生還5

今日は特色選抜の発表の日であったが、私は朝から病院で検査。

県立医大病院はとてもシステマチックな体制ができていて、あちらこちらに行かされるものの、スムーズにレントゲンと心電図と採血と検尿をすませることができた。

薬と節制のおかげで、ここ数年のうちで一番体調がいい。 

(しかし、もしかしたら風邪をひいたかもしれない。風邪などをひくのが一番よくないだろうに。)







退院して初めて中3生の前に立ったとき、「生きて帰ってきましたー!!」と大きな声を出し、入院中のことなどを明るく面白く語った。

生徒達に安心させるためにわざとそうした。

生徒達も最初は固かったが、大笑いしながら話を聞いていた。

ただ、私は話の中で何度も「死ぬ」という言葉を使った。

生徒達を安心させるというならば、そんな言葉は控えるようにするべきかもしれない。

それでも私はあえてしっかりとその言葉を何度も口にした。

それは、「死」はどこか遠くにあるものではなく、時にに自分のすぐ隣に存在するのだということを彼らに伝えたかったからだ。

そしてもうひとつ。

私は彼らの親御さんとそう年齢が違わない。

親のことをよく見、気遣ってあげてほしいということも伝えたかった。

特に「脳」と「心臓」はいきなり命を持っていってしまう。

吐き気と頭痛がいっぺんに来ているときは脳が深刻な状態になっていることがほとんどだから、絶対にすぐに救急車を呼んで動かさないこと。

言葉が出にくいとか、体の半分がしびれるなんていうときも同様。

(私は母親と電話で会話をしていて、あれ?ちょっとおかしいぞと思い、無理矢理病院へ連れて行ったら、小さな脳梗塞ができていたということがあった。発見が早かったので大事に至らずにすんだ。)

親は子供の体の不調には敏感だけれど、自分の体は意外に心配しないものなので、君達が気遣うこと。

そんな話をした。

受験直前であるが、とても大切なことであるし、何といっても身近にいる人(私)の生々しいエピソードがある。

伝えるべきタイミングであったろうと思う。

「命を守り、大切にすること」を子供にしっかり伝える使命がすべての大人にはある。







病院を出たとき、一校目の発表の結果を電話で聞いた。

気温は低いがよい天気で、春の気配も少し感じるような日差しだった。

生徒達皆に早く春が来ますよう。








生還4 〜御礼参り〜

 命拾いしたので、大神神社に御礼参り。



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医者から「あなたはもうフルマラソンなんてできませんよ」と言われた。

するつもりもないので全然ショックじゃなかったが、医者はそれでも足を鍛えておきなさいと言う。

足は第二の心臓の役割を果たしていて、足をしっかり鍛えておくと、心臓の負担がかなり減るらしい。

今更女の子にモテたいわけでもないのでなかなかダイエットをするモチベーションなんて今まで全然上がらなかったが、心臓の負担を減らすためと言われれば話は別。

とりあえず体重を落として足を鍛えることにした。

毎日のように神社の砂利道を歩いて、足を鍛え、森の空気を吸うのは相当体によさそうだ。

大鳥居に近いところにクルマを停めて、大神神社から狭井神社を回り、久延彦神社を回ってくれば、一時間近くになるし、適当にアップダウンがあるので理想だ。



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写真を撮ったりしながら、少し早目に歩く。





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教え子の中には医学を学んでいる子もたくさんいて、私の短い症状を説明する文章から病名を推察し、メッセージをくれる子もいた。

入院中、医師として働いている教え子にも偶然会った。

彼は夜に病室までわざわざ来てくれた。



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最近は母親のことで、医者や病院に対してかなり不信感を持っていた私であったが、今回の入院で見方がかなり変わった。

お医者さんも看護師さんも皆立派で熱心で優しくどの患者さんにも対応されていたのに感心しきりだった。(やっぱり病院次第なのだろうなと思った。)

SORAにも医大の医学科や看護科の学生スタッフがいる。

彼らにも、そして教え子諸君にももああいう立派な医者や看護師になってほしいと心から思った。




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それにしてもいつもながらに思うが、私は強運だ。

神様に「ありがとうございました」と何度も繰り返した。

死にかけておいて「運がいい」なんておかしいじゃないかと思われるかもしれないがそうではない。

困難のない人生などなく、どんな強運の人にも困難はやってくる。

「大難を中難に、中難を小難に、小難を無難にする」が運の強い人の基本である。

今回、私は大難を小難くらいにおさめてしまったので、やっぱり強運だと思うのである。

運の強い人が運の強さに思い上がると、運は落ちていく。

だから神様にお礼を申し上げ、頭を垂れて謙虚に生きていかなければならない。

「死」というものが自分の直ぐ傍をかすめていくと、人は人生観が変わるというがそれは本当だった。

どんな心配事の死ぬことに比べたらさほどのことではない、と思えるようになった。

そして、ここから先は拾った人生、自分のやりたいことと、やらなければならないことをガンガンやっていきたいと思えるようになった。

ただし、せっかく伸びた命を雑に使っては神様にも周りの人達にも失礼極まりないので体は大切にしながらで、という条件付きで。

多くの方にご心配のお手紙やコメントをいただいた。

保護者の方がこんなコメントを下さった。

「偉そうなことを言って申し訳ないんですが、他人の子供より自分の体と家族の事を大事にして下さい。これで何かあれば塾生の親として、ご家族に顔向け出来無いですよ。」

ご心配をおかけし、申し訳ないと思う一方でとても有難い気持ちになった。

SORAの生徒は私が2週間授業を抜けただけで動揺するような育て方はしていないとはいうものの、ご迷惑をおかけしていることにかわりはない。

それでもこのように言っていただけるのである。

私達は素晴らしい人達に囲まれながら日々仕事をすることができている。

やはり私は相当に運が強い。



(つづく)

生還3

 少しずつ授業をし始めている。

様子を見ながらゆっくりと動くことにした。

まずは中3生の授業から。

今までなら、退院していきなり授業を全部やっていただろう。

他の学年ももちろん気になっているが、今回は無理をしないことにした。

実は塾の先生が突然亡くなるケースというのは少なくない。

今回、入試や生徒募集の真っただ中、病院へ行ったのは、そういうケースが数多くあり、また身近な人にも危険があったということが頭をよぎったからである。

それが「万が一」から私を救ってくれた。

塾講師というのは、不規則な生活、毎年必ずやってくる受験のプレッシャー(生徒達にとっては一回きりでも私達は毎年同じことが続く)など、心も体もなかなか休まることがない。

何せ、相手はスレた大人と違って、子供達である。

ついつい「子供達のために」と無理をしてしまう。

亡くなるのは個人塾の塾長か、大手塾の中間管理職先生という場合が多い。

無理矢理でも働いてしまう人か無理矢理に働かされている人である。

私はSORAを作ったとき、生徒達がハッピーで、通わせる親がハッピーで、働く人がハッピーで、そして私がハッピーでいられるような、そんな塾にしたいと思った。

「相手をハッピーにしたいという思い」が「愛」で、「愛とガッツの進学塾」とSORAのコピーにつけているのはそういう理由である。

生徒達がハッピーでいるためには、働くスタッフ達がハッピーでなければならないと思い、給料は高く、負担はできるだけ少ないようにと思い、努力をしてきた。

大手塾の講師が勤務時間の中で、授業時間以外で、生徒達のために使っている時間はおそらく10パーセントあればいい方だと思う。

報告書や生徒募集のためのアイテム作り、会議など、生徒のこと以外にやらないといけないこと、生徒のこと以外に気がかりなことが山ほどある。

だからなかなか生徒のことを考える時間が取れない。

それでは生徒はハッピーになれないし、先生もハッピーになれない。(よい仕事ができないというストレスはとても大きい)

「○○は最近ちょっとやる気が起きてないよなあ。□□はよく頑張ってるなあ…」なんてことを考える時間を持つのはとても大切なことで、そのためにはある程度時間の余裕が必要だ。

スタッフがそうすることができる時間を作ることは最終的に生徒達の「ハッピー」につながる。

また、密度の濃い指導を行い、質の高い仕事ができるという意味では、それはスタッフ達の「ハッピー」につながる。

そう思って、できるかぎりスタッフ達には教務の仕事に専念できる環境を作ってきた。

そうしてたら、そのしわ寄せが実は「私」のところに来てたというわけだ。

当然のことながら、私が入院している間も、塾は運営されなければならない。

病室に報告書を持ってきてもらい、確認して指示を出す。

これらを毎日、ほとんどを書面で行った。

スタッフ達は私のいない間、本当に協力して頑張ってくれた。

SORAのスタッフ達は対生徒のこと、教務のことに関しては緊急事態の中、見事に動いていたと思う。

SORAのスタッフの底力を感じた。

しかし、その一方で、私は入院している間も酸素のチューブをつけながら、仕事をせねばならなかった。

会社を運営するということに関してはとても未熟だったと思う。

会社を動かす基本知識の薄さや、「非日常」な状況の中での対応力、コミュニケーション力などに関しては、力不足を大いに感じた。

彼らは、自分達がいけてるつもりだったラインに、全然自分達が到達していなかったことを実感しただろう。(そう思ってくれてないと困る。)

それはある意味当たり前で、それらは私ができるかぎりそういうことへの負担のないようにしてきたからそうなのであるが、彼らもそれをに胡坐をかき、無関心過ぎたと思う。

しかしもちろんそれらもひっくるめてそれは全部私の責任だ。

私も彼らもお互いに反省をし、これからはよりよい体制に変えていかなければならない。

「あなたもハッピー、私もハッピー」でなければならないのに、「あなたをハッピー」にするために私が無理をしていてハッピーになれないというのではいけないのだ。




(つづく)



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OLYMPUS XZ-1  朝、病室の窓から撮る。美しい朝日。











生還2


下の写真は病院に担ぎ込まれるほんの二日前にブログにアップしていた写真である。

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そこからたった二日で、あの「日常」がまったく消し飛び、今はたくさんの管につながれ、ICUで寝かされているというこの感覚。

人間なんてあっという間に死んでしまうことだってあると実感した。

聞いて分かっていたはずのことと、自身の体験として経験するのとは天と地の差があるのだ。

しかし、このようなことは後から考えたことで、私はこのとき、塾のことばかり考えていた。

家のことは?と家内からは突っ込まれそうだが、正直、このとき私は塾のこと、正確に言うと、塾の中3のことばかりを考えていた。

タイミングは奈良の私立の発表が始まった時で、数日後には県外の私立高校の入試が始まるという頃である。

私は家内に紙とサインペンを持ってくるように頼み、中3へのメッセージを書いた。

寝ながら書くことになるので、ペンは立てて使うことになる。

ボールペンは立てて書くと、すぐにインクが出なくなる。

それを考慮してサインペンを持ってきてと、こういうときに何て冷静なんだろう俺、と書きながら苦笑してしまった。

家内はそこから退院の間、塾と私の連絡役として走りまわってくれた。

ただただ感謝である。


さて、ところで、一体私の体がどういう状態になってこういうことになっていたかというと、心臓の動きが悪くなっており、血液を循環させづらくなっていて、肺に水が溜まっている状態だった。(原因はウイルスやら何やらと色々あるらしい。)

息苦しかったのはそのせいだ。

呼吸ができないところまで水が溜まってしまったり、心臓が止まってしまったりしては大変である。

利尿剤を入れ、この水を抜かなければならない。

治療はそこから始まった。




続く


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病院は陰の気が流れているところが多いが、県立医大病院の病室は穏やかな気が流れていた。

一般病棟に移ったときに撮った一枚。






生還

久しぶりの更新になるが、実は2月8日から昨日まで県立医大病院に緊急入院していた。

2月8日の朝、起きたら息苦しかったので、東大寺学園と帝塚山高校の発表に行った後、夕方、医者に行った。

「あ〜、こりゃいかん。緊急入院です。これは二週間から三週間くらいやな。」

先生がエコー診断をしながらこう仰った。

「いや、僕は塾をやっていて、二週間も入院なんてできないんですけれど…」

と私が言うと、

「あなたね、明日にも死にますよ。」

と、先生は少し語気を強めて仰った。

私は塾に連絡をし、二週間ほど帰れないということを伝え、指示を出し、どうやら万が一のことだってあるかもしれないということもつけくわえた。

クリニックには救急車が呼ばれ、そこから奈良県立医大病院へ直行。

私は何度か救急車に乗ったことはある。

それはすべて尿路結石で、この病気は大の男が激痛で叫び声を上げるほどのものだが、命に別状はまったくない。

だから、こちらの緊迫感ほどには救急隊員の方は力を入れてくれない感じで、いたって冷静で若干冷ややかなくらいに見えたものだった。

が、今回は違う。

やたらと救急隊員の方は緊迫感で満ちている。

本人はちょっと息苦しい程度なのに、隊員の方の緊張感が尿路結石のときとはまったく違う。

事の重大さが段々と分かってくる。

病院に着くと、集中治療室(ICU)直行。

酸素マスク、左腕には点滴二本、右手には酸素飽和度計。

そして極めつけは尿道のカテーテル。

つまりそれはトイレにも行かせてもらえないということ意味する。



続く



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OLYMPUS XZ−1 入院してから食事が食べられるまで50時間以上かかった。





(塾生や保護者の皆さまにはご心配をおかけいたしました。無事生還いたしました。)