行きのない、とても「わかりやすいこと」ばかりをしてしまうようになる。

「わかりやすい」ということは、ある意味、単純でつまらなく、浅く、深みのないことであり、無難でエネルギーが低いということである。

それではいつのまにか自塾の教育が死んでしまう。

私が塾の広告によくある「洗練されたカリキュラム」だの「生徒を伸ばす指導システム(図解つき)」みたいなものが好きではないのは自戒の意味でもある。

「人間はバカをやっていないとバカになるんですよ」とはネットのどこかで見た言葉だが、なるほど卓見だ。

もちろん生徒にもたくさん来てはもらいたいが、何より自分達がバカにならないために、これからも心を柔軟にバカをやらねばと思う。






コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL