言葉を削り、「ねらい」を絞る

授業がわかりにくいと言われている先生のほとんどは言葉が多すぎる、つまりしゃべりすぎているところに問題があると思う。

多くはこの二つのタイプだ。

自分の説明が生徒達にわかりにくかったらどうしようと思い、言葉を詰め込んでしまう。(キャリアの浅い先生に多い)

思いつくままに説明するので言葉がぶれ、それを修正しつつ話すので、次から次へとセンテンスが挿入されてわかりにくくなる。(ベテランと自分が授業が上手いと思っている人に多い)


多くの人は、詳しく丁寧に教えれば、わかりやすくなると思っているが、むしろ逆である。

言葉を吟味して、不必要な言葉を削りに削り、シナリオを練り、何度教えても、同じ言葉が出るようにした方が授業はずっと分かりやすくなる。

「えらいあっさりしとるな、この授業」と思われるくらいの授業の方が実は生徒にとって分かりやすい。

もちろん、いつもシナリオ通りというわけにもいかない。

授業は「ライブ」なので、そのときの生徒の理解の様子を掴み、即興で組み立てなおさなければならないときもある。

しかし、先生はまず言葉を削る訓練をしなければならない。

それが基本である。

言葉を制御することを覚えないといつまで経っても、分かりやすい授業はできるようにならない。

単元の導入しているときに、先生が30秒話し続けているなんていうのはもっての他。

勉強のできない子は先生の言葉をこぼし始めているはずだ。

一文をすっきりさせ、10秒以内に収めるくらいを目指すのがいい。



「はい、38ページの練習2、指で押さえて。」

「そこの1番、一緒に読むよ。 I like to play tennis.」

「この文をノートに写しなさい。」

「写した文の下に、この文の日本語訳を書いてもらいます。」

「訳は二つ書いてもらうよ。だからスペースはゆったり開けて。5行分取ろう。」

「一つは固い訳。もう一つは柔らかい訳。さっきやったね。はい、二つ書いて。」

「はい、固い訳の方、答言うよ。『私はテニスをすることを好む。』」

「柔らかい訳、『私はテニスをするのが好きです。』」

「はい、両方とも合った人(手を挙げて)?」




指示や作業をおりまぜながら、できるだけ、生徒達が「聞いているだけ」にならぬよう、テンポよくこのように進めていって、それでも「授業がわかりにくい」ということにはめったにない。

ただ、こんな授業だと「考える力がつかない」という人もいる。

しかし、授業には「ねらい」というものが存在する。

「理解させる」ことが「ねらい」なのか、「考えさせる」ことが「ねらい」なのか、それはその授業によって異なる。

「理解させる」ことも「考えさせる」こともごちゃまぜにして授業をしてしまうと、授業はわかりにくくなる可能性が高くなる。

「ねらい」はしぼった方が無難なのは言うまでもない。

このあたりを整理していない人の授業も分かりにくくなる場合が多い。(正直、これは塾の先生には多いのではないか。)

一部の生徒には受けがいいが、多くの生徒には不評という先生の授業にこんなのが多いように思う。

ちなみに、私はこういう授業は嫌いではないし、私自身、しないでもないが、よほどの腕の人でないかぎり、手を出さない方がよいと思う。

「考えさせる力」を身につけさせたいなら、そういう「ねらい」に絞った授業をまた別の機会にすればいい。

それで生徒の学力は十分伸ばせるのである。


R1001385
GXR+GR Lens A12 50mm F2.5 Macro



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