奈良高校のこと

どうやら奈良高校が今ある場所を離れ、移転をすることになりそうだ。建物の老朽化が進み、耐震その他の問題もあるということらしい。卒業生曰く、奈良高校の教室は授業中でもパラパラと上から何かが落ちてくるということなので、色々限界なのだろう。耐震補強工事その他ではどうにもならないレベルなのだろうと推測する。

 

校舎は地震がくればひとたまりもないレベルにちがいない。移転するにしろ、建て替えその他をするにせよ、この問題は何も策が打たれないまま時間が経ち過ぎたのは問題だった。私だけでなく、奈良県中の多くの人がそう思っているだろう。しかしそれは教育委員会や政治家の怠慢だけでそうなったかというと、問題の根はきっと深かったにちがいない。彼らだけを責められない。「あの場所にあってこその奈良高校」と反対をする人達も多かっただろう。ましてや名門校である。卒業生には政治家や様々な名士など、力のある人、声の大きい人もいて、大変だったのだと思う。思えば、高校の統廃合で消えるのはほとんどが歴史の短い学校だった。歴史のある学校はほとんど消えない。畝傍高校や郡山高校は他の学校と統合されたにもかかわらず、校名変更がほとんど為される中、名前すら変更されなかった。そういうことなのだ。

 

老朽化の問題だけでなく、奈良高校の前の道は狭く、たとえば火事があった場合、消防車が路上駐車があるだけで入っていけないかもしれないとか、仮に入れたとして、正門から奥の校舎まで消防車が入っていけるのかということも心配になる。昔からある建物は色々と現在の基準に合っていないことが多い。建て替えとなるとその間学校は使えないし、なにより費用が莫大になる。私は移転はやむなしだと思う。ノスタルジーや歴史のためだけにそのお金は出せない。現実問題そういうことだ。

 

12年前、自分の塾を作って初めての公立高校入試の日の朝、私は自分の塾の生徒の応援のため、奈良高校の前に立っていた。奈良高校の前の道は緩やかな坂になっており、受験生がやってくるのがよく見える。3月も半ば頃になると寒さもそう厳しくはない。私立入試のときほど寒さに我慢をすることもなく、坂を上ってくる生徒一人ひとりの顔を確かめ、自塾の生徒を探すことができる。やがて自分の塾の生徒を見つけ、力が発揮できますようにと願いながらその子に声をかけた。「しっかりね。頑張れ!」自塾の生徒に声をかけ、見送ったらお終い。塾講師はもう何もすることはできない。祈るばかりなのだが、その日の私にはしておきたいことがもう一つあった。それは開業前に勤めていた塾で教えていた子らを激励すること。

 

この1年前、私が勤めていた塾を辞めると言ったとき、その子らは中2だった。彼らはきっと受験まで私に教えてもらえると思っていただろう。「実は…」と語り始めたとき、教室のムードは一変した。ちょうど舞台が暗転して突然すべての照明が落ちたように。授業終了後、教室は凄いことになってしまった。声をあげて泣き出す子が何人もいて、次の授業など始められるような状態ではなかった。最後まで教えられないことを本当に申し訳ないと思いながらも、一方でそれくらい私のことを信頼し大切に思っていてくれた子がいるのだということは開業までの心細い自分自身を支えてくれた。この日のことは一生忘れない。自分の塾の名前をSORAとしたのは最後の授業で彼らが皆で歌ってくれた歌が「空も飛べるはず」だったからというのもあるくらいなのだ。そんな申し訳なさと感謝との入り混じった複雑な思いのある子らが次々と緩やかな坂を上ってくる。「あっ先生!」走り寄ってくる子もいた。飛び跳ねている子も。私は思いを込めながらも、控えめに頑張れよと声をかけた。控えめに声をかけたのはこの子らがそのときの私の生徒ではなく、彼らを懸命に指導した先生がいるからである。

 

その中にいたTさんという子は皆が私に久しぶりに会えてテンションが上がっている中、態度がやけに素っ気ないというか、心ここにあらずみたいな感じなのが物凄く気になった。あの日一番泣いたはずの子がそうだったのでとても気になった。ずっと気になっていたので本人に少し後になって話を聞いたら、ここで先生と話をしたら泣いてしまって試験が大変なことになりそうなので我慢していたという。その健気さに胸がじんわり温かくなった。この学年の子らとは今でも交流があって、離れに泊まりに来たり、彼らが大学生の頃はSORAの高校生にアドバイスをしに来てくれた。

 

受験生もほとんど校内に入り、他の塾の先生も引き上げていく。こちらも帰ろうと坂を下っていると、向こうから3人ほど不安げな顔をして全力疾走してくる生徒がいた。遅刻しそうになっている子だろうと思い、「大丈夫だよ。ちゃんと受験できるから」と声をかけようと思った。自塾の生徒でなくとも、そういう声をかけてあげるのは塾講師の務めだと思っている。しかし、よくその子らを見たら勤めていた塾で教えていた子だった!「うあああ」と声を上げそうになるのを抑えて、一緒に走りながら、至極冷静を装って、「だーいじょうぶ!ちょっと遅くなったけど、ちゃんと受けられる。試験時間まではまだまだあるぞ!ビビらない、焦らない!それにしてもお前ららしいぞ(笑)」とつくり笑顔で背中をたたき、緩やかな坂を上っていくのを見送った。

 

そのとき必死で走っていったHさんは無事合格し、その後大学受験の結果をSORAまで報告しにきてくれたときに、バイトしないかと誘った。そこから彼女は4年間SORAでバイトをし、ウチのかけがえのないスタッフになってくれた。大学卒業後は県庁へ就職し、そして昨年ウチのスタッフと結婚をした。

 

Tさんは合格の後に、空と雲のデザインのノートに毎日日記を綴りながら大学受験を突破した。空と雲のノートは私の塾がSORAだったから。ノートを開くと、自分を励ますために綴った日記の中に私の名前が出ていた。涙が出た。今は私の愛する『角ハイボール』には欠かせないウイスキーを作る会社で働いている。(最近は竹鶴ではなく、角瓶で作るハイボールが好き。)

 

 

私が奈良高校に行ったのはそういう入試シーズンのときだけのことで、10回行ったことがあるかないかくらいのものだが、そんな私にとっても大切な思い出がいくつもある。まして卒業生や地域の方にはさまざまな思いがあることだろう。移転はやむなしだと思うが納得できないという人達の気持ちもよく分かる。人は物語を生きている。自分の人生にとって大切なものがこの世から消えてしまうのはとても寂しいことだからだ。過ごした場所は人生の一部なのである。

 

 

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