少年探偵団

私の読書への目覚めは江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだった。(怪人二十面相シリーズだったか?)

怪人二十面相、それと戦う明智小五郎と小林少年と少年探偵団のあのシリーズを片っ端から読みまくったのは小学校3年の終わりか、4年の初めだったと思う。

きっかけは学級文庫にあった一冊のそれだった。面白くて続けざまに学級文庫にある数冊を読んだ。その後、学校の図書室に行き、さらに数冊を読破。まだ他にもどこかにあるはずと、となりのクラスの学級文庫からも探し出し、何とか借りてきて、それも読了。市の図書館へも行くと、そこにはけっこう揃っていて、感激しつつ読み漁った。なかなかの行動力だ。そして最後にどうしても読めなかったやつを母親にねだって買ってもらった。

たしかあのシリーズは20巻までが子ども向けに書かれたもので、文章が敬体で書かれていたのだが、それ以降は大人向けになっていて、文体が常体になっていたと思う。大人向けのはとたんにおどろおどろしい感じがして入り込めなかったのを覚えている。

私が盛り上がっているのに影響を受けて、クラスの友達も盛り上がり出し、少年探偵団ブームが巻き起こった。そしていきつくところは一つ。自分達で少年探偵団を作ったのである。男の子の王道である。

私達はよい探偵になるため、訓練を重ねた。木登りや歩いているおっちゃんの尾行、何秒息が止められるかというところにまで訓練は及んだ。私達のポケットはいつも牛乳瓶の蓋でパンパンになっていたのは、誘拐されたとき、仲間が見つけてくれる目印となるよう、一定の時間に一枚その蓋を落とすためであった。

大久保君という友達の家が牛乳屋さんで、彼の家で、まだ牛乳瓶にはめ込まれる前の牛乳瓶の蓋を見せてもらったときは皆胸がときめいた。はめ込まれる前の蓋はエッジが曲がっておらず、新品のメンコのようにシュッとしていて、皆それにうっとりしていたのである。




さて、息子もどこからの影響か知らぬが「少年探偵団」を結成しているらしい。男の子ならば「愛と冒険と勇気」をテーマに育ってほしいもの。時期は違うものの、父も通ってきた道を息子が今辿る。親としてはとても嬉しい。

家内から聞いたが、息子は先日こんなことを言っていたらしい。



「〇〇くんのシールがはがされててん。かならず犯人を探し出さなあかんねん。

たぶん・・・ぼくは影法師のしわざやと思うねん・・・おそらく。」



〇〇くんのシールをはがしたのは誰なのか?そして「影法師」とは何者か?息子が影法師の仕業だと思った根拠は何なのか?

最近聞く話毎に私を楽しませてくれる息子。もしかしたら子どもというのはこのあたりの年齢が一番面白いのではないだろうか。息子は今が「旬」なのだ・・・おそらく。




中間試験の結果

まだ全員の試験が終わったわけではないが、八木中学と桜井中学の中間試験の結果がもう出始めている。

今回は生徒達の勉強の立ち上がりが遅かったので、相当焦ったが、出てきた結果はとてもいい。

昨日のクラスで「今回点数が結構上がったぜ〜なんて思っている人?」と聞いてみたら、ばっと生徒達の手が一斉に上がった。

それくらいいいのである。

あまりの点数のよさに職員室で生徒が提出した点数表を見ては何度も声が上がった。(ここまでのはそう滅多にない。)


ただ今回は自分で自分の心に火がつけられず、こちらが無理やり点火したような状態。

皆まだまだなのだ。

中には最後まで点火できなかった子、その時期が too late だった子もいる。

(結果が良かろうと、悪かろうと)それぞれが反省点を見つけ、今日からの勉強に生かしてほしい。(けっして次回からの〜ではない。)





再会


昨日は高校のときの同級生O君と20年ぶりに会い、飲みに行った。
待ち合わせの場所に座って待っていた彼は全然変わっていなかった。

高校2年のとき、O君とは一緒に今は無き大阪球場にサイモンとガーファンクルのコンサートに一緒に行った仲だ。

今彼は大学の准教授をしている。
そう聞くとそんな感じの風貌のような気がちょっとしたが、そうでもなかったかもしれない(笑)

どこの店にする?と聞くと、O君は商店街の中にある沖縄料理の店がいいと言う。
その沖縄料理の店が美味いらしい。
待ち合わせの時間前に到着していた私もその辺を回り、チェックしていた店だった。
再会の祝杯を上げる店はその沖縄料理の店に決まった。



さ〜飲むぞと勢いこみ、わくわくしていざ店に入るとびっくりした。
店員が教え子だったのである。
そこは何と教え子のお母様が経営しておられ、その子は店を手伝っていたのだ。



いきなり再会が二つになる。
いい日だ。



オリオンビールで乾杯をし、アグー豚やスパムの炒め物で杯を重ねた。
どれも美味い。
割と早い時間から飲んでいたのだが、ぞくぞくとお客さんが来る。
流行っている店なのだ。
料理やビール持ってきてくれる教え子はあの頃よりもずっとたくましくいい顔になっている。
本当に嬉しい。




突然向こうのテーブルで飲んでいた客がバイオリンを弾きだした。
しょっちゅうそういうことになる店らしい。
さすが沖縄料理の店だ。


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こういう日に限ってカメラを持っていなかった(泣)
おっさんとおっさんが再会して写真を撮ることはないだろうと思ったのが痛恨のミス。
電車で行ったので、荷物を最小限にしたかったのだ。



「北の国から」が流れる。
私もO君もさだまさしが好きだったのでとても嬉しい。
O君もこの店でこんなのは初めてだったそうだ。
私達の再会を祝してくれるように、最後はゴージャスにバイオリン2本とビオラの「カノン」が流れる。

素晴らしい!




二人がそれまで過ごしてきた時間を交互に話しつつ、それを肴に酒を飲む。
そこへ華を添えるように音楽が流れるのだ。
旨い酒だ。



教え子と握手をしつつ、最高にいい気分で店を出る。
そしてもう一軒。
ショットバーへ行った。
何とそこでもライブをやっている。
アコースティックギターとフルートとアコーディオンのユニット。
いい夜だ。



結局6時間くらい飲んで、それから再会を誓い、固く握手をして別れた。
古い友人との再会は自分の人生のふりかえりでもある。
電車も無くなり、乗り込んだタクシーの中でそんなふうに思った。



今日も朝から勉強会

今日も朝から中間試験に向けた勉強会を行なっている。

中1と中2のすでに試験が終わった生徒達はお休みだが、中3生は受験勉強会ということで呼び出した。

4月とGWの間にやっておくべきことがこなせなかった子も多く、ここでやっておかないと夏以降が大変になる。

どう大変になるかというと、「やってもやっても少しも進まないあるいは少しも伸びない」ような感じになってしまうのだ。

「感じ」なんて中途半端な言い方をしたが、実際はやれば勉強は進むし、伸びるのであるが、やらなければならない量が多く、また一から勉強しなくてはならなくなったりして、進み具合や伸び具合が実感しにくくなるのである。

そうなったときの心理的な負担は大きい。

ここのところで辛くなるのである。

生徒達はその「えらいこっちゃ度」を教師側ほど分かっていない。(当然のことだろうけれど)

定期試験が終わって少しはのんびりさせてやろうかとも思ったが、少しでもそれをわかってもらいたくて呼び出した。


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中3は今がけっこうチャンスだと思っている。

今、畳みかけるように教師側がアプローチしていけば、彼らの心に火を灯すことができるのではないか。

何故そう思うのかという根拠を訊かれても答えるのは難しいが、こちらの思いや言葉が届きやすくなっている状態だと直感するのだ。

ここがタイミングだと思ったときは一気にガンガン畳みかける。

これは「個」であれ、「集団」であれ、伸ばす秘訣だと思う。

ここを見逃してはいけないのだ。


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一つだけ惜しいと思っていることがある

SORAの職員室にすぎやま先生がいなくなって2ヶ月が経つ。

私も森川先生もすぎやま先生がいないことの喪失感がとても大きくて4月は本当に何かしっくりこなかった。

今、すぎやま先生は宮崎でたった一人で九州みかみ塾を切り盛りしている。

彼は京都大学法学部という学歴信奉者からすると垂涎の肩書きを持ちながら、某超有名商社の内定をあっさり蹴って、知らない土地でたった一人で塾を始めている。

こんなことは並の22歳に出来ることではないし、普通はそんなことはしない。

彼は並外れた凄いヤツなのである。

学歴などは彼の「凄いところ」の10番目くらいのものだ。

性格、行動力、頭の良さ、情熱、どれも飛び抜けている。

例えば行動力。

彼は自分の塾の区域にある中学校がどんな学校か、そしてどんな生徒が通っているのかを知りたくて、朝一番で立ってみたという。

一見ささやかなことのようだが、全国津々浦々の大手塾の新卒専任講師でそんなことをした人物がどれだけいるだろうか。

あるいは新たに塾を立ち上げようとした塾講師でそんなことをした人間がどれだけいるのか。

このことだけでもすぎやま先生の凄さの一旦が伺えると思う。

しかもすぎやま先生はこのとき朝から校門のところに立っておられた学校の先生に屈託なく声をかけ、この地で塾を開くのだと説明し、挨拶までしたという。

そしたら、話が盛り上がって、その先生は色々教えてくれたのだそうだ。

しかも、先生と話をしているうちに、中学生達も集まり、あ、その塾なら知っている、チラシを見たと、話が盛り上がったという。

こんなところがすぎやま先生の一番凄いところだ。

彼は頭がよくて優秀で、行動力がある上に、「人に愛される」天性の何かを持っているのである。


どうだろう。


もしこれを大手塾の幹部の先生あたりが、あるいは優秀な人材が欲しいと思っておられる塾長先生がご覧になっていたなら、絶対に欲しい人材だと思うのではないだろうか。


もしすぎやま先生をSORAに置いておいて、SORAで働いてもらっていたら、私はきっと数年後には大層お金持ちになっていたと思う。

それくらいの人材だ。

そのすぎやま先生に大きく大きく羽ばたいてほしいので、みかみ先生の下で頑張ってもらうことにした。

お金持ちにはなれないが、友人が大きく成長してくれる方が私は嬉しい。








しかし、私はみかみ先生にすぎやま先生をお預けして、実は一つだけ惜しいと思っていることがある。

このことだけはずっとずっと残念だった。






私は自分の息子を彼に教えてもらいたかった。

それがおそらくは叶わないだろうことだけが残念でしょうがない。





この春、卒業した子で一人、11月の終わりに突然東大寺学園を受けたいと言い出した子がいた。

何せ東大寺学園である。

びっくりしたが、本人が受けたいというので、こちらも随分頑張った。

本人も頑張り、先生達も頑張ったが、残念ながら合格は叶わなかった。

後3ヶ月早く言い出してくれていれば何とかなった、私達はそう思った。

それくらい彼は頑張ったし、優秀な子だった。

それにしても何故急に東大寺学園を受けたいと言ったのか不思議に思っていたらあるとき、お母さんと話をする機会があって、真相をお母さんが教えてくださった。




「あの子が東大寺を受けたいと言ったのはすぎやま先生みたいになりたいからなんですよ。大学は京大に行きたいって言うんです。」






人と人との縁が人の人生を作っていく。

この子がすぎやま先生に教わることができたのはとても幸せなことだったのだと思う。






まだきっと宮崎のみかみ塾は生徒がそんなに多いことはないだろう。

ならば、今ならすぎやま先生が独占できるのだ。

しかも夢を追い、単身宮崎に乗り込んだ、ピチピチのすぎやま先生に教わることができるのだ。

彼の近くにいる中学生が羨ましい。

数年もすれば塾はきっと大盛況になるだろう。

今なら10倍お得という感じだ(笑)




そうだ、いつか突然宮崎に行って「おすぎ」を驚かせてやろう(笑)

驚いた後きっと彼は泣くにちがいない。

あの日の伊丹空港でもそうだったのだから。