お伊勢まいり

夏期特訓がすべて終了した。不思議なことに達成感や脱力感などはあまりない。思えば中3も、あるいは他の学年もこれからも学習は続いていく。夏で何かが終わるわけではないので、指導する側が安易に満足するようなことがあってはならないのかもしれないとも思う。

とはいえ、さまざまな角度から生徒を見つめ、その力を伸ばすべく、各先生が力を尽した夏だったとはいえる。もちろんそれは夏だけに限らないのであるが、夏は朝から授業があったりして、つまりは、夏は我々にとっては「非日常」なので、テンションがほんの少し高くなり、気持ちが高揚するということなのだろう。

合宿や夏期特訓が無事に終了したので、「お伊勢参り」に行ってきた。


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伊勢へ来たのは、無事に夏を過ごせたお礼を申し上げたかったのと、知り合いに渡したい「お守り」をひとつ戴きたかったからだ。


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内宮へと続く道には「おかげ横丁」があり、参拝客でにぎわう。この日も結構多くの人でにぎわっていた。街はとても潤っているのだろう。ひとつひとつの店が奇麗で新しく、お金がかかっているように見えた。

本当は参拝の後で「精進落とし」をしなければならないのだけれど、あまりにもお腹がすいていたので、先に食事を済ませた。


GR DIGITAL 伊勢うどん。好き嫌いが分かれる味だが、私は好きだ。


GR DIGITAL 伊勢うどん(冷やし)を食う息子。息子よ、それはつゆにつけて食うのだ。

伊勢神宮のあの「自然」を維持していくには途方もない労力が必要だ。これは写真で見るのでは理解ができない。あの巨木を、そしてゴミ一つ落ちていない参道を自分の目で見る。そしてこれを二千年(!)続けてきたことを思う。西行法師ではないが、「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」の気持ちが少しは理解できるような気になってくる。

二十年以上前に一度、クラブの合宿で来たことがあるが、そのときには何とも思わなかった。「赤福本店」で食べた「赤福」がやたらとおいしかったことがかすかに記憶に残っているのみである。若いということと、物を知らぬということは恥ずかしいことだと今更ながら思う。


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月食観察

雲が切れてちょっとだけ月が顔を出したので、皆で観察をした。赤くぼんやりと欠けた月が、露出を合わせ損ねた写真のように浮かんでいた。


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帰っていたケロちゃん

今朝、朝顔のところにケロちゃんがいた。ちゃんと帰っていてくれてた。


GR DIGITAL このカメラホントにいい色が出るわ。

写真でアップにするとあまり可愛くないかもしれない。

「夏」の瞬間を切り取る

夏休みももうすぐ終わり。長い夏も終わろうとしている。夏が過ぎ、涼しくなってもさらに熱を帯びた迫力のある勉強をしてほしい。











勉強ばかりの夏だけれど、これも素晴らしい「夏」だ。10年後振り返ったらきっと印象的な「夏」として記憶されていることだろう。


9月にうまく勉強した子は

夏がどんどん逃げていく。家内が庭に植えまくった朝顔ももう終わり。


GR DIGITAL 朝顔は小学校1年のときを思い出させる。鉢植えの朝顔。あれは確か一学期の終業式の日に持って帰らされた。となりの鉢といつも見比べていた。自分の鉢の方が立派に育つようにと願いながら。

朝顔の育ち具合は一目で分かる。隣の鉢と比べることも容易だ。しかし勉強の進み具合はそうはいかない。ぼうっとしていたら、自分の鉢の花がしおれそうになっていることにも気づけない。

夏休みよりも9月はその何倍m勉強をやる子とやらない子の差が広がる。やる気の炎を絶対に8月31日で絶やしてしまってはいけない。息を継ぐことなく、9月もやる気満々でいなければならない。

学校の教室に入ると、クラスの中には「やる気のないオーラ」であふれているという場合も少なくない。影響されそうになる。「自分をしっかり持て」とはまさにこんなときのために存在する言葉であろう。

9月はじっくり勉強できる一か月だ。受験が終わって振り返るととても貴重であったと絶対に気づくはずだ。9月に頑張った子は伸びる。

夏の日差しを浴びてすくすくと育った葉が栄養をため込み、秋に実りをもたらすように、夏の特訓で吸収したことを最大限に実らせてほしいと思う。