2007.09.27 Thursday
やらなきゃよかったか?KUMON式(10)
結論から言えば、私は息子のKUMONを今のところやめさせるつもりはない。あの教材を自分で色んなところから見繕ってそろえるのは大変である。だからKUMONの教材を使っていこうと考えている。
KUMONの批判を続けてきたが、KUMONにはよいところもある。何よりいいのは子ども自身が自分の成長を目に見える形で捉えることができるということである。そしてそこから成長の喜びや継続の大切さを学ぶことができる。そういう点は素晴らしく、だからこそあれだけKUMONが強く支持されたのだと思う。
よいところはよいで認め、足りない部分は親の勉強と働きかけで補うというやり方をするということである。といっても我が家の場合は家内が幼児教室のスタッフだったこともあり、私もこのような仕事をしているので、一般の方よりも大変ではないと思う。
現代の子育てにおいては、親は「子育てのメンター」ともいうべき人を持っておいた方がよい。昔と違って「子育て」は孤独な作業となってしまったからである。子育てについて相談したり、客観的な意見をしてくれる、教育の技術と力量を持った人がいれば親の負担は減り、良い子が数多く育っていくのではないだろうか。
そのような「メンター」の役割を、多くは幼児教室の先生や塾の先生が担っている。塾の先生は子育て相談を受ける機会がとても多いのである。(学校の先生は様々な理由で「メンター」になり得ていないのが現状だと思う。)
本来ならば、KUMONこそ地域社会の中で子育ての相談に乗り、親の子育てのサポートをなすべきだろうと思うのだが、そうなっていないところにちょっとばかり憤りを感じるのである。(むしろ子育ての悩みを大きくしてはいないか?)
このシリーズ、私は一貫して「公文」とは書かずに「KUMON」と表記してきた。それはまったく私の印象であるが、かつて「公文式」がスタートしたころの理念と「KUMON」の理念が違ってきているのではないのかという疑念が根底にあるからである。
さて、息子と家内のことを軽く見ていた先生のことであるが、当初は私がいっちょ乗り込んで話をしてやろうかなとも思っていた。しかし、家内はそうとうビシッと文句を言ったようで、先生の態度が変わったらしい。私の出る幕はなかった。母は強しである。
(おわり)
※長いこと読んでいただきありがとうございました。
KUMONの批判を続けてきたが、KUMONにはよいところもある。何よりいいのは子ども自身が自分の成長を目に見える形で捉えることができるということである。そしてそこから成長の喜びや継続の大切さを学ぶことができる。そういう点は素晴らしく、だからこそあれだけKUMONが強く支持されたのだと思う。
よいところはよいで認め、足りない部分は親の勉強と働きかけで補うというやり方をするということである。といっても我が家の場合は家内が幼児教室のスタッフだったこともあり、私もこのような仕事をしているので、一般の方よりも大変ではないと思う。
現代の子育てにおいては、親は「子育てのメンター」ともいうべき人を持っておいた方がよい。昔と違って「子育て」は孤独な作業となってしまったからである。子育てについて相談したり、客観的な意見をしてくれる、教育の技術と力量を持った人がいれば親の負担は減り、良い子が数多く育っていくのではないだろうか。
そのような「メンター」の役割を、多くは幼児教室の先生や塾の先生が担っている。塾の先生は子育て相談を受ける機会がとても多いのである。(学校の先生は様々な理由で「メンター」になり得ていないのが現状だと思う。)
本来ならば、KUMONこそ地域社会の中で子育ての相談に乗り、親の子育てのサポートをなすべきだろうと思うのだが、そうなっていないところにちょっとばかり憤りを感じるのである。(むしろ子育ての悩みを大きくしてはいないか?)
このシリーズ、私は一貫して「公文」とは書かずに「KUMON」と表記してきた。それはまったく私の印象であるが、かつて「公文式」がスタートしたころの理念と「KUMON」の理念が違ってきているのではないのかという疑念が根底にあるからである。
さて、息子と家内のことを軽く見ていた先生のことであるが、当初は私がいっちょ乗り込んで話をしてやろうかなとも思っていた。しかし、家内はそうとうビシッと文句を言ったようで、先生の態度が変わったらしい。私の出る幕はなかった。母は強しである。
(おわり)
※長いこと読んでいただきありがとうございました。