言うたらなんですけど(1)−2【鳥路(とりみちと読みます)にて】

で、何の話でしたかね、あ、そうそうみかみ先生ね。僕も凄い影響受けたというか、勉強させてもらうこと多い先生なんですけど、こないだこんなこと言うてはりました。要は赤福とか色んなところがいいかげんやってるから、「正直にちゃんとやる」っていうだけで勝負できるんじゃないかってね。

そのブログ読んだとき、メッチャドキッとしましてね。というのは実は僕、自分の塾作るとき、そのあたりツボというか、コンセプトやったんですよ。

何ヶ月か前になんや塾の業界誌みたいのに取材されましてね、ちょっと偉そうにしゃべったんですよ。そのときも「当たり前のことを当たり前にすることが大事」みたいなこと言うてるんですよ。ばっちりシンクロ!て感じですわ。

「当たり前のことを当たり前にする」、実はそれが難しいんやとね。できてないところが多いからそこが狙い目ってね。ちなみにその業界誌、見本送るって言うてはったんですけど、今だに見本こないんですけど(笑)だから自分で見てないっていう…定期購読してないからかも(笑)

言うたらなんですけど、「当たり前のこと、当たり前にやる」てホンマ難しいですわ。心がけの問題だけと違いますもん。企業や組織ができて20年も30年も経ったら、組織の形態が時代に合わんようになってるか、あるいは小さな組織が「タコ足配線」で無秩序に大きなってしもて統制が取り辛いとかね。そら大変でしょうね。いきなり向きは変えられませんしね。世の中でこれだけ問題になってるんですから、塾業界でもそれは同じやと思います。そういった意味では小さい出来立ての組織の方が戦いやすいですわね。

小さな組織はトップがブレたらしまいですから、気をつけるようにはしてます。僕、自分のこと信じてませんからね。例えばね、クラスの生徒数でもね、申し込みがバンバンきたら、ナンボでも入れたなるでしょ?ふつうは。山っ気でなくても、経営のこと考えたらね、入ってくれる生徒を断るってなかなかね。で、どっかでコロぶような気がしますんですわ。だからね、もう最初から小さい教室しか作ってないんです。これでオッケーです。入れようがありません。けっこう辛いですけど(笑)

こういう世の中ですからね、「当たり前」をしっかりやるには相当に慎重にいかなあかんと思ってまひゅんですわ。それと確固たる信念というか、美学いうか、そんなもんも持っとかんとね。マスコミみたいに自分の醜さとか愚かさとか気づいてないのはキツイです。ああなったらあきましぇんから。

え、飲みすぎ?飲みすぎですか?誰が?

あ、僕がですか?








言うたらなんですけど(1)【鳥路(やきとり屋)にて】

言うたらなんですけど、僕ね、亀田興毅の記者会見見てて、メッチャむかつきましたねえ。かーっと頭煮えそうでしたわ。いえ、亀田興毅に腹立ったんとちがいますよ、彼はね、毅然としてて、立派でしたわ。腹立ったんは記者達、マスコミですわ。

えっ、ああ、これですか?はい、これ旨いでしょ。「ひね」ゆうんですわ。年いった鶏の肉ですわね。固いですけど、味があって旨いんですわ。「比内地鶏」の偽装ね、これ使ってたんでしょうね。これ、売り切れのとき多いんです。今日はラッキーですね。どんどんいってくださいね。

あ、そうそう、てゆうのはね、ボクサーって目が大事って言いますやん。そのボクサーに向かってどれだけフラッシュとばしとんねんと。亀田は偉かったですよ。フラッシュ直視したくなかったでしょうけど、視線を落とさずに正面向いてましたですもんね。あのフラッシュ、僕には石のつぶてに見えましたわ。かわいそうに。あんなことやって平気な連中がモラルを語ったらあきませんわね。マスコミは酷いです。亀田は会見終わってからしばらく目ェ見えんかったでしょうね。ホンマ惨いですわ。

言うたらなんですけど、マスコミだけでなくて、「赤福」も「御福」もボロボロボロボロ問題出てきてますよね。もう毎日毎日「発覚だらけ」。オマエは中華料理かって突っ込みたなりますわ。え、分かりませんか?そうですか。すんません。忘れてください。あ、生ビールもう一杯いっときましょ?

でね、けど、あれ、僕はある意味しゃあないこととちがうんかと思ってるですよ。もう多くの企業が、途中から「現代」の基準をクリアできなくなったんでしょうね。もう誤魔化すしかないと。後へは引けんと。今更言えんと。

赤福も別にあれで腹こわしたとか、食中毒になったとかいうのいませんもんね。賞味期限を延長すればよかったのにとか言う人いてはりますけど、あれ無理ですよね。そんなことしたら、客にソッポ向かれますもんね。かといって、ホンマにあの賞味期限守ったらあの値段では出せませんもんね。

いっぺん伊勢神宮の近くの赤福本店で赤福食べたら、そらもう旨あてねえ。出来立てはこんな旨いんかと。おみやげでちょっと時間経ったらあんな味が落ちるんかと。でも、ちょっととちゃうかったんですね。「まき直し」は酷いですわね。

あれ、全国的に「お咎めなしにするから、ちゃんとやり直したい企業手ェ上げて」て言うてね、仕切り直しさせたるチャンスでもやらんと、いまさら言い出せへんトコ多いんとちゃいますか。

いっぺんね、塾のブログ書いてはる先生でメッチャ有名な先生がいてはりましてね。みかみ先生いうんですけど、その先生が言うてはったんですけどね、あ、これですか、これはね。チャンジャですわ。僕これだけでビール何杯でもいけます。

(つづく)


戦士の休息

息子は今日熱を出して幼稚園をお休み。しくしくと泣いているので熱が辛いのかと聞いてみると、「おべんとうがたべたかった」と言う。今日はおべんとうの日だったのだ。


GR DIGITAL 手持ち1/4sec.はキツイ。袖口にピントがきてるし(笑)

急げ!

こ、これは手に入れなければ!



猫ギター先生ありがとうございます。

『平均点』不要論(居酒屋にて。酔っ払いの独り言)

「いや、僕はね、『平均点』を出すこともホンマは避けたいくらいなんですよ。教師がクラス平均点を出すのは暦年比較やなんかの資料としてのモンでしょ?それは大事です。大事ですよ。でもね、平均点見て、暦年より悪かったら、生徒に頑張らせるとか、よかったら安心してしまうとか、そんなんホンマはおかしいですよね。一人ひとりの生徒には『平均点』なんて数字はまったく関係ないことですもんね。

大切なんは、一人ひとりのその時点の『得点』とか、『成績の推移』とか、とにかくその本人、一人をフォーカスして見ていくことですよね。その作業を純粋にしていくには、クラスの『平均点』は邪魔になりますよね。

皆ね、口ではええこと言いますよ。『一人ひとりをしっかり見ます』とか『面倒見よく』とかね。でもね、人間はいいかげんで怠惰ですからね、お、今年の平均点、去年よりも8.7点も高いやん、なんてことになったら、まあ、ふつうは安心しますよね。ホンマは、教師のアタマは『(その子がその学校を受けられるか、その子が合格するか)×生徒数』でないとアカンのに、段々ズレていくんですわ。『クラス平均点』が高いと、すべてイケてるように錯覚し出すんですよ。絶対ありますでしょ、そういうこと。

あ、そうそう『平均点』が高かったり、難関校へ生徒の何割が合格しました、というのは広告に書いたら、効果的ですよね。だから余計そこへ意識がいってしまいますよね。あと一人、あの高校合格させることができたら、全体の4割超えるぞ、とかね。知らず知らずのうちに『ひとり』を見ないで、『全体』を見てしまうようになってね。

そしたらしまいには『生徒のうち、これだけがあの高校に行ってるのだから、俺の指導は間違ってない』と思うようになったりして、ドンドンおかしな方向に行ってしまいますよね。

僕は自分のことを最初から信じてませんからね、そうはならんようにそういう数字を拒否するようにしてます。そらまあ一応、平均点は出しますよ、分析するにはデータが要りますから。数字を捉えられないと、指導もよくなりません。それはこだわります。でもね、一人ひとりを見るには、平均点やなんかのデータは、ときに教師の足を引っ張りますから、こんなんマボロシ、マボロシ、一人ひとりには関係ない、って繰り返し呟いてます。

ね、『平均点』なんてホンマはとらん方がええでしょ。」