2011.11.30 Wednesday
2011.11.28 Monday
チラシの文章
2011.11.20 Sunday
期末試験勉強会
2011.11.19 Saturday
原点回帰
トヨタは1984年から1987年まで使っていた企業スローガン「FUN TO DRIVE」にAGAINをつけ、「FUN TO DRIVE AGAIN」という新たなスローガンを展開している。
(第一弾はビートたけしと木村拓哉を起用していた。これも盛大だ。)
会社の外にも内にも、会社が飛躍してきた時代の原点に回帰しようとしていることを大きくアピールしているようだ。
(日本は自動車産業と共に成長してきた、自動車は人生を楽しく豊かにする、等。そして我々は運転するのが楽しいクルマを作りたい、というところか。)
企業が時折、「原点回帰」を唱え、アピールすることがある。
「原点回帰」というフレーズは格好いいが、それは、「それまでは原点を見失っていました」ということを同時に意味する。
一度見失った原点にはそうそう立ち返れるものではない。
歌を忘れたカナリヤが歌を取り戻すのはそうそう易しいことではないし、企業の場合、原点を標したときにそこにいた「人」がすでにいないことも多いからだ。
トヨタもそれが分かっているからこそ、あれほど盛大なキャンペーンを張っているのではないか。(あのCMは自分たちを鼓舞しているようにも見える。)
人も企業も、変わらなければならないし、変わってはいけない。
変わってはいけない部分を変えないためには、人も企業も相当な努力をしなければならない。
それは放っておいたら変わっていくのが当たり前のものだからだ。
Nikon D700 + SIGMA50mm/f.1.4
2011.11.18 Friday
来訪者あり(2) 〜SORAの授業〜
これのつづき
I先生がSORAを見学しての感想を送って下さった。
一部を抜粋して掲載し、私のコメントというか、返答も書いておきたい。
I先生は気づいたことを箇条書きにしてくださった。
先生は組織の作り方に興味を示して、SORAを訪問することをしたそうであるが、実際にSORAを見たら、生徒の指導法の方に驚かれたようだ。
キャリア8年の真面目に仕事をされる塾の先生の目からは、進学塾SORAはこのように見えたということである。(一部割愛。青字部分はkamiesu)
「磨かれた言葉」「教えるではなく考えさせる」
生徒が自分で考えるために必要でかつ最低限の削られた言葉と発問。
私は授業は削ってナンボだと思っています。分かりやすくするために削るのです。
多くの先生は逆をやっていますが、しゃべればしゃべるほどわかりにくくなります。
「派手なパフォーマンスがない」
先生が主役ではなく、生徒が自分で考えることが主役にされている授業。書くのは簡単だが、これをやるのは生徒の力をつけるためにはと考え抜かれた正しい情熱がいる。
派手でパフォーマンス豊かな授業もありだとは思いますが、中には自分の授業に酔っている先生もいて、私はそういうのは好きではないです。
派手なパフォーマンスなく、生徒達を惹きつけたいと思っています。
「(生徒が)不要な発言を一切しない」
当たり前に行われている。これがとてもすごいすごい。どうやってしつけたのか。入校から意思確認をしているにしても、徹底ぶりがすごすぎる。
これはけっこう驚かれるのですが、私達にしたら至極当たり前のことなんです。
別に怒鳴り倒したりしているわけではありませんが、そのようになります。
「演習の時間を大量に確保する」
自分で出来るようになることに主眼を置かれている授業構成。演習時間をとらなければできるようにならないがここまで大量の問題時間を自分でやらせるとは。僕は必要ない解説をしていないか。
教室でできるようにするというのが理想です。
できるだけ教室で演習をさせて、ほんの少し課題や宿題でフォローできればよいなと思っています。(それでも難しいですが)
SORAは授業時間をしっかり取り、授業の雑味となる無駄を削って、この時間を確保しています。
「発問の連続」
圧倒的なテンポ。どんどん頭を使わせる。
発問の良し悪しが授業の出来を分けます。
説明ではなく、発問によって考えさせ、発問によって理解させるのが理想形というくらい発問は練りたいものです。
毎回練るわけにもいきませんから、瞬間芸でそのような発問が閃けるようになっておきたいです。
そしてテンポ。
授業が上手い先生は皆授業のテンポがよいです。
「同じことを2度言わない」
生徒に一度で理解させる集中力を作る。重要なところを2回言うのが理解させるにはいいと思っていたが、上位の子には違うのかもしれない。
2回、3回とくりかえし言うのは生徒のためになりません。
生徒は、2回言ってもらえるだろうと油断して、一度目の話し始めを聞き漏らすようになるからです。
1回しか言わないのは「できる子」のためではなく、むしろ「できない子」のためです。
「できない子」の多くは、聞いて理解できないのではなく、ところどころを聞き落として分からなくなります。
そういう子には「聞く」訓練をしてあげないといけません。
教師の方が、くりかえし言わないとインプットできないだろうと言って、くりかえしてしまうと、生徒達はますます聞く力を落としてしまいます。
1回しか言わないのは一見不親切で冷たいように思えます。
しかしそうやっていると、どんな子でも段々聞けるようになってくるものなのです。(もちろん、その過程では聞き漏らしている子を見逃さないようにしなければなりません。)
「いきなり始まる、p60の3を解きます」
無駄を削り、生徒が自分で時間をとることを重視。オープニングでの暖めは本当にいるのか考え直す。
「オープニングの暖め」なんてなくていいと思います。いきなり授業に入るのをくりかえしていると、先生が教室に入ったときには暖気が済んでいる、という状態になります。
「顔をあげるのが早い」
緊張感のなせる技
私は説明が上手な先生やパフォーマンスが上手い先生が授業の上手い先生だとは思いません。
生徒を鍛え、教室をコントロールできている先生こそが授業の上手い先生だと思います。
授業の上手い先生の授業だと生徒の動きが機敏になります。
「笑いがどっと起きる」
集中力がある授業だからこそ。緊張と緩和。
私は生徒を笑わせるのが好きです。
雑談も好きです。
どっと笑った、そのすぐ後ですっと静まり返った集中状態に入る。
そういう教室を作りたいものです。
「5年6年が先生がいなくても黙々と集中して解く」
ここまでとは。本当にすごい。これは僕も自信があったが、もしかしたら負けているかもしれない。
SORAの受験をしない小学生達は先生が教えている中学受験生に伍していたでしょうか。
学習している内容は違えど、鍛え方で負けていてはいけないと思っています。
「ノックして失礼します」
礼儀の徹底。こういうことが生徒の授業に繋がる。言葉が届く状態を作る。
小さいことですけれど、大切なことです。
教育の場を作るのであれば、礼儀ほど大切なことはありません。
こういうことも子供達を伸ばすためにやっています。
もちろん彼らのこれからの人生のためにも。
I先生は私達の実践をきちんと読み取っておられる。
人がモノを見るとき、実は目で見るのではなく、脳で見ている。
脳にないものは見ることができない。
「あれども見えず」ということになる。
I先生が見ることができるのは脳にそれがあるということだ。