吹奏楽部の子と夏の合宿

中3、吹奏楽部の子は夏は大変だ。

彼らはこの夏、受験勉強も進めなければならないが、休み中、ずっと部活があるのだ。

生徒達自身も大変だが、その子らが通う塾の方も、彼らへの対応は難しくなる。

何せ朝から夕方まで練習があるので、塾の授業が受けられなくなってしまう。

授業が夜だけならば、受けられないことはないが、そうすると、今度は勉強時間が全く取れないスケジュールになってしまうことになる。

吹奏楽部の中3の子は夏の勉強に大きな不安を抱えているし、もちろん親御さんも不安だろう。

タイトなスケジュールではあるが、できるかぎりいい形で勉強をサポートしてあげたい。

ウチの塾では夕方から来てもらって、夜に空いている先生で個別に指導をしながら、課題を進めてもらうことにしている。

今日残っていた吹奏楽部の生徒は5名、そしてそれに対して、授業のない先生が3〜6名で対応した。

ウチは「小さな塾に先生がどれだけおんねん」とつっこみが入るくらいスタッフがいて、この点に関してはどの塾よりも贅沢だと思っている。

それが力になるのはこういうときだ。

吹奏楽部に限らず、夏は生徒達がどんどん質問に来る。

それに対して、どこの塾よりも、テキパキと対応する体制をSORAでは整えているつもりである。

ちなみに、もうすぐ中3の夏季合宿があって、今、その準備を進めているが、この合宿には、今のところ、先生9人、OGスタッフ3人の計12人が参加する予定になっている。

去年よりもさらにスタッフを増やした。

塾の良しあしは、先生の授業が上手いとか下手だとか、あるいは先生に情熱があるかどうかだけでは決まらない。

先生の授業がいくら上手くても、いくら情熱があっても、生徒が質問をしに行ったとき、いつも先生が忙しくて、質問が聞いてもらえないというのであれば、それはよい塾とはいえない。

昨今の不景気で、実は塾のコストカットも相当に進んでいて、できるだけ先生の数を減らす方向に向かっている。

こういうご時世だからこそ、しっかりとした体制を作り、生徒をしっかりサポートする環境を作っておきたい。







三単現のSの罠(笑)

大手塾に勤めていた頃、私は、自分の学年の主任をしながら、灘や東大寺を受験する最難関クラスの英語も担当していたので、世間からは「勉強ができる子を教えるのが得意な先生」と思われていることが少なくない。

そのせいかどうか、ウチの塾も、「勉強ができる子しか通えない塾」と思われていたりする。(実は全然そんなことはない。)

しかし、私はけっこう「勉強ができない子」を教えるのが得意だし、何より好きである。

できない子をできるようにしていくのは教師冥利につきる。



先日から、中1に、「一般動詞三単現のS」を教えている。

勉強ができる子はスイスイといくところだが、できない子はつまづきやすいところだ。

ここでつまづくと後が大変なことになるのでしっかり身につけさせておきたい。



He plays tennis.  →  He doesn't play tennis.



とするだけなのだが、これが英語を習いたての中学生1年生にはそうやさしいものでもない。

「わかる」と「できる」はちがうし、この三単現のSというやつは「わかったつもり」にもなりやすいところである。

doesn't をつけて、一般動詞を原形に戻すことを念入りに伝える。

いくつかの文を板書し、書かせてみて、口頭で言わせてみる。

分かった気になっている生徒に念入りにもう一歩、二歩押していく。

そうやっているうちに、生徒達はだんだんできるようになっていくが、まだである。

あいまいに、あるいは単純化して理解し、表面的にできているだけの子を、教師はあぶりだしてあげなければいけない。

さらに一歩、念入りに押すのである。

ここができるかできないかが、「できる先生」と「できない先生」の違いだ。

問題演習へ入る前の最後の1問、私は次のセンテンスを板書し、「これを否定文に直しなさい」と言った。




Mary washes the dishes every day.




我ながらナイスな問いである。

先生の説明を適当に聞いていた子や、あやふやにしか理解していない子をあぶり出す一文であり、「もーわかってるよー、しつこいなあ」と言いながら、実はわかっていなかったという子に、ガーンと一発食らわす一文である。

こういう一文がスパッと「引出し」の中から出てくるのであるから、私ができない子を教えるのが好きだというのが嘘ではないということはお分かりいただけると思う。


 

ああ青春のサンミー

私が高校生の頃、「サンミー」は高級品だった。

学校の帰りにパン屋でこれをほおばっていると、後から来た悪友に、「おっサンミーか、お前リッチやのう!」なんて言われたものだ。

今でもサンミーを見ると心がときめく。

このサンミーは何と限定品だ。


R3001744
GR Digital3

三つの味を楽しめるから「サンミー」(笑)

明日買って息子に食わせてみようか。






中3よくなってきたぞ!

夏期特訓初日からどうなることかと思っていた中3だが、初日に厳しいことを言われ、その後、どんどんよくなってきた。

「最後まで」「ていねいに」という感覚で勉強をしてきている子がうんと増えたし、授業も集中して聞けている。

この集中は「身に着けよう」と覚悟した者だけが纏える集中力だと思う。

この調子でこの夏を過ごしてもらいたい。

ちょっとホッとした。


今のところの懸念は部活の最後の試合へ向けての練習がまだある一部生徒のこと。

遅刻や欠席のせいで、色んな先生の授業中に発するメッセージが受取れていない。

授業に遅れた分は補習でも何でもすれば追いつくが、その場で共有した「空気」に関しては、後から補習をして…というわけにはいかない。

彼らが「出遅れ」ないよう、さまざまに気を配らないといけない。



夏休みは「変化」の時

 夏休みは「変化」を生み出しやすい。

多くの生徒達が夏休みに変わっていく。

生活スケジュールの大きな変化が意識の変化を生み出しやすいのかもしれない。

だから、塾における夏休みの授業というのは特別な意味を持つ。


特に、夏の講習や特訓授業の入りっぱなは大切だ。

それは生徒を変えていく絶好のタイミングだからだ。

ここをぼうっと過ごしてしまう先生は、神様が与えてくれた宝物をドブに捨ててしまうようなものである。

教師は、ここで力強く、火の位の意識を持って、生徒の前に立ち、よい授業をし、よい言葉をかけ、褒め、励まし、叱り、喜び、怒り、全身全霊をもって生徒に相対したい。

「タイミング」は逃してはならないのである。