弾けないところをいつまでも弾かない

最近、短い時間でもいいから毎日ギターを弾くようにしている。学生の頃弾いていたバッハの曲をもう一回弾いてみようとちょっと思い立ったのだ。

学生のときに使っていたクラシックギターは糸巻きのところが壊れていて使えなかったが、香芝にあるギター修理工房に持っていって直してもらった。昔はギターを「調整する」という発想もなかったが、長年弾いているうちに知恵もついてきて、弦高を下げたりするなどの調整をして弾きやすくしてもらう。

修理から返ってきて、弾いてみるとあまりいい音が出ない。何と言っても久しぶりに弾くのだから、ギターも寝こけている。それでも小一時間弾いていると段々と鳴るようになってきた。ギターは弾いているといい音が出るようになるのである。

さて、久しぶりに弾くバッハは運指をすっかり忘れてしまっていて、一からやり直し。また、あの頃は手を付けなかった曲もちょっとやってみようと、2曲ほど取り掛かってみる。バロックの曲は低音と高音がそれぞれ別の旋律を持つのでギターでこれを弾くのはかなりやっかい。四苦八苦している。

ただ何度も弾いていると、ふと20年前の指運びを思い出すときがある。何も考えないで弾いていたときにそうなりやすい。何も考えないときは潜在意識にリンクしやすいのだろう。そういうときはとても嬉しくなる。20年前の自分に再会したような気分だ。

少し弾けるようになってくると、クラシックギターの音に酔える。やっぱりいい音だ。それで、難局のところはいつまで経っても手をつけないで、弾けるところばかり何度も弾いて自己満足に浸るのである。ちょっと難しいところを練習してみて上手くいかず、また気持ちよく弾けるところに戻る。そんなことのくりかえしだ。

思えば、生徒達の勉強もそうなのだろうなと思う。できるところを何度もやり、自分ができない、乗り越えなければならないところを最後の最後まで放ったらかし。そういうことは本当に多いにちがいない。できないことをできるようにするのは骨が折れる。誰だってやりたくない。

いかにわかりやすく教えてもらっても、身につけるのは自分である。自分自身が「体得」しないかぎりできるようにはならない。仮に私が今ギターの先生、それも超一流の先生についたとしてもバッハは弾けるようにはならない。

習い始めの「いろは」は先生に習ったほうがいい。そしてまた表現力その他を身につけるにも先生の指導を受けた方がいい。しかし先生にはどうにもできない、そこだけは自分で何とかしないといけないというところがある。それは楽器演奏でも、勉強でも変わりがない。

「勉強のやり方がわからない」という子のほとんどは、自分自身で身につけなければならない部分をスルッと上手くやり過ごせる「魔法」を探している。でもそんな魔法はない。王道とは極めて退屈な道である。そこを覚悟するかどうかでその子の伸び方は変わってくるのだ。
コメント

こんにちは。かねごんと申します。初めてコメントします。私もヒマな時などギターを教室で弾いているんですが、クラッシックではなくブルースをやっています。
バッハですか良いですね。生徒さんに聞かせたりしないんでしょうか。私などブログでブルースをやっていることをカミングアウトしてしまったがゆえに、ちょくちょく塾でリクエストされて、調子に乗ってミニライブなどをしてしまっています。しょうもないです。
本田先生のようにうまくはないですが、私も音楽大好き人間です。今後ともよろしくお願いいたします。

いつも読み逃げばかりですみません。
猛烈に同意いたします。

kamiesuさんの圧倒的な表現力を前にただほぉ〜っと溜め息ばかりついております。

ギターですか、とても楽しそうです。

  • ヒカリ
  • 2008/09/06 03:17