五ツ木6回成績と『日帰り合宿』

 今日、五ツ木の第6回の成績が送られてきた。

この成績を確認して、生徒達はおおよそ私立併願の受験校を決定することになっている。

ここからの努力は、偏差値を上げる、つまり一つでも上の学校を目指す勉強ではなく、「受験すると決まった学校」に確実に合格するための努力となる。(私立に関して)

つまり、この試験は、自分の進路について「決定」を下さなければならない重要な留めの試験だったのである。

この試験、八木校の平均偏差値は60を大きく上回っており、男子の平均偏差値にいたっては67以上ある。

今年開校で、指導機関が一年に満たない桜井校の生徒達と合わせた全体平均においても、偏差値60を超えた。

立派な成績であるが、個人的に見ていくと、もう少し取れていないといけない子が何人もいる。

成績表の偏差値や得点のところだけではなく、できなかった分野のところをしっかり押さえ、弱点補強をさせていきたい。(模試の活かし方とは本来そちらの方である。)

もちろん、成績がよかったという生徒も油断をしてはならない。

「不合格」になった生徒に色々後で話を聞くと、たいてい、ふと気が緩んだ時があったと言う。

親にも教師にも分からぬよう、そして自分自身もが気づかぬくらいにそうっと油断をする。

そんな恐ろしいものはない。

成績が良かろうと悪かろうと、ここから先受験までは気持ちを引き締め頑張りたいものだ。



そこで、SORAでは全員の期末試験が終わった12月4日(日)、桜井の生徒も八木の生徒も一緒に朝から晩まで弱点補強をテーマにした勉強会『日帰り合宿』を行う。

日帰りなのに合宿と呼ぶ矛盾はさておき、朝から晩まで夏の合宿と同じく、SORA生全員、そして先生も総動員して、熱のある勉強会を行いたい。

赤本を行うのはこの勉強会の後からとし、この日までは自身の弱点補強に努めてもらう。

生徒達は昼食持参で、夕食はSORAで提供する。

場所はSORA桜井校。

その日は桜井校の冬期講習会の説明会があり、途中一時間ほど、生徒が勉強している教室の隣で説明会が実施される。

塾というのはこの時期、送り出す生徒のことと、入ってくる生徒のことの両方で忙しくなる。

タイトなスケジュールであるが、このイベント、一週遅くするのだけはどうしてもしたくなかった。

絶対に「この時期」でなければならない。

緩んだ気持ちや後ろ向きな気持ちを断つ迫力を、教師自身が示すことが何よりも肝心だと思うからだ。

そういうのは「教える技術」の何倍も大切なのだ。


(保護者の皆様、急に言い出して申し訳ありません。昨年まではなかったイベントです。しかしどうしてもやっておかないといけないと直感しています。そのようなことですのでどうかご理解ください。)





R4000311.JPG
GR DIGITAL4








チラシの文章


教育という営みは、あらゆる場面で「高度なさじ加減」が要求されます。

たとえば、教育には「強制」という側面があり、様々なことを「強制」させる一方で、「自主性」を育むために「任せる」といった方法を選択することも必要です。

これらは一見、矛盾した指導方針でありながら、教師は「高度なさじ加減」でこれらを巧みに使い分け、生徒を指導していかなければなりません。

しかしながら、塾の指導というのは、生徒に「任せる」ことを恐れ、「強制」するばかりのものになっていることが少なくありません。

SORAは自分のするべきことを自分で見つける習慣付けをするために「任せる」ということを大切にしています。

私はチラシに「SORAでは与えすぎ、教えすぎ、構いすぎの指導を排し…」と何度も書いてきました。塾の広告でこんなことを書くのはある意味、致命的です。

なぜなら、学習塾というのは、一般的には「教えてもらい、与えてもらい、構ってもらう場所」であることを期待されているからです。

それでも私達が指導方針を貫き、また広告等にもそのように書くのは、そうした指導を受けて生徒達が大きく伸びていく「事実」の方を大切にしたいと思うからです。

順位を出すテストを頻繁に行うことをせずとも、難関校を受験する生徒を特別扱いせずとも、「直前対策講座」なんていうものを連発せずとも、生徒達を伸ばし、合格させることはできるのです。



私達は、大手のように、受講料無料だの半額割引などができないし、するべきではないと考えているので、とにかく自分達のアピールポイントを明確にしてチラシを作らなければならない。

綺麗事のように聞こえる文章であるが、何も私は「教育としての本来の在り方」といったものを目指して、生徒達に「任せられる」ように指導しているのではない。

そのようにしている理由はたったひとつ。

その方が最終的に生徒達が学力を伸ばし、受験で結果を出してくるからである。

40名ほどの生徒数で、できる子を特別扱いせず、東大寺学園に合格したり、畝傍高校の特色選抜枠40名に3名合格するなどは、そのような指導があってこそだと思う。

奈良・畝傍・郡山に◯◯名合格というのは、そう自慢するほどのことでもない。

元々学力の高い子の数が多ければ、当然合格者数も増えるからだ。

しかしSORAのような小さな塾で、東大寺学園の合格と畝傍の特色選抜3名合格というのはちょっとばかし自慢したいと思っている。

いかに優秀な子がたくさんいたとしても、指導のレベルが相当高くないとそういうことにはならないからだ。

特に畝傍の特色選抜がそうで、この試験は、内申点ほぼ満点、真面目に勉強をしっかりやってきた子ばかりの中で勝負しなければならない。

生徒達の真面目さも内申点も差はほとんどない。

そこで合否を分ける最も大きな要素は何か。

それはその生徒の受けてきた「指導の質」に他ならない。

「伸ばす指導、合格させる指導ならどこにも負けませんよ」というつもりで書いてみた文章。



R3003019.JPG
GR DIGITAL3 cropped


期末試験勉強会

 今週と来週の日曜日は朝から夕方まで期末試験勉強会。

今日も朝から八木校、桜井校とも勉強会を行なっている。


R4000258.JPG
GR DIGITAL4


奈良県の公立入試は中2の成績から内申点に入るため、どこの塾も定期試験対策には熱を入れている。

私も勉強会があるときはブログに「朝から勉強会をやっています」と書くため、さぞかし定期試験対策に血道を上げているのだろうと思われているかもしれない。

しかし、私の定期試験対策のスタンスはどちらかというと「そこまで習ってきたことの総復習(塾の授業が学校の授業の少し先を進んでいるため)」と「定期試験の勉強の時間確保」の意味合いが大きい。

勉強材料は示してあるから、後はあなた達、頑張りなさいよというスタンスだ。(もちろん解説や大切なところ、試験に出そうなところは教える)

塾によっては、試験問題の作成を担当するのがどの先生かを生徒に聞きに行かせ、その先生が過去に作った問題をストックの中から出してきて集中的にやらせるというような塾もあるそうだ。

そういうのは凄い執念だなとは思うが、私はそういう指導に絶対負けない。

そういうことを続けていると、生徒達は労少なくして効果の高い勉強しかやろうとしなくなるからだ。

勉強の中には地道で面倒臭いものがいっぱいある。

計算練習、単語練習、英文の音読や基本英作文など、明日の成績にはすぐに反映しなくとも、大きく飛躍するためには不可欠な勉強がある。

「この問題と同じのが出て20点分儲けた」みたいなことに味をしめると、地道な勉強が馬鹿らしくなる。

「先生、これテストに出ますか?」

「先生、テストに出そうなところ教えてください。」

「先生、プリントください」

こういうセリフが生徒達から出てくるようになると、それはとても危険な兆候だと言える。

一番目のセリフは「テストに出ないならやらない」ということだし、二番目も「テストに出るところしかやりたくない」という意味である。

三番目は点数を取るためには何をするのがよいのかを思考する力が育っていないとも受け取れる(そうでない場合もあるが。)

仮に、予想問題やら何やらで、点数が取れたとして、短期的にはメリットがあったとしても、長期的にはデメリットが大きいので、私はやらない。

教師としてのプライドだとかそういうのではない。

生徒達の最終的な成長の妨げになるからやらないというシンプルな理由である。

(「とても真面目な子」は大抵どんな指導を受けても真面目にやる。しかし「ちょっと真面目さに欠ける子」(ほとんどの子はこれだろう)はこういう指導に大きく影響を受けてしまう。指導方法がよいとは思えない塾にも不思議と、凄く真面目で成績優秀な子がいるのはそういうことだ。)


R4000259.JPG
GR DIGITAL4


一方で、過去問や予想問題をバンバン配布する塾のニーズが高いことも知ってはいるが、学校の授業を真面目に聞き、ノートを取り、提出物や何やらをきちんと出し、塾や自宅でワークや問題集をみっちり解くということができるように指導した方が内申点は間違いなく上がると断言できる。

それらをできるように鍛えるのに、大量の過去問や予想問題というのは正直邪魔なのである。(それらは正しい勉強の在り方と対極にある「濁り」だと私達は考える。)

SORAの生徒達の内申点(通知表の評定)はとても高い。(実力も高いですよ)

これからもっと上げなければいけない子もいるが、アベレージで見れば相当高いと言っていい。

もちろん、そこには言うまでもなく、私達の指導のノウハウが入っている。

私達は私達のやり方で生徒達を伸ばしていきたいと思っている。



R4000262.JPG
GR DIGITAL4



R4000263.JPG
GR DIGITAL4






原点回帰

 ジャン・レノがドラえもんに扮したトヨタ自動車のCMが面白い。

トヨタは1984年から1987年まで使っていた企業スローガン「FUN TO DRIVE」にAGAINをつけ、「FUN TO DRIVE AGAIN」という新たなスローガンを展開している。

(第一弾はビートたけしと木村拓哉を起用していた。これも盛大だ。)

会社の外にも内にも、会社が飛躍してきた時代の原点に回帰しようとしていることを大きくアピールしているようだ。

(日本は自動車産業と共に成長してきた、自動車は人生を楽しく豊かにする、等。そして我々は運転するのが楽しいクルマを作りたい、というところか。)

企業が時折、「原点回帰」を唱え、アピールすることがある。

「原点回帰」というフレーズは格好いいが、それは、「それまでは原点を見失っていました」ということを同時に意味する。

一度見失った原点にはそうそう立ち返れるものではない。

歌を忘れたカナリヤが歌を取り戻すのはそうそう易しいことではないし、企業の場合、原点を標したときにそこにいた「人」がすでにいないことも多いからだ。

トヨタもそれが分かっているからこそ、あれほど盛大なキャンペーンを張っているのではないか。(あのCMは自分たちを鼓舞しているようにも見える。)

人も企業も、変わらなければならないし、変わってはいけない。

変わってはいけない部分を変えないためには、人も企業も相当な努力をしなければならない。

それは放っておいたら変わっていくのが当たり前のものだからだ。


DSC_5328
Nikon D700 + SIGMA50mm/f.1.4















来訪者あり(2) 〜SORAの授業〜

 これのつづき

I先生がSORAを見学しての感想を送って下さった。

一部を抜粋して掲載し、私のコメントというか、返答も書いておきたい。

I先生は気づいたことを箇条書きにしてくださった。

先生は組織の作り方に興味を示して、SORAを訪問することをしたそうであるが、実際にSORAを見たら、生徒の指導法の方に驚かれたようだ。

キャリア8年の真面目に仕事をされる塾の先生の目からは、進学塾SORAはこのように見えたということである。(一部割愛。青字部分はkamiesu)



「磨かれた言葉」「教えるではなく考えさせる」
生徒が自分で考えるために必要でかつ最低限の削られた言葉と発問。

私は授業は削ってナンボだと思っています。分かりやすくするために削るのです。
多くの先生は逆をやっていますが、しゃべればしゃべるほどわかりにくくなります。


「派手なパフォーマンスがない」
先生が主役ではなく、生徒が自分で考えることが主役にされている授業。書くのは簡単だが、これをやるのは生徒の力をつけるためにはと考え抜かれた正しい情熱がいる。

派手でパフォーマンス豊かな授業もありだとは思いますが、中には自分の授業に酔っている先生もいて、私はそういうのは好きではないです。
派手なパフォーマンスなく、生徒達を惹きつけたいと思っています。


(生徒が)不要な発言を一切しない」
当たり前に行われている。これがとてもすごいすごい。どうやってしつけたのか。入校から意思確認をしているにしても、徹底ぶりがすごすぎる。

これはけっこう驚かれるのですが、私達にしたら至極当たり前のことなんです。
別に怒鳴り倒したりしているわけではありませんが、そのようになります。




「演習の時間を大量に確保する」
自分で出来るようになることに主眼を置かれている授業構成。演習時間をとらなければできるようにならないがここまで大量の問題時間を自分でやらせるとは。僕は必要ない解説をしていないか。

教室でできるようにするというのが理想です。
できるだけ教室で演習をさせて、ほんの少し課題や宿題でフォローできればよいなと思っています。(それでも難しいですが)
SORAは授業時間をしっかり取り、授業の雑味となる無駄を削って、この時間を確保しています。



「発問の連続」
圧倒的なテンポ。どんどん頭を使わせる。

発問の良し悪しが授業の出来を分けます。
説明ではなく、発問によって考えさせ、発問によって理解させるのが理想形というくらい発問は練りたいものです。
毎回練るわけにもいきませんから、瞬間芸でそのような発問が閃けるようになっておきたいです。
そしてテンポ。
授業が上手い先生は皆授業のテンポがよいです。



「同じことを2度言わない」
生徒に一度で理解させる集中力を作る。重要なところを2回言うのが理解させるにはいいと思っていたが、上位の子には違うのかもしれない。

2回、3回とくりかえし言うのは生徒のためになりません。
生徒は、2回言ってもらえるだろうと油断して、一度目の話し始めを聞き漏らすようになるからです。
1回しか言わないのは「できる子」のためではなく、むしろ「できない子」のためです。
「できない子」の多くは、聞いて理解できないのではなく、ところどころを聞き落として分からなくなります。
そういう子には「聞く」訓練をしてあげないといけません。
教師の方が、くりかえし言わないとインプットできないだろうと言って、くりかえしてしまうと、生徒達はますます聞く力を落としてしまいます。
1回しか言わないのは一見不親切で冷たいように思えます。
しかしそうやっていると、どんな子でも段々聞けるようになってくるものなのです。(もちろん、その過程では聞き漏らしている子を見逃さないようにしなければなりません。)


「いきなり始まる、p60の3を解きます」
無駄を削り、生徒が自分で時間をとることを重視。オープニングでの暖めは本当にいるのか考え直す。

「オープニングの暖め」なんてなくていいと思います。いきなり授業に入るのをくりかえしていると、先生が教室に入ったときには暖気が済んでいる、という状態になります。


「顔をあげるのが早い」
緊張感のなせる技

私は説明が上手な先生やパフォーマンスが上手い先生が授業の上手い先生だとは思いません。
生徒を鍛え、教室をコントロールできている先生こそが授業の上手い先生だと思います。
授業の上手い先生の授業だと生徒の動きが機敏になります。



「笑いがどっと起きる」
集中力がある授業だからこそ。緊張と緩和。

私は生徒を笑わせるのが好きです。
雑談も好きです。
どっと笑った、そのすぐ後ですっと静まり返った集中状態に入る。
そういう教室を作りたいものです。



「5年6年が先生がいなくても黙々と集中して解く」
ここまでとは。本当にすごい。これは僕も自信があったが、もしかしたら負けているかもしれない。

SORAの受験をしない小学生達は先生が教えている中学受験生に伍していたでしょうか。
学習している内容は違えど、鍛え方で負けていてはいけないと思っています。



「ノックして失礼します」
礼儀の徹底。こういうことが生徒の授業に繋がる。言葉が届く状態を作る。

小さいことですけれど、大切なことです。
教育の場を作るのであれば、礼儀ほど大切なことはありません。
こういうことも子供達を伸ばすためにやっています。
もちろん彼らのこれからの人生のためにも。




I先生は私達の実践をきちんと読み取っておられる。

人がモノを見るとき、実は目で見るのではなく、脳で見ている。

脳にないものは見ることができない。

「あれども見えず」ということになる。

I先生が見ることができるのは脳にそれがあるということだ。