リズム・オブ・ザ・セインツ

私は生徒が勉強しているときに、その子の「リズム」と「テンポ」を見るようにしている。

何の世界でもそうだが、熟練者というのは「リズム」と「テンポ」がいい。寿司職人でも大工さんでも流れ作業の中、部品を組み立てている工員さんでも、素人が見ていても分かる心地よい「リズム」と「テンポ」がある。

勉強ができる子もやはり「リズム」と「テンポ」がいい。問題集の丸うちが終わり、右手でノートを閉じたとき、左手はすでに次に勉強する教材に伸びている。使い終わった教材はトントンっと揃えられ、かばんの中に仕舞われていく。一連の動作に淀みがないのだ。すばやく動いているわりには机の上のものをあまり落としたりするようなこともない。

逆に勉強のできない子、あるいは気持ちの乗っていない子は、動作が緩慢で、一つの動作とその次の動作の間にいらぬ「間」がある。その余計な「間」がその子の体と心をギクシャクさせ、なおのこと気持ちの乗りを悪くしている(ような気がする)。

よい仕事をしているプロによい「リズム」と「テンポ」があるということは、よい仕事にはよい「リズム」と「テンポ」が必要だということだ。それならば、いい勉強をしたいなら、勉強の中でよい「リズム」や「テンポ」を作り出していけばよい。(プロはそうすれば仕事がはかどることを知っている。)

まずは、勉強を始めるときに何を勉強していくかということを具体的に3つ先までくらいは決めておかなければならない。そうでないと、いい「リズム」は生まれない。机に向かったときに何をするのかを考え出すのでは遅い。それでは「淀み」が生まれる。勉強を始める前に頭の中で既に組み立てておくか、計画表や何かで既に決まっている状態にしているのがいい。

「テンポ」と「リズム」を作っていくために、勉強開始は英語の音読だとか、漢字の練習だとか、計算練習だとか、手や口を動かすようなシンプルなものから入るのがいい。勉強の開始10分はルーティンワークをやると決めておくと、それが勉強の「スイッチ」になって入り込みやすくなる。

一つのことが片付くと、小さく「よしできた」とか「オッケー」とかつぶやいてみたりするのもいい。「合いの手」は気持ちを盛り上がるものだ。「はいはいはいはいどんどんいきますよ〜」なんておどけてつぶやくのもいいかもしれない。片付けたり、出したりする動作は機敏にしてチャッチャとする。体の動きに気持ちはついていくものだからだ。自分なりの盛り上がれる工夫をどんどん取り入れていくのがいい。

どうせやらなければならない勉強だ。自分なりの工夫をこらして盛り上がるのがいいに決まっている。





大神神社夏越の祓

先週、大神神社にお参りに行ったら、夏越の祓の茅の輪があった。

この輪をくぐることが祓い清めとなるのだそうだ。

普通の神社は輪が一つだが、大神神社は輪が三つある。(だから三輪というのか?)


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毎年この輪を必ずくぐっている私。(真ん中、右、左の順にくぐるのが正しいらしい)

夏越の祓は全国の神社とも6月30日に行なわれている。

一年の真ん中の時期で、大晦日と同じくらい大切な行事らしい。

この輪をくぐると「もう一年の半分が過ぎたか」と思う。

あとの半分の頑張ろう。


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質問の列

分からないことを分からないと知り、そしてそれを調べたり、それでも分からなかったら人に聞く。それは学力を伸ばすのに不可欠な技能であり、その技能は「よりよく生きる」ためには不可欠なものである。

だから私の塾では、生徒が分からないところを質問できるようになることを指導のねらいとしているし、生徒は実際どんどん質問を持ってくるので、それをさばけるようにたくさんの先生を配置している。

しかしながら、それにしても今朝は次から次へと生徒が質問にやってきて、何度もノックされ、開け閉めされる職員室のドアはもしかしたら今日あたり壊れるかもしれない(笑)

今日は期末試験が近いので、朝から中学生は全員来て勉強をしている。恒例の「期末試験勉強会」だ。実は昨日も生徒達が朝から塾を開けてほしいというので朝9時から自習室を開放していた。実に盛り上がっている。直前で盛り上がるということはそれまでの勉強の立ち上がりの遅さがあるという可能性もある。というか遅い。今日質問がピークになっているということはそういうことだ。


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分からないことを質問しにくる生徒がが多いならば、その塾はそれだけでけっこうよい塾だと言ってもいいと思う。「先生、ここ教えてください」と生徒が活発に動いているのである。それは生徒と先生には信頼関係があり、生徒には「分からないところは先生に聞こう」という動き方ができているということだ。

質問はすればいいというものではないという考え方もある。確かにそうだ。どうでもいいようなことやつまらないことを質問しにくる生徒もいる。正直、トホホな質問を持ってくる生徒もいる。しかし質問できないより、質問できる習慣を持っている方がいいに決まっている。もしかしたら勇気をふりしぼって質問をしに来たのかもしれないのだ。先生はニッコリ笑ってつまらない質問を受けてやればよい。

生徒の質問を聞くというのはただ単にその生徒が分かるようになる手助けをするためだけでなく、先生と生徒の信頼関係を深める、心の「キャッチボール」の役割も果たしている。お互いのボールを受けながら、先生と生徒はよい関係になっていく。だから「フォームを少し直した方がいい」なんていうアドバイスは二人が充分に汗をかいて笑顔になってからでいいのだ。

少年の死

神様は一人の少年に類い稀なる才能をお与えになった。

その才能は、人間がいつのまにか失っていく少年や少女の心とセットとなっており、神様はその才能を失わうことのないようにと、いつまでもその子が少年の心を持っていられるようにした。

少年の心を保つには、もしかしたら何かが「欠けた」状態でなければならなかったのかもしれない。

だからその子はいつまでも器用に生きることはできなかったし、大人になった私達からみると時折奇異に見えることもあった。

それでも人々はその子の創り出すものに心動かされ、賞賛せずにはいられなかった。

神様から与えられたその類稀なる「ギフト」を、いつまでも無垢な心で磨き上げた少年が50年の生涯を閉じた。


メールで報告

浪人をしている教え子から昼ごろメールが届いていた。

模試の結果が今までで一番よかったらしい。

よっぽど嬉しかったのだろう。

成績表の写メまで添付してきた(笑)



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判定がMとなっているのは試験科目不足らしい。

「これから現役生が伸びてくるので追いつかれないよう頑張ります」とあった。

頑張れ!