それは極意の一つだと思います

猫ギター先生のこのブログのこの部分、

子供の成績を伸ばしている塾は、授業中生徒に演習させる時間が多い。説明は簡潔に短く、演習は長めに。手抜きのように思われるかもしれないが、授業中生徒に頭を働かせる時間を作るには、演習時間を長く取るのがベストだ。

これは一斉授業で生徒の学力を伸ばすのにとても重要なポイントだと思う。このブログで猫ギター先生の仰りたいことの芯の部分ではないのだろうが思わず引用してしまった。また、ロカビリー先生も以前同様にこのことを書いてらしたように記憶している。

どうやったら確実に生徒の学力を伸ばせるかということを考え抜いていくと、「授業中生徒に演習をさせる」というところに行き着く。しかしながら演習を多く取ると、手抜きと思われるのが嫌なのか、解説ばかりしている塾も少なくない。

一時期、私は「授業時間の中で生徒が考えている時間」というのがどれくらいあるかというのを考察し、測ったことがある。自分の授業も他人の授業も測ってみた。

一番酷い授業で「生徒が考える時間は25秒」という授業があった。先生がしゃべりまくっていて、ほとんどが、生徒は話を聞いているか、板書を写しているか、という状態であった。

唯一、生徒が考える時間を持てたのは、授業の中でその先生が「発問」し、生徒を指名して答えさせた間の「25秒」だけだったのである。

では私の授業はどうだったのかと、さすがに「25秒」ということはなかったが、ビデオで授業を撮って測ってみて、愕然としてしまうような結果であった。

「授業は考えながら聞きなさい。」なんていう先生もいる。しかし考えながら授業を聞かせることは、原則として生徒に要求することではなく、先生の工夫によってなされるべきだ。

コンパクトな導入の後にすぐさま「演習」があれば、生徒は自然と授業に集中する。導入をしっかり聞かないと「演習」のときに困るからだ。授業を考えながら聞かせるなら、「話術」や「説明」を上手くするだけではなく、そういう「仕組み」から構築しなければならない。

そしてその「仕組み」とは、生徒の学力を伸ばすという目的にのみ沿って構築されるべきで、つまりは「体裁」とか「こうあるべき」といった無意味な慣習などは排除しなければならない。手垢にまみれるということを忌むことからすべては始まるのである。






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