子どもの美しさ

 息子が『動物愛護の絵コンクール』というので賞をもらい、その表彰式があるというので、うだアニマルパークというところに行ってきた。

受賞の話を聞いたとき、あんな下手な素朴な絵で果たして賞がもらえるものかとたいそう驚いた。

ははん、これはきっと応募数がかなり少なくて、息子の受賞は苦し紛れのものだろうなんて思っていたら、当日会場で応募総数が5000以上だったと聞いて、再び驚いた。


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GR Digital3  素朴な絵と記念写真。


会場へ行って、他の受賞作品を見ていると、素晴らしい作品ばかり。

案の定、息子が一番下手くそだった(笑)



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これなんて小1の子の作品。

なかなかの芸術。


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これは息子と同い年の子の作品。

レベル違いすぎ。


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本の挿絵にしてもそのままいけそう。

馬と少女が見つめあっているのがニクイ。


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低学年金賞の作品。

躍動感があるが、おそらくこれは「酒井式」という絵画指導法の下、描かれた絵だと思う。

おそらく上のヤギに餌を上げている少女の絵も「酒井式」もしくはそれを下敷きにした指導を受けて描かれた絵だと思われる。

「酒井式」には好き嫌いがきっとあることだろうが、躍動感のある絵が描けるという点でとてもよいと思う。


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この猫の絵は私のこの日一番のお気に入り。

色彩の統一感が凄い。

写真に撮るとき、この色合いを写し取るのにずいぶん気を使った。

ヒゲと口元がしっかりと入念に描かれている。

描いた子は猫の魅力がよく分かっている(笑)




さて、このような力作揃いの中、なぜ息子の拙い絵が、銅賞とはいえ、なぜ受賞することができたのだろうかとずっと考えていた。

何せ、息子が担任の先生に「賞とれるかな」ときいたときに、「こんな絵で絶対無理!」と言われた作品である。

このコンクールは「動物愛護の絵コンクール」であった。

息子は飼い犬と一緒に花火を見ている絵を描いた。

この絵の中で、息子は大好きな犬とこの夏の思い出を分かち合っている。

大切なものを大切な人(犬も)と分かち合いたいと思うのは人の自然な感情である。

犬を大切に思う気持ちを息子はそのように表現した。

受賞理由はこの一点に尽きるだろう。

(そういえば息子は家内が色々アドバイスはしてみたものの、犬と一緒に花火を見ている絵を描くということに関しては頑として譲らなかった。)


子どもの美しさは二通りある。

鍛えられた美しさと素の美しさである。

私のような仕事をしていると、つい鍛えられた美しさの方に目が向きがちになるが、素の美しさを見ることを忘れてはいけない。

表彰式の間そんなことを考えていた。















人も街も変わっていく

 
奈良の猿沢池の周辺は子供の頃からの遊び場だった。


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SIGMA DP2x


今は猿沢池にこんな舟を浮かべるイベントがあるようで思わずシャッターを切った。

色んなところで色んな努力をしているようで、この界隈はなかなか楽しそうな感じになってる。

街が変わっていくのは少し寂しいけれど、廃れていく寂しさにくらべればずっといい。



ソレゾレノミツメルトコロ

 経済協力開発機構(OECD)の調査によると日本の学校の先生は先進国の中で勤務時間が長いということが明らかになったという。


日本の先生、働き過ぎ? 事務作業長く OECD調査

日本の先生は先進国の中で勤務時間が長いことが、経済協力開発機構(OECD)が13日に発表した調査結果から明らかになった。ただ、長いのは授業ではなく、事務作業の時間。負担が重い一方で給与は減る傾向にあり、教員の質を確保する手立てが課題になっている。

 調査によると、日本の小学校の先生の勤務時間は、2009年の時点で年間1899時間。データのある調査対象国21カ国の中で米国に次いで2番目に多かった。ただし授業に費やす時間は707時間で、OECD加盟国の平均を72時間下回っており、授業以外の事務作業などの時間が勤務時間数を押し上げていることがうかがえる。

 一方で給与をみると、05年の水準を100とした場合、平均は7ポイント上昇していたのに対し、日本は5ポイント下がっている。OECDの調査担当者は「日本は仕事の負担は重いが、報酬は恵まれていない。優秀な人材が集まり教員の質を上げるような対策が必要」と話す。

http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY201109130560.html


私はこの1899時間という学校の先生の勤務時間が長いのか短いのかは分からない。

しかし、塾の先生はもっと労働条件が過酷だろうとは思う。

年間の勤務時間は学校の先生の何百時間オーバーといったところだろうか。(もしかしたら1000時間オーバーという人もいるかもしれない)

過酷な労働環境で「生徒のために一所懸命」と言ったって、それには限界があるが、経営者の多くは現場の先生方の労働環境を改善せずに、現場を締め上げ、「生徒のために一所懸命」を要求する。

生徒が集まらなくなった塾は先生をリストラし、一人当たりの授業コマ数を増やすことで対応し、利益を確保せざるを得なくなる。

ただでさえ忙しいところに、会議や報告書の作成、生徒募集のアイテム作りなど、仕事が山のようにある。

(生徒が集まらなくなった塾はほぼ例外なく会議や報告書提出が増える。経営側は生徒が減ったのは先生のいいかげんな仕事が原因だと思っていて、先生達の仕事を監視したくなるのだろう。)

塾の先生を訪問したときに、先生がくたびれ果てているのを目にしたという方は多いだろう。

「ああ、先生方は子供達のために一所懸命やってくださってるのだわ」と好意的に受け止めてくださることが多いが、実は、連続会議と報告書作成、ポスター作りでヘロヘロになっていたということも少なくないのである。

塾の先生が授業時間以外で生徒のために使っている時間は思ったほど多くない。

大手塾では、よくて3割くらいで、下手をすると1割程度というところもあるのではないか。(組織が大きくなるとよけいな仕事が増えるのは宿命みたいなものだ。)

多くの塾の先生がその忙しさゆえ、パフォーマンスをかなり落とさざるを得ない状況で仕事をしている。

それでは生徒達のためによいことはできない。


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Nikon D700 SIGMA 50mm/f1.4 EX DG HSM



SORAはスタッフの先生達が生徒のために存分に時間を使うことができる塾だ。

そういう体制でなければ、自分で塾を作る意味はないとさえ思っていたくらい、このことにはこだわっている。

ウチの先生達は、勤務時間中は、生徒用のプリントを作成していたり、授業の準備をしていたり、生徒について情報交換をしていたり、勉強していたり、本を読んでいたりする。(和気あいあいと雑談をしていることももちろんある。)

やりたいことがなかなかできず、忸怩たる思いをしている先生方には夢のような仕事環境だと思う。

私達の方向性は「コストの無駄を徹底的に省いてお安い授業料を実現しました」ではない。

「時間の無駄を徹底的に省いて生徒のために使える時間を多くすることを実現しました」である。

生徒達のためによいことができるというのは言うまでもなく大切なことであるが、そこで働く人達にとってよい環境を作るということも同じくらい大切なことだ。

生徒によいことをするために先生を不幸にしているようでは、その「よいこと」は長続きしないにきまっているのである。


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GR Digital 3










新規開店のラーメン屋へ行く

 SORAスタッフお気に入りの丸源ラーメンが橿原市にできるということで開店日の昨日、男性スタッフで行ってきた。

いままでは奈良市の朱雀門の近くまで行かなければならなかったので、この新規開店は非常に嬉しい。



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GR Digital 3


新規店舗の一番客を狙って開店20分前くらいに行ったが、台風も近づいているというのに、2組程先客がいた。(残念)



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GR Digital 3



丸源ラーメンと言えば、肉そば。

これが美味い。

醤油味のスープに、具はスープでしっかり煮込んだ豚肉のスライスと玉ねぎ。

一番のアクセントはゆず風味の紅葉おろしが乗っていること。

これが美味い。

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GR Digital 3


もう美味すぎ。



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GR Digital 3


丸源はいろいろラーメンにかけたり、乗せたりする用の調味料がある。



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GR Digital 3



私は「野沢菜ジャン」を乗せる。




人気店らしく、私達が入店したときは駐車場がこんな感じだったのに、



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GR Digital 3


あっという間にいっぱいになった。

新規開店で各地から集まったスタッフの多くのクルマが停まっていたが、お客さんが駐車できなくなってはいけないと、急いでクルマを移動していた。

こういうチェーン店の新規開店はテレビのドキュメントを見ているみたいでちょっとドキドキする。

台風で客足が心配だっただろうが、よく入っていたと思う。

店長はホッとしたのではないだろうか。



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GR Digital 3


ただ、丸源は「肉そば」は美味いが、ラーメン以外のメニューがイマイチだ。

ここは今後の改善が必要だと思う。



入店第1号を逃した我々は注文第1号を狙ったが、オーダーを取りに来た女性が運の悪いことに新規開店スタッフ。

慣れてなくて、向こうのテーブルの客に先を越され、注文第2号になってしまった。

せめて、「お金を支払った第1号」に何とかなろうと、ラーメンを急いで食べたが、これも逃した。

何をやってんだかという感じであるが、食べながら「ランチミーティング」もできたのでよしとしよう。





丸源の肉そば、こってり好きもあっさり好きも満足させる味です。

未体験の方はぜひ行ってみてくださいね。











学びの本質


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Nikon D700 Sigma50mm/f1.4


上の写真は合宿のひとコマ。

SORAの合宿は基本、自学の合宿である。

合宿中は「授業」がほとんどない。

自らが学ぶべきことを自ら学び、わからないことがあるときは「先生、教えてください」と教えを乞いにいくスタイルになっている。

SORAの合宿は「詰め込まない」合宿である。

合宿中に出された課題はたった一つ。

「合宿中5回は最低質問に行くこと」

自分の課題を見つけ、問題を解き、調べ、わからないことを先生に質問するだけの合宿である。

詰め込まないがゆえに生徒達は能動的にならざるを得ない。

その彼らの質問に応えるため、SORAの合宿は先生が山ほど参加する。

多い日で14人先生がいた。(少ないときでも9人)

八木校、桜井校で生徒は50名程しかいないにもかかわらず、これだけの先生を用意する。

生徒に質問に来なさいと言っても、先生の数が足りないと生徒の質問を処理しきれない。

「合宿中5回は質問に来なさい」というたった一言のためにかかるコストや手間は膨大なものになる。

しかし私達はそれを毎年やっている。

「明日の朝イチでこのプリントに書かれた単語のテストを行います」

「明日までにこの課題プリントをやっておきなさい」

こう言えば、生徒の質問は激減する。

質問の数もコントロールできた上、生徒も勉強させられる。

普通はこうやって生徒の質問が殺到しないようにコントロールするものである。

しかし私達はそんなことは一切しなかった。

(そういうことは普段の授業でいくらでもできることである。)

先生を山ほど用意して、すべて二泊三日で対応した。

「質問」はすべて記録していて、誰がどの教科で何を質問したのかは全部残してある。

質問リストに記載されたのべの質問数は二泊三日で270ほど。

一回の質問で一問ということは少なく、最低2〜3の質問をするので、270×2〜3の質問を私達は二泊三日で対応したということになる。

質問を捌いた私達も凄いが、それだけ質問に来た生徒達も凄い。

(鍛えられていない生徒達にいきなりこの環境を与えてもうまくいかないのは言うまでもない。)

合宿二日目には高校生の卒塾生にも「先生」になってもらった。(4名参加してもらった。)

毎年思うが、彼らはなかなか上手に教える。

彼らはプロではないから、教え方がぎこちないときもあるが、彼らには、つい半年前まで受験勉強をし、受験をしてきたという経験がある。

これは大きい。

つい半年前に受験をくぐってきた年齢の近い先輩に教えてもらうという経験は生徒達にとって得難いものだったろう。



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Nikon D700 Sigma50mm/f1.4


東大寺学園に通うM君の周りには男子連中が集まっていた。

彼らはこのM君の周りにいて、長い間そこで勉強をしていた。

M君を独り占めするのではなく、質問が終わっても、M君から離れず、彼の横で勉強しているのである。

同じ中学の先輩だったということもあるが、東大寺学園に進んだ実力者の先輩に触れてみたかったのだろう。



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Nikon D700 Sigma50mm/f1.4


保護者向けのブログでも書いたが、私はこの3枚の写真に学びの本質を見る。

彼らは先輩に憧れ、敬意を払って教えを乞い、質問が終わったら自分の席で勉強すればよいものをこんなところでずっと勉強していた。

(一人が「先輩、座布団をどうぞ」と言っていたのが可笑しかった。)

「成長したいと願い、力ある人に憧れ、時間を共有し、その人から学びたいと願う」これこそ学びの本質ではないか。

「競争」を指導の核にしたり、生徒に過度なノルマを押しつけて勉強させたりするような指導ではなかなかこういうものは生まれない。

質問をしていると時間を取られ、課題が終わらないし、テストで点数が取れない。

そういう追い立てられたような環境ではじっくりと学ぶことができないのである。

(ノルマをびっちりと課し、「隙間」の無い状態にしておいて「じっくり取り組むことも必要だぞ」なんて言う塾の先生も少なくない。じっくり取り組ませたいなら、じっくり取り組ませる環境をきちんと作るべきなのである。)

上の3枚の写真を見ると、生徒達がリラックスし、肩の力を抜けているのが分かっていただけると思う。

彼らは遊びに夢中になっているような様子で勉強をしている。

「競争」や、過度の「ノルマ」を排すると、こういう感じになってくる。

そういえば、合宿中は叱ることもほとんどなかったし、「勉強しなさい」と言うこともなかった。(勉強しにきているのだからわざわざ勉強しなさいと説教することもない。)

指導者がよけいなことをしなければ、生徒はきちんと成長できる。

「よけいなことをしない」というのは、実は一番コストも手間もかかってしまう。

「よけいなことをしない」ためには高い技術も必要だ。

(「よけいなことをしない」のは「何もしない」のと全然違うのだ。)

それでも私達は彼らの大きな成長のために努力していきたい。








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