ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ ファースト・シーズン Vol.1 [DVD]

この間の日曜日が正月の三が日以来初めての休みだったので、これを買って、結局土曜日の晩から日曜日の早朝まで徹夜して全部見てしまった。私はターミネーター好きである。

何より驚いたのは、あのちょっとどうかと思った「3」をなかったことにしてしまった展開である。無視したのではなく、きちんとシナリオを工夫して「3」の世界を存在していないことにしてしまったのである。

主役はサラ・コナーだが、女の子のターミネーター、キャメロンも興味深い。微妙なルックスが絶妙だ(と私は思った)。演技もいいが、これはかなりスタートレックのセブンオブナインやデータ少佐の演技を参考にしただろう。(というより、この役の設定自体がそれらにかなり影響されていると思う)

私はとても面白いと思うのだが、アメリカではそんなに視聴率が高くないという話もちらっと聞いた。今年は「4」も公開される。楽しみだ。

追記:楽しみといえば、「電王」の映画がまた作られるらしい。やっぱりあれを好きだった大人はかなり多かったようだ。







素晴らしき哉

ウチのすぎやま先生は高校から東大寺学園に進学した。今日は以前彼から聞いた東大寺学園の心温まる素敵なエピソードを紹介したい。


(注:多少の脚色あり)


すぎやま先生、高3の春、新学期を迎え、新しいクラス、新しい教室にも慣れた頃、生徒達は教室に一つだけダイヤル式の南京錠のかかったロッカーに気がついた。東大寺学園では教室の後ろにロッカーがあり、一人一つのロッカーが与えられる。しかしそのロッカーは誰のものでもなく、どうやら新学期初日から鍵がかかったままだったのだそうだ。

ダイヤル式南京錠(参考)

当初はその「開かずのロッカー」を気に留める者はいなかったが、やがて一人の生徒が一体このロッカーには何が入っているのだろうと、このロッカーを開けようと決意する。

4桁(確か4桁だったすぎやま先生が言っていた)のダイヤル式の南京錠の数字の組み合わせは何通りあるか、東大寺学園の優秀な生徒達がそれを導き出すのには一秒もかからない。しかしそれを一つひとつ根気よく回していくのは途方もない時間がかかる。

一人の生徒の壮大なチャレンジが始まった。休み時間や空いた時間にみみっちく一つひとつダイヤルを根気よく回し続ける。確実に一回ずつ確かめないと一からやり直さなければならない。慎重さが要求される。

そうしたある日、とうとうその日はやってきた。いつものようにダイヤルを回しているといつもと違う感触が少年の手に伝わった。ダイヤル式の南京錠が小さな音を立てて、開いたのである。

退屈な学園生活に緊張が走る。ロッカーの中には一体何が入っているのか。クラス中が緊張する中、とうとうロッカーの扉は開けられた。







「おめでとう」









そう一言書かれたルーズリーフが一枚出てきた。








???????







おめでとう?







皆、何のことだか分からない。しかしその紙を取り出した刹那、皆その言葉の意味を理解した。












メッセージの後ろにあったのは大量のアダルトDVD。













それは卒業していった先輩の粋な計らいであり、ユーモアであり、愛校精神であった。












嗚呼、素晴らしき哉、東大寺学園。











ちなみにそのDVDがどうなったかということに関してはすぎやま先生から聞いてはいない。



朝青龍明徳

今場所の横綱朝青龍の相撲に酔いしれた。今場所の横綱は「鬼も避けて通る」くらいの迫力があった。気迫満点の表情で腕をぶんと振る仕草は横審曰く「品格」のない所作なのだろうが、私個人は目が離せなかった。そんなふうに思っているのは私だけではなくて、日本中で多くの人が朝青龍関に魅入られ、横綱を応援していた。皮肉にも朝青龍人気で場所は大いに盛り上がった。

ところで5年ほど前、私は機会があって朝青龍関の母校明徳義塾高校を訪問させていただいたことがある。先生方とお酒をご一緒させていただき、楽しい時間を過ごすことができた。その席である先生が横綱朝青龍のあるエピソードを語ってくださった。

高校時代の朝青龍関は学校近くのパン屋のおばさんをとても慕っていたのだそうだ。外国から一人でやってきて家族と離れ、寮で暮らす日々はやはり寂しかったにちがいない。学校近くに店を構える気のいいおばさんがきっと彼の孤独を癒してくれたのだろう。

朝青龍関が角界に入るために学校を去ってからずいぶんして、このパン屋のおばさんのご主人が亡くなられたとき、すでに横綱となっていた朝青龍関はどこから聞きつけたのかその葬儀に参列したのだという。大銀杏を結い、力士の正装である羽織袴姿で黒塗りの車から降りてきたとき、他の参列者は大層驚いたらしい。

酔いながら聞いた話だったのでところどころ不正確かもしれないが、大筋はこういう話だった。ご主人を亡くしたおばさんはこの横綱の参列にとても力づけられたことだろう。朝青龍明徳なんて律儀に自分の出身校の名前をつけているし、そういうところからもいい人じゃないかと思っていた。だから私の中では「朝青龍関はいい人」のイメージがあって、私はテレビで朝青龍関の批判を聞くたびに複雑な気持ちでいた。

朝青龍関が優勝すると、マスコミはこぞって横綱を持ち上げだす。少なくとも朝青龍関の「よい話」をするようになった。きっと朝青龍関本人は苦々しい気持ちであることだろうと思う。(朝青龍関が優勝してからまだやく・みつるのコメントを聞いていない。何と言うかぜひチェックしておきたい。)

ともあれ、私は今場所朝青龍関の相撲に目が離せなかったし、尊敬の念をもって横綱の相撲を見つめた。人は正念場にはあれほどの「気迫」で臨むべきなのだと教えられたような気持ちになった。朝青龍明徳、大横綱である。

そこがスタートライン

何でも『全国体力調査』の結果、奈良県の中2の男子の体力が全国最下位だったそうだ。おお、それは大変だとネットで色々見ていると奈良県教育委員会が『「塾通いの子供が全国平均より多いのが要因」と分析。』とコメントしている記事を見つけた。

塾というのは何の権威もなければ、力もないので、こういうときには安易に責任をなすりつけられてしまうことが多い。「受験戦争」も「学級崩壊」も、塾が原因であるというコメントが安易になされているのを過去何度も目にしてきた。

(ちなみに、私個人は塾というのは、力も権威も無くてよいと思っている。通ってくれる生徒とその親に信頼してもらっていたらそれでいい。)

県教委は、生徒達の体力がない理由が塾通いにあると即座にコメントを出しているのであるから、塾通いしている子としていない子の運動能力の数値がどれだけ違っているということも明確に把握していなければならない。(もちろんできていないと私は推測している)

もしそういうデータもないというのに、原因を断定することは許されるべきではない。こうじゃないだろうかと思いつきを口にすることも避けるべきだ。(仮に県教委がもし断定していないのに、マスコミが断定したような書き方をしたということもあり得る。もしそうならばそれはそれで問題だ。)

何ものかに責任をなすりつけて「回避」するところに、「改善」と「進歩」はない。それは仕事においても、人生における幸福の追求であっても、中学生の学力であっても同じだ。「この仕事がうまくいかないのは我が社に問題があるのだ」「今自分が幸せになれない一番の原因は自分自身だ」「今ボクの成績がなかなか上がらないのは自分自身の勉強のやり方に問題がある」そここそがスタートなのにと思う。

塾がスケープゴートにされるのはいつもいつものことなので、声高に批判はすまい。ただそれを他山の石として私自身は「改善」と「進歩」ができるよう精進したいと思う。



本当に作ってみて、ついでに考察してみた

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猫ギター先生の豚と白菜の鍋の話を読んでいたら猛烈に食べてみたくなったので本当に作ってみた。携帯で撮った写真では全然美味しそうに見えないので恐縮だが実際はとても美味かった。

白菜と豚と少々の塩だけで後は何も入れないのは白菜の甘みと豚肉の脂の甘みを堪能しきるためだ。猫ギター先生のこのブログのところにも私はふざけたコメントをわざわざ入れてしまったのだが、この料理は究極の「引き算」の料理だ。

よけいなものを引いていって最後に残る素材の良さ、つまりは純度の高いものを生かす料理法だ。私も覚えがあるが、料理をかじると、あれやこれやと足していってしまう時期がある。あれをいれたら美味いのでは?これを加えるとコクが出るかな?といったふうにあれやこれやと足していってしまう。それで美味くなればいいのだけれど、所詮素人があれこれ思いつきで入れてしまうと味がまとまらなくなることも少なくない。

生徒達への指導もそんなところがあって、教師として少し腕が上がると、つい「あれも教えてやれ」「これも大事だぞ」と詰め込み過ぎるようになる。「足し算」しながら授業をしてしまうのである。知識を豊富に与えることは、それはそれで大切なことであるけれども、無造作にそういう授業をやっていくと、せっかくの授業が『濁って』しまう。そういう授業は、何かぼやけていて、ポイントが生徒に伝わりにくく、記憶にも残りにくい。

だから教師は余分なものを切り捨てていって、「主題」を際立たせるという授業手法も身につけておきたい。「足し算」の授業と「引き算」の授業ができれば教師としてレベルアップできる。

また塾は学校に比べて授業時間が短い。その限定された中で生徒の学力を伸ばそうとしたら、その意味でも「削り取る」力が不可欠であると私は思う。

美味い白菜と豚の鍋を食しながら、上手い授業の構築法について考えてしまった。ちなみに「薬味は何でも死ぬほど入れる」というのがkamiesu家の家訓その二である。そちらに関しては私は「足し算」主義である。