自習室の主?

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中2のこの3人、もう12時間以上自習室にいる!

期末試験追い込み中

今日は朝9時から勉強会。明日は期末試験の終わっていない子は全員参加だが、今日は自由参加。

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定期試験の対策期間、各自の学校教科書準拠のワークの進行具合をチェックする。勉強のできる子にけっこう×があって、成績のふるわない子の方が丸ばかりということが少なくない。

答えを写しているという子も中にはいるのかもしれないが、ほとんどの子は「調べながら」やってしまっているのだ。あれほど口酸っぱく「できるところとできないところを分けよ(つまり×を打て)」と言っているのにどうしても調べながらやってしまう。調べながらやると勉強した気になれる上、ノートや問題集に×を打たなくてすむ。

生徒達には、伸びるコツというのは「真面目にやる」「ていねいにやる」「最後までやる」に加えて「誤魔化さない」ことだ口を酸っぱくして言ってある。何も誤魔化すのは先生に対してだけではない。勉強ができない多くの子は、何よりも「自分自身」を誤魔化してしまっている。「できない」自分自身を見ないようにしまっているのだ。そこを直さないかぎり飛躍的な学力の伸びは難しい。

今日の勉強会参加は自由だったが、昨日、中1の生徒に「明日朝から来る人?」と聞いてみたら、3分の1くらいの子が手を挙げた。「手を挙げて朝9時から来る子」「手を挙げて朝10時から来る子」「手を挙げたけれど来ていない子」など様々だ。

日常の端々に誰もが「自分を誤魔化す瞬間」がある。自分自身を誤魔化して、安心したり、傷つかずにいようとしたり、いい気分になろうとする。自己の内面を厳しく見つめ、それらを排除した先にしか「成長」はない。厳しいがそれが現実なのだ。

何度も何度も言い続けていくしかない。

(それでも、生徒達には親や先生といった存在がある。大人は・・・。成長するなら若いうちがいいのだ。)

不完全なシステム「成果主義」

ジャパンアズNo.1と言われ、日本がブイブイいわしていた頃、アメリカはその日本の強さの一つは「終身雇用制」にあると結論付け、これを解体する策をあれやこれやと弄していたという。

日本に「終身雇用制」が生まれた背景には、(鎌倉時代のそれではなく)江戸時代からの「封建制度」があるのだろう。「封建制度」という「制度」はやがて「文化」となり、そういう文化を持つ日本人が「会社」を作ったとき、自然に「終身雇用制」のような形に落ち着いたにちがいない。このシステムは長い年月をかけて日本人に馴染んできたシステムであり、それは抜群の力を発揮した。

もちろん「終身雇用制」にも問題はあるにはあったが、多くの日本人はこの制度の中でゆったりと暮らすことができた。よほどのことがないかぎり、首にはならない。よほどのミスをしないかぎり、ゆるやかに出世できる。国民は落ち着いて暮らし、落ち着いて消費し、穏やかに蓄えた。

やがて「グローバル化」という言葉が外国(アメリカ)からやって来る。「終身雇用制」なんていうのんびりした制度では国が沈没してしまう。多くの経営者がそう思ってしまった。それに代わって、「成果主義」がいいと誰かが言い出した。それがアメリカの画策なのかどうか私は知らないが、「成果」を出した者が多く収入を得る、という考え方とそれに基づく制度はあっという間に企業に広まっていった。

「成果」というのは様々な要因で生まれる。一つの「成果」が一体誰の力がどう働いて生まれたものかなんて、正確にきちんと出せるものではない。だから「成果」というのは数値化される。「数値化」なんていうことをした時点で「何かだけを見て、何かを切り捨てている」状態になっている。それで自分の評価が決められてしまうので、社員は皆「数値化」される部分の仕事しかやらなくなる。知らず知らずのうちにそうなっていく。

他の部署の仕事なんて見向きもしなくなり、何かミスが出ると、そのミスの責任が自分のところにはないということの証明を一所懸命考える。「社内が潤滑に動くように気を配っていた人」もいなくなってしまう。会社には、皆気づかないけれど、職場をいい雰囲気にしている人というのがいるものである。「成果主義」はそういうものを「成果」と見做さない。そういう人を「成果主義」は駆逐する。

そういう「潤滑油」のような人がいなくなった職場は明るさを失い、ギスギスし始める。誰かの悪口や、他部署の批判が増え、自己を正当化する声が大きくなる。相談できる人、頼れる人がいなくなる。皆孤独になる。

最も大変なのは中間管理職だ。上からはガミガミ言われ、下からは突き上げられる。相談できる人はいない。本当に辛い。当然、中には会社に行けなくなる人も出てくる。そして驚くことにそういう職場には「不倫カップル」が生まれやすいのだという。

中間管理職のところに若い新人の女性が入ってくる。張り切っている新人が自分のことを頼りにしてあれやこれや聞いてきてくれる。自分に対して信頼の目で見てくれる。周りは自分の批判や悪口を言うけれど、その子だけは違う。辛い立場の中間管理職はその子を心の支えにしてしまう。やがて・・・ということになりやすいということらしい。不倫の責任は組織にあるなどと言うつもりはないが、病んでいく組織の膿が、人間のそういう面に出てしまうことの怖さのことを言いたいのである。

「競争」はあっていいし、そういう刺激がないと人間は動かない。「社会主義」がうまくいかない「不完全」なシステムだったことも人類は学んだ。「成果主義」はそれのアンチテーゼでもあったのだろう。競争させ、成果を出したものにより多く配分する。それは「成果主義」の根底にある考え方だ。しかし今、私達は学びつつある。「成果主義」もまた、けっして「完全」になることができない「不完全」なシステムだったのだ。

「成果主義」が不完全だというのは、先に書いたように、その人を「成果」を不完全な「数値化」してしまうといった部分のことだけを言っているのではない。「成果主義」の一番の問題点は、幸せな「ほんの一握り」と幸せになれない「大部分」を生んでしまうという点にある。「成果主義」は皆が幸せになることを望むシステムではないのだ。ちなみに、幸せな「一握り」とは誰か。それは「成果主義」のルールから逃れることのでき、(しかも富を多く配分されている)「成果主義」で社員を「ジャッジ」する側の人間である。

もちろん「完全」なシステムなどこの世には無い。しかし、「成果主義」は不完全過ぎる。「不完全」なシステムで組織を動かすと、その組織は衰退していく。あるいはそこに所属している人間が疲弊していく。

私はこのような問題から自分の携わる子ども達の教育のことを考えてしまう。集団教育における学級、クラスもまた「組織」だからだ。

塾は「成果」を出さなければならない。教え子を志望校に合格させることに全力で取り組まなければならない。そのためには、先生が上手に教えるということだけでなく、生徒にいかに勉強させるかということにも当然取り組んでいかなければならない。それぞれの塾がそのための手法やシステムを持っていることだろう。

その手法やシステムが(成果が出たとしても)生徒を疲弊させたり、あるいは一部の子の「成果」と引き換えに、その一方で、意欲が出せなくなったり、辛い思いをする子を生み出すようなものであってはならないと思っている。私はそこは「最低条件」だと思っているが、世にはそういうことをまったく考えぬ塾、あるいは学校がある。

生きることは大変であり、人生は厳しい。いつでも「ハッピー」というわけにはいかない。しかし、「成果」を出すために、わざわざ生徒達を辛くさせるようなシステムを安易に稼動させてはならないし、そのことに気づかぬ鈍感さも許されない。

私は世の中のあらゆることから学び、そして子どもを鍛え、強くし、学力を伸ばし、そして共に学ぶ子ども達同士が支えあい、頑張れるような環境というものをいつまでも探し続けたいと思う。

Blackbird, fly

「帰れソレントへ」はハ短調からハ長調に転調し、最後にハ短調に戻ってくる。この仕組みを理解するには長調と短調、同主調やらを理解していなければならない。

中3の期末試験の音楽の範囲がここなのだ。楽器を弾けない、特に男子達にこれを理解させるのは容易ではない。塾の職員室にオベーションのアコギを持ち込んで補習をやったりしている。

英語の何倍も四苦八苦しながら教える。楽器をやったことがない生徒達にこのあたりのことを教えるのはアルファベットしか書けない生徒に「不定詞」を教えるくらい難しいのではないか。学校の先生は大変だろうなと思っていたら、学校の先生は案外サラッとしか教えてくれなかったという子もいて驚いた。

ひと段落ついて職員室で何気に「ブラックバード」の伴奏を弾いていたら、まゆみ先生が「あ、それブラックバードですね」と言ってくれる。お、若いのによく知ってるじゃん、と嬉しくなって頼まれもしないのに歌ってみる。何でもブラックバードが好きなんだそうだ。



親が聴いていて子どももビートルズが好きになるというのはあるだろう。そして先生が好きでそれが生徒に伝染するというのもある。私の教え子にはビートルズやサイモン&ガーファンクル好きが多い。私がそう誘導するからだ。今朝も15年前の教え子がそんなコメントをこのブログにくれた。

ちなみにこのブログ、全然オチはない。ただ、若いまゆみ先生がビートルズを知っていたり、15年前の教え子がコメントをくれたのが嬉しいという話でした。

(は〜、中3の音楽は大丈夫だっただろうか・・・)




声に出して言ってもいいよな

質問に来た中3の生徒とほんのひととき交わす会話

受験に関係ない、他愛もない話

真剣な子ほど時間が惜しいことを分かっているから

けっして長くはならない雑談

でも、その短い時間の中に彼らとの「絆」を感じる瞬間がある

真剣と真剣がぶつかり合っているときにだけ

その「瞬間」がやってくる



声に出して言ってもいいよな

そういうとき

俺は「楽しい」んだって