2009.06.30 Tuesday
リズム・オブ・ザ・セインツ
私は生徒が勉強しているときに、その子の「リズム」と「テンポ」を見るようにしている。
何の世界でもそうだが、熟練者というのは「リズム」と「テンポ」がいい。寿司職人でも大工さんでも流れ作業の中、部品を組み立てている工員さんでも、素人が見ていても分かる心地よい「リズム」と「テンポ」がある。
勉強ができる子もやはり「リズム」と「テンポ」がいい。問題集の丸うちが終わり、右手でノートを閉じたとき、左手はすでに次に勉強する教材に伸びている。使い終わった教材はトントンっと揃えられ、かばんの中に仕舞われていく。一連の動作に淀みがないのだ。すばやく動いているわりには机の上のものをあまり落としたりするようなこともない。
逆に勉強のできない子、あるいは気持ちの乗っていない子は、動作が緩慢で、一つの動作とその次の動作の間にいらぬ「間」がある。その余計な「間」がその子の体と心をギクシャクさせ、なおのこと気持ちの乗りを悪くしている(ような気がする)。
よい仕事をしているプロによい「リズム」と「テンポ」があるということは、よい仕事にはよい「リズム」と「テンポ」が必要だということだ。それならば、いい勉強をしたいなら、勉強の中でよい「リズム」や「テンポ」を作り出していけばよい。(プロはそうすれば仕事がはかどることを知っている。)
まずは、勉強を始めるときに何を勉強していくかということを具体的に3つ先までくらいは決めておかなければならない。そうでないと、いい「リズム」は生まれない。机に向かったときに何をするのかを考え出すのでは遅い。それでは「淀み」が生まれる。勉強を始める前に頭の中で既に組み立てておくか、計画表や何かで既に決まっている状態にしているのがいい。
「テンポ」と「リズム」を作っていくために、勉強開始は英語の音読だとか、漢字の練習だとか、計算練習だとか、手や口を動かすようなシンプルなものから入るのがいい。勉強の開始10分はルーティンワークをやると決めておくと、それが勉強の「スイッチ」になって入り込みやすくなる。
一つのことが片付くと、小さく「よしできた」とか「オッケー」とかつぶやいてみたりするのもいい。「合いの手」は気持ちを盛り上がるものだ。「はいはいはいはいどんどんいきますよ〜」なんておどけてつぶやくのもいいかもしれない。片付けたり、出したりする動作は機敏にしてチャッチャとする。体の動きに気持ちはついていくものだからだ。自分なりの盛り上がれる工夫をどんどん取り入れていくのがいい。
どうせやらなければならない勉強だ。自分なりの工夫をこらして盛り上がるのがいいに決まっている。
何の世界でもそうだが、熟練者というのは「リズム」と「テンポ」がいい。寿司職人でも大工さんでも流れ作業の中、部品を組み立てている工員さんでも、素人が見ていても分かる心地よい「リズム」と「テンポ」がある。
勉強ができる子もやはり「リズム」と「テンポ」がいい。問題集の丸うちが終わり、右手でノートを閉じたとき、左手はすでに次に勉強する教材に伸びている。使い終わった教材はトントンっと揃えられ、かばんの中に仕舞われていく。一連の動作に淀みがないのだ。すばやく動いているわりには机の上のものをあまり落としたりするようなこともない。
逆に勉強のできない子、あるいは気持ちの乗っていない子は、動作が緩慢で、一つの動作とその次の動作の間にいらぬ「間」がある。その余計な「間」がその子の体と心をギクシャクさせ、なおのこと気持ちの乗りを悪くしている(ような気がする)。
よい仕事をしているプロによい「リズム」と「テンポ」があるということは、よい仕事にはよい「リズム」と「テンポ」が必要だということだ。それならば、いい勉強をしたいなら、勉強の中でよい「リズム」や「テンポ」を作り出していけばよい。(プロはそうすれば仕事がはかどることを知っている。)
まずは、勉強を始めるときに何を勉強していくかということを具体的に3つ先までくらいは決めておかなければならない。そうでないと、いい「リズム」は生まれない。机に向かったときに何をするのかを考え出すのでは遅い。それでは「淀み」が生まれる。勉強を始める前に頭の中で既に組み立てておくか、計画表や何かで既に決まっている状態にしているのがいい。
「テンポ」と「リズム」を作っていくために、勉強開始は英語の音読だとか、漢字の練習だとか、計算練習だとか、手や口を動かすようなシンプルなものから入るのがいい。勉強の開始10分はルーティンワークをやると決めておくと、それが勉強の「スイッチ」になって入り込みやすくなる。
一つのことが片付くと、小さく「よしできた」とか「オッケー」とかつぶやいてみたりするのもいい。「合いの手」は気持ちを盛り上がるものだ。「はいはいはいはいどんどんいきますよ〜」なんておどけてつぶやくのもいいかもしれない。片付けたり、出したりする動作は機敏にしてチャッチャとする。体の動きに気持ちはついていくものだからだ。自分なりの盛り上がれる工夫をどんどん取り入れていくのがいい。
どうせやらなければならない勉強だ。自分なりの工夫をこらして盛り上がるのがいいに決まっている。