極意も極意

再び、猫ギター先生のブログから引用させていただく。軽い興奮状態。(『ノートとグラウンド』より)

演習の効果は、もう1つある。
演習時間が長ければ、「できる子」に退屈な時間を与えなくてすむのだ。

学校でも塾でも一方通行の授業を聞かされたら、「できる子」はたまったものではない。「できる子」にはどんどん演習してもらって、ノルマを達成したら、先の難しい問題をガンガン解いてもらえばいい。

「できる子」を退屈させれば、せっかくの才能が死ぬ。才能を殺したら教育機関ではない。「できる子」は簡単すぎる学校の授業に飽き飽きしている。だからこそ塾では刺激を与えたい。演習は「できる子」に自発的な勉強を覚えさせるきっかけにもなる。
「できる子」が「できない子」を待っている時間は、できる子に退屈どころか孤独を味わせてしまう。


教室内に存在する個々の生徒の学力差を埋め、各々の生徒の活動させ、学習効果を高めさせる「私の方法」の一番のポイントはまさにここの部分だ。生徒に「空白の時間」を作らせない「お膳立て」こそが全員を動かし、伸ばす極意中の極意だと私は思っている。

スポーツのコーチは、選手が身体を動かしている時間に、あれこれ声をかける。たとえばバッティングだったら「おい、グリップ下がってるぞ!」「軸足がぶれてる。もっと踏み込め!」と、選手の動きを追いながら注意を与えていく。

勉強の教え方も一方的な板書ではなく、演習時間をふんだんに取り入れ、スポーツのコーチみたいに、生徒の演習中のノートを見ながら適宜アドバイスを与えていく方法が望ましいのではないか。

スポーツの練習は身体を動かし、勉強の授業は頭を働かせる。勉強ではノートこそが、スポーツのグラウンドに相当する。


猫ギター先生、持った湯のみをバッタと落とし、小膝叩いて、にっこり笑った後、半泣きになってしまうくらい同意です。素晴らしい文章をありがとうございます。この文章は若手の塾講師の生涯賃金を跳ね上げるくらいの内容が詰まっている文章だと思います。






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