言わずにはいられない

 昨日、高2生のクラスで話をした。話の内容は有体に言えば、勉強時間がとれていないことに対する説教である。

彼らの勉強時間は、普通の高校生の2年生の夏休みとしては少ないわけではないが、本人達が行きたいと思っている大学のことを考えるならば、そんな勉強ではとても行けないくらいのことしかやっていない。そんなことは本人達も十分分かっていると思うのだが、「ほんの少し真面目にやること」で自分の心を落ち着けてしまっている。厳しいことを言うが、彼らの勉強は「精神安定剤」程度のものでしかない。

私はこの夏休みに彼らをうんと勉強させるために、春から色んなことを仕掛けた。全部それは夏への「前フリ」といってもいいくらいのものだった。その仕掛けが機能していないと言えばそうなのだが、やらずに泣くのは彼らだ。だから授業後、30分くらいかけて話をした。

厳しいことを言ったが、怒鳴ったりはしていない。もう高校生なのだからということも頭の隅にあったからかもしれない。高校生の理解力を期待して話をしたが、話し終わった時点で、私はこの一回の説教で話は終わらないなと覚悟した。

たぶん、まだ何も伝わってないし、彼らは変わらないと思う。おそらく今日からバリバリと勉強時間を増やし、頑張った子は一人か二人のものだろうと思う。これは断言できる。ほとんどの子は今日は昨日と変わらぬ一日を過ごしているはずである。

彼らの勉強に対する一番の障害は何か。それは彼らの「青春病」なのではあるまいかと思っている。ほとんどの子が部活をし、文化祭の練習をし、友達としゃべり、別れても、LINEや何かでいつまでもコンタクトを取り続ける。そんなことで日常を埋め尽くして、残った時間で勉強をしようというのだ。それで勉強が進むわけがない。彼らは自分達は時間がないと思っている。高校生なのだから、部活も文化祭の練習も、友達とのコミュニケーションの時間をたっぷり取るのも当然だと思っている。

今の高校生は「青春」を本当にエンジョイしていると思う。彼らの青春は「友達」と「仲間」なしに成り立たない。ネットや何かで、高校生が、景色のいいところで仲間と横一列に並び、一斉にジャンプした瞬間の写真をよく見る。一種の企画写真だ。(試しにネットで「皆でジャンプ」というワードで画像検索したら、けっこう出てきた。)お互いの誕生日に物凄く労力のかかりそうなメッセージボードを皆で作って渡したりしている。あれはきっと一種の「青春増幅装置」なのだ。彼らの行動のそこここに「私達は友達だよね、仲間だよね」を確かめる作業が入る。「私達、楽しいよね!充実してるよね!」それを味わうように、慈しむようにしている作業のようにも見える。

こういう言い分は、いかにも頭の固くなったオッサンの戯言だ。しかし青春から遠く離れたオッサンだからこそ、客観的に見えるということだってある。大体、高校生は「青春」なんて言葉は使わない。当たり前だ。青春の最大の悲劇は「自分が青春の真っただ中にいることの自覚のないこと」だからだ。自覚がないから「青春」の華やかなるものを増幅させ、味わい尽くそうとして、心地のよいところに沈殿したっきりということになったりもするのだ。

理で考えれば分かることだが、自己の成長を願い、憧れ、努力していくことだって、「青春」の「柱」のはずだ。しかし自覚のない彼らはその華やかなるものの方にしか流れていかない。そう考えると本当に根が深い。

今年春の大学入試の結果を見ると、大学受験の結果のよくない高校が多かったように思う。失礼な言い方だが、中途半端な進学校が軒並みよくなかったような印象がある。よくなかったところがあれば、よかったところがあってもよさそうなものだが、よくなかったところの方が多い印象だ。何故だろう。

別に何の分析をしたわけではないが、学校や塾が外からの圧力で無理やり勉強させるような「規格品」の指導が通じなかったのではないかと私は思っている。勝ったのは、密かに牙を研ぎ続けた、あちこちにいる「個人」だったのではないか。

成績を上げるということは、横にいる仲間を追い抜くということなのだから、皆と同じように時間を過ごしていたら、それは無理というものだ。どこかでズバッと切って、孤独になって勉強をしなければならない。皆遊んでいるのに何で私だけ・・・と思うこともあるだろう。部活が本当に大変で時間が取れないということもあろう。しかし、自分自身の全力は尽くしてほしい。一人だけ悩み、苦しい思いをすることは孤独な戦いである。しかし「孤独」や「葛藤」とは青春の大切な要素なのだ。青春は光と影がセットである。光は影であり、影は光なのだ。

昨日私に色々言われて、悔しい思いをした子もいるだろうが、厳しいことをあえて言うと、彼らの「悔しい」なんてまったく持続しないことを私は知っている。今日あたりは何もなかったようにケロッとしていた子も多いことだろう。正直、悔しいのは私の方だ。彼らの「悔しい度」より私の「悔しい度」の方が絶対に高い。話をしてから24時間以上経っているのに、私はずっと「悔しい」し、激おこぷんぷん丸だ。あんまり腹が立つので、今日は休みの日だというのに、しかも明後日は親父の四十九日で、その翌日から合宿だというのに、君達の教材を作るのに時間を費やし、こういう文章を書いてしまうくらいなのだ。教師の熱と生徒の熱の温度差があることほど悲しいものはない。

10日から中3の夏季合宿があって、それにはこの高2生も参加するのだが、二泊三日、ちょっと勉強時間を取ったことくらいで、勉強をやった気になってしまうのなら、何もいいことはない。このギリギリになって、彼の参加は無しにした方がいいのかと考えてしまうくらいのことだと私が思っていることを明日は彼らに率直に話してみよう。



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