2008.01.30 Wednesday
「そのミスは俺のせいだ」
次の各組の文がほぼ同じ意味になるように、( )に適する語を書きなさい。
This hat is so small that I cannot wear it.
This hat is ( ) small ( ) me to wear.
この問題は難しくない。よく見る問題である。どうということはない。どうということはないのだけれど、この問題は結構誤答が出てしまう。
何故か?
力量ある先生ならばきっとピンとこられるのではないかと思う。(分からない方はちょっと考えてみてください。)
何故、誤答が出てしまうのかというと、これの答えを、( too )( to )としてしまう子が後を絶たないからである。しかもこれが結構少なくなかったりする。(念のために言っておくと答えは( too )( for )である。)
こういうのは、本人のうっかりミスということになっていて、それは生徒自身の責任ということになっている。先生は「うっかりミスは駄目だぞ〜」なんて言いながら、軽く見ていることも少なくない。
でも、この手のミスは大きな問題をはらんでいる。先生の指導のせいで、こういうミスが頻発するようになっている場合も多いのである。
どういう指導をすると、こういうミスが出やすくなるのか。
「先生が大量の宿題を与え続ける」とクラス全体にこういうミスが出やすくなるのである。「大量課題」というのはとても難しい。軽く考え、安易に出してはいけないと私は思っている。
生徒は、大量の課題をこなさなければならないために、いちいち問題をじっくり読んでいるわけにはいかなくなる。そうして反射的に解答するクセがついてしまうのである。(人は自然と楽をしようとするものだ。×の不快より、課題をじっくりこなす苦しみと手間の不快が上回るのだ。)
「あっso that (の構文)だ。cannotがあるから、too to (の構文)だ」
と、問題文をろくすっぽ読みもせずにやってしまう。
先生が大量の課題を与え続けておいて、それで同時に「うっかりミス」を失くせと言う。口で言うだけでは指導者としてよい仕事をしているとは言えない。
「うっかりミスはいけないぞと何度も口酸っぱく言ってるんですがね〜」
ゆめゆめ先生はこういうセリフで指導したつもりになってはならない。そんなのはプロではない(と私は思う)。うっかりミスを失くすためには、失くさせるためのアプローチが必要なのである。そういう手が打ててこそ「プロ」である。
その「手法」は色々あるが、ここには書かない。大量に課題を出し続けることは、こういう問題を孕みやすいということを分かってさえいれば、指導の際に気をつけるべきことはおのずと見えてくるからである。
大量の課題をやらせることが必要な時期はもちろんある。「量」をこなすことは高い学力をつけるためには必要不可欠である。しかしながら、「たくさんやらせりゃいい」ってもんでもないということに気づけないと、愛する教え子の点数は伸び悩んでしまうことになる。
気づけるのは「そのミスは俺のせいなんだ」と思うことができる指導者だけである。
This hat is so small that I cannot wear it.
This hat is ( ) small ( ) me to wear.
この問題は難しくない。よく見る問題である。どうということはない。どうということはないのだけれど、この問題は結構誤答が出てしまう。
何故か?
力量ある先生ならばきっとピンとこられるのではないかと思う。(分からない方はちょっと考えてみてください。)
何故、誤答が出てしまうのかというと、これの答えを、( too )( to )としてしまう子が後を絶たないからである。しかもこれが結構少なくなかったりする。(念のために言っておくと答えは( too )( for )である。)
こういうのは、本人のうっかりミスということになっていて、それは生徒自身の責任ということになっている。先生は「うっかりミスは駄目だぞ〜」なんて言いながら、軽く見ていることも少なくない。
でも、この手のミスは大きな問題をはらんでいる。先生の指導のせいで、こういうミスが頻発するようになっている場合も多いのである。
どういう指導をすると、こういうミスが出やすくなるのか。
「先生が大量の宿題を与え続ける」とクラス全体にこういうミスが出やすくなるのである。「大量課題」というのはとても難しい。軽く考え、安易に出してはいけないと私は思っている。
生徒は、大量の課題をこなさなければならないために、いちいち問題をじっくり読んでいるわけにはいかなくなる。そうして反射的に解答するクセがついてしまうのである。(人は自然と楽をしようとするものだ。×の不快より、課題をじっくりこなす苦しみと手間の不快が上回るのだ。)
「あっso that (の構文)だ。cannotがあるから、too to (の構文)だ」
と、問題文をろくすっぽ読みもせずにやってしまう。
先生が大量の課題を与え続けておいて、それで同時に「うっかりミス」を失くせと言う。口で言うだけでは指導者としてよい仕事をしているとは言えない。
「うっかりミスはいけないぞと何度も口酸っぱく言ってるんですがね〜」
ゆめゆめ先生はこういうセリフで指導したつもりになってはならない。そんなのはプロではない(と私は思う)。うっかりミスを失くすためには、失くさせるためのアプローチが必要なのである。そういう手が打ててこそ「プロ」である。
その「手法」は色々あるが、ここには書かない。大量に課題を出し続けることは、こういう問題を孕みやすいということを分かってさえいれば、指導の際に気をつけるべきことはおのずと見えてくるからである。
大量の課題をやらせることが必要な時期はもちろんある。「量」をこなすことは高い学力をつけるためには必要不可欠である。しかしながら、「たくさんやらせりゃいい」ってもんでもないということに気づけないと、愛する教え子の点数は伸び悩んでしまうことになる。
気づけるのは「そのミスは俺のせいなんだ」と思うことができる指導者だけである。