2012.07.31 Tuesday
2012.07.30 Monday
夕立の後
2012.07.30 Monday
何処かで誰かが
ここ最近、ブログのアクセス数が多い。
昔と違って、毎日更新しているわけではないので、一日のアクセス数が700〜800というところだったのが、最近は一日平均1200以上ある。
昨日、久しぶりにアクセス解析をしてみたら、変わった数字が出ていた。
初めて私のブログを訪れる人が一日で250人以上いたのである。
これは「何度目の訪問か」という項目をチェックすると分かることになっている。
いつもなら、私のブログに初めて訪れる人は一日平均70人前後だから、これは群を抜いている。
リンク元を辿ってみても、別にどこかのサイトで紹介されたわけでもない。
どこか有名なサイトにでもリンクが貼られたわけでもないのに、初めてサイトを訪れる人がこんなに増えるのは変だ。
どこかで誰かが、ご自身のメルマガにでも書かれたか、大勢の人に紹介でもしないとこういうことにならない。
たぶんどちらかだろう。
いい紹介のされ方ならいいけどね(笑)
GR DIGITAL4
2012.07.28 Saturday
私達は日々闘っている
今日、中3の授業でのこと。
宿題にしていた問題集の問題を解説をしようとして、念のため、その中の問題をもう一度解かせてみた。
その中の一問。
A foreigner spoke to my son in the park. (受動態に書き換えよ)
答えが間違っている子、My son was spoken by a foreigner in the park. と書いている子に宿題をやったノートを持ってこさせた。
何名かの子がノートに解いた問題ではなんとキレイに正解を書いていた。
英語を教えている人なら分かっていただけると思うが、この問題はいわゆる群動詞の受動態というヤツで、speak to を他動詞のように見立てて、be spoken to で受動態にする、ということを知識として持っていないとできない問題である。
わかっていればできるし、それを知らないと絶対にできないという問題である。
ひさしぶりにやったのならともかくも、数日の間にできていたことができなくなるということはない。
一人の子に、「お前さあ、答え写しただろ?」と聞くと、「いえ、自分でやりました」と答える。
「じゃあ、なんで今、できてないの?」と聞くと、「いや、やり方を忘れて・・・」なんて言う。
「いや、これはそういう類の問題じゃないだろ。昨日はできて、今日はできませんということはないです。一度できたら、一日二日でできなくなるような問題じゃない。答え写したでしょ?」
「いえ、自分でやりました」
「うーん、別にいいよ、お前、家でさ、先生に答え写したって決めつけられて、授業中叱られたって、親に言っても。たいていの大人はそれでさ、お前の親御さんが苦情でも言ってきたたりしたら面倒臭いからここまで言わない。でも、俺は言うよ。で、お前の親御さんに言うわ。自分できちんとやってこうなったなんて考えられないって。俺はそんなところで面倒臭いって逃げたりしないから。ていうより、俺が家に電話するよ。親御さんに言うよ。お子さんは宿題答え写してきてるのに、自分でやりました、なんて言ってるって。さて、もう一回聞くぞ。お前、本当に写さずに自分でやったって言うんだな?」
「いえ・・・、その問題だけは解答見て、調べて答えを書きました。(言い分が変わる。しかもこの言い分!)」
「あのな、この問題はさあ、解くときに、迷うような問題じゃないの。間違った後でなら、なんでこうなるんだろう?って思うことならあるけれど。解くときに、この問題の答えはどうなるんだろう?って迷う問題なんかじゃない!」
「いえ、本当にそう思って書きました。」
「じゃあ、なんで今、迷わずに間違った答えをスラスラ書いて何とも思わないんだよ。そこまで迷って、調べて書いて来ているのに、今もう一回解かされて、正解も書けず、筆も止まらず、間違った答えをスラスラ書くなんておかしいじゃないか!」
文字だと私が生徒を疑い、決めつけ、その言い分も聞かずに叱っているみたいに思われるかもしれないが、よく読んでいただければ、わかっていただけると思う。
中には、ごまかしはしていないものの、記号の問題だけ適当に答えて、英文をズラズラと長く書かないといけない問題は全部分からなかったことにして、バツをつけて持ってきていたという子もいた。
「なんで何も書かずにバツなんだ。」と問うと、「いや、本当に分からなくて・・・」というのだが、もう一度やらせたノートには、スラスラきちんと答えが書かれている。
まるで白紙などということになるはずもない。
私達は日々こういうことと闘っている。
こういうことは親御さんが思っていらっしゃる以上に教室の中で起こっている。
しかもこういうのは、下手な言い方をしてしまったりすると、トラブルになったりもする。(生徒が自分の都合のいいように親に言うことだってある)
そういうのが面倒くさくて、見て見ぬふりをする、なんていう先生も少なくない。
「◯◯塾は厳しい」などという評判が立ってしまうと、生徒が減ってしまうかもしれない、そんなことをちょっとでも思うと、そういうことは避けたいと思うようにもなるだろう。
しかし、時には、親とトラブルになったり、塾の人気が落とすかもしれないリスクを背負ってでも、それをきちんと指摘し、火の位をもって、厳しく生徒と接することができないと、生徒達を伸ばすことはできない。
その「覚悟」は、優秀なカリキュラムや教材、「分かりやすい授業」の何倍も大切なことだと思う。
SIGMA DP2x 飛行機が作った空気の流れが、湧き上がった入道雲を流してゆく
2012.07.27 Friday
まだアルファベットなんてやってますが何か?
小5の夏期講習生の授業は今日で4日目。
生徒達にはアルファベットを勉強させている。
何度も何度も発音し、何度も何度も書かせている。
根を詰めて「書く練習」をした経験が少ないのか、手が痛くなって、手をプラプラさせたりする子も出てくる。
宿題にして、家で書かせればよいと言われるかもしれないが、家で書かせると、やらない子も出てくるかもしれないし、間違えたまま練習をする子も出てくる。
最初の練習はできるかぎり先生の目の前でやらせることが大切なのだ。
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「難しいことをやっているのがエライ」という風潮を後押ししたのはきっと進学塾だと思う。
自塾の優位性をアピールするために「こんな難しいことはウチの塾でしか教えてないぞー」「ここまでこの時期に進んでいるのはウチの塾だけだ」なんていうことをやるものだから、しっかりゆっくり教えられている子が焦ってしまったりするようなことも少なくない。(そういう塾の狙いどおりだ)
親も「こんなにゆっくりしていて大丈夫かしら」なんて心配になる。
しかし基本はみっちり教えられるべきだ。
どんな優秀な子であっても、基本は大切だ。
たとえばスポーツの世界で、才能豊かな子だからといって、この子は基本はそこそこでいい、なんて指導者が考えるだろうか。
後々大きく飛躍させるためにも、みっちり基本をやらないと駄目なのはスポーツも勉強も同じなのだ。
基本の基本をしっかりやって、進むスピードについてはどこかで加速させればいい。(そういうことができるタイミングが必ず訪れるものだ)
その方が結局は学習は早く進む。
最終的に高い力をつけるために、ゆっくりと進み、基本を大切にするのだ。