存在価値が問われる夏

昨日遅くの日記で中3の「不定詞」のテストの出来の悪さを書き、彼らの勉強の足りなさとその姿勢の未熟さを嘆いた。

そういうことを書き連ねる指導者側も己の未熟さを世間様に大いに晒しているのであるが、生徒の未熟さは指導者の未熟さであり、私は自分自身の未熟さをあえて晒したつもりである。これはこの子らを必ずできるようにしてやるという私自身の不退転の決意の表明である。

おそらくこの中3は一筋縄ではいかないと思う。決して悪くはないが、よくもない。「飛躍」することが難しい中途半端な姿勢しか現段階では持ち合わせていない。こういうのが一番難しいともいえる。

過度のノルマで追うと、勉強に対する「覚悟」ができていないので、きっと手抜きが始まる。その量は慎重に決めていかねばならない。「自主性」には今のところとてもではないが任せられない。「どこの高校にも行けないぞ」などという著しく知性に欠けた「脅し」は言いたくはないが、そう言いたくなる子もいて、目眩がしそうになる。

今日、どういう姿勢(位)で構え、彼らの前に立つか。何を彼らに言うか。そして何をどう教えるか。この夏の道筋を示し、彼らが熱のこもった勉強をできるように精一杯のものを提示したいが、果たしてそれができるだろうか。

勉強は所詮本人のやる気次第である。とは言うものの、その「やる気」の種火を大きくする手助けができなければ、私の存在価値はない。自分自身の存在価値が問われる夏になりそうだ。



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