早咲きの桜

 家の前の早咲きの桜が少しずつ咲いてきた。

それでも例年より少し遅いくらい。


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せっかくの休みなのに、季節外れの風邪をひき、何もしていない。








最後の言葉

 13日に公立高校の一般選抜入試があり、18日が発表。そして昨日が中3とのお別れ会。

この中3は本当に手のかかり、進学塾SORA始まって以来最も学力の低い学年で、正直に告白すると、何度もどうなることかと思い続けた学年であった。

SORAは入塾試験を行っていたり、「奈良・畝傍・郡山を目指す塾」なんて看板に書いてあるから、毎年毎年、勉強ができる子ばかりが集まっていると思われがちだが、けっしてそんなことはない。

しかしながら、学年が上がるにつれ、入試が近づくにつれ、彼らの態度には落ち着きが出、勉強に集中できるようになり、勉強時間も増えていった。

夏の合宿では学力の高かった一つ上の学年よりたくさん質問をするまでになった。

いつもの学年よりもたくさん叱ってきたが、それでも私達を信頼してついてきてくれた。

学力ももちろん伸びた。

最終的な学力の高さでは先輩達の学年には及ばなかったが、学力の伸び率では、歴代1位の成長を見せてくれた。

生徒達の「現状」を捉え、そこからどう「道」を作り、導いていくか。

「学力が高くないし、真面目でもないからこの子達はこんなもんだろう」そんなふうに思っていては子供達を伸ばすことはできない。

「現状」だけを見てはいけないし、「現状」を見ないで「ゴール」だけを設定してもいけない。

教える側の力量と忍耐力、そして生徒達を信じる力が試された学年であったと思う。

そして私達の思いに応えてくれた学年であったと思う。

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今年の公立入試は、公立を志望する生徒がべらぼうに多く、一部の学校の倍率が大変なことになった。

特に畝傍高校の合格ラインはとんでもないことになっていて、おそらくここ7年、つまりSORAを作って以来、もっとも高いラインになった。

もちろん、進路指導は最後の最後でそのラインに合わせて行ったが、やはりどうしてもその学校を受けたいと思う子はいる。

しかし、そうであっても、その子達を合格させてあげるのが私達の仕事である。

彼らは頑張り、そして私達も全力でサポートをしたが、今年は合格させてあげられなかった子を例年より多く出してしまった。

彼らの最後の頑張りを見てきたので、言っても詮無いことではあるが、いつもの年ならば合格することができただろうと思わずにはいられなかった。



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最後のお別れ会で私がいつも言うことは一つ。

「高校へ行ってもしっかり勉強しろ」ということである。

お別れ会は「最後の場」である。

私達が彼らに伝えたいことを伝える「最後の場」だ。

「最後の場」だからこそ伝えられる、伝わる言葉がある。

最後まで伸び続けてきた彼らだからこそ、これからも伸びていってほしい。

その思いを最後のメッセージに託した。



生徒諸君、学びはこれから一生続きます。

学びに見返りを求めず、ただただ学び続けていく、そんな人になってほしいと心から願っています。




中3全授業終了

中3のすべての授業が終了した。

いよいよ君達は最後の勝負に向かう。

最後の授業は当たり前のことを当たり前に淡々とこなして終わった。

この期に及んで、やれ「傾向対策」だの、「予想問題」だのといったものは必要ないし、生徒達が涙を流しながら話を聞いているような熱い激励会も必要ない。

何やらあっさりしすぎていて、君達はちょっとばかり不安を感じるかもしれない。

でも大丈夫。

私はこの業界に長くいて、「一流」がどういうことをやっているかを知っているつもりだ。

進学塾SORAのやってきたことはどこの塾にも負けない「一流」のレベルだ。

うぬぼれるつもりでも何でもなく、そう思っている。

だからSORAでは最後まで生徒達が学力を伸ばすし、第一、君達の先輩達がそれを証明してきたようにSORAの生徒は入試に強い。

そういう指導を受けてきたことは、間違いなく当日の君達の戦いの大きな支えとなるだろう。

それでも私達にできるのはここまで。

何だかんだ言っても、受験は一人ぼっちの戦いだ。

強い心を持って、しっかり一人で孤独に戦わなければならない。

その覚悟を持つことを忘れてはいけない。(それを教えてきたからこそ、SORAの生徒は入試に強いのだとも言える)

君達がベストを尽くせることを祈っている。

頑張れ。




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猿沢池の亀が冬眠から目覚め、太陽の光を浴びている。最大限に光を浴びようとすれば当然皆同じ方向を向くということになる。首が伸びているのも受ける光の量を最大限にするためだろう。小さな命が与えられた環境の中で今できることを精一杯行っている。人もまたそうでなければならない。生徒達の最後の勝負の前に大変よいものを見ることができた。吉兆だと言祝いでおこう。


勉強ができるようになるための小さな訓練

ジャズを聴くとき、ジャズ好きはプレーヤーが次にフレーズやコードをどう持っていくか、無意識の内に予測をしながら聴く。あまりにも当たり前で、予想通りの演奏をされてしまうと、それを退屈な演奏と感じるし、いい形で予想を裏切られると、「名演奏」だと唸る。

勉強ができる子というのは、先生の話を聞くとき、常に話がどう進んでいくのかを予測しながら聞いているものである。話を聞きながら、話の先の予測を立て、先生が何かを問うたなら、無意識の内にその「答え」を考えている。ぼうっとしていても、頭のどこかで無意識の内に「答え」を探していたりする。勉強のできる子は先の見えにくい話をされるのを嫌がるが、そういうのは下手糞なジャズを聴かされているのに似ているのかもしれない。

勉強ができない子というのは、それとは逆に「話」に反応できていないことが多い。話の進む方向を予測しながら聞いてないので、大切なことが出てきても「センサー」が反応せず、「聞いているが聞いていない」状態になってしまっている。

『leave Tokyo は「東京を出発する」、leave for Osakaは「大阪へ向かってどこかを出発する」っていう意味。じゃあ、leave Tokyo for Osakaだとどういう意味になりますか?」

こういうのは知識を問うている発問ではない。別にleave A for B だなんて知らなくても、先に述べたような聞き方ができていれば答えられる。しかし、勉強ができない子、成績は悪くないけれど、伸び悩む子の中には、「わかりません」と即答してしまう子がいるのである。人の話を聞くとき、あるいは授業を聞いているとき、情報を「処理」をしながら聞けない(聞かない)ままだと、いくら勉強時間を増やしても、伸びていくのは難しい。

これは「能力」の問題というよりも、脳の使い方の「習慣」の問題である。先を読み、予測を立てる「習慣」を身につけていけば、覚える力や理解する力は大幅に伸ばすことができる。そういった意味で、頭はよくすることができるのだ。

『itが「それ」なんだから、「それら」っていうのはitsかな?えっ、ちがうの!theyっていうのかあ。へー。』

どの子にもこういう話の聞き方や、あるいは本の読み方、問題の解き方をしてほしい。もちろん、先生は話し方や説明の仕方を工夫するべきだが、先生がその工夫をするだけでそのような力がついていくかというとそれはかなり難しい。生徒達自身もそういう聞き方ができるようになる訓練や努力を自らやろうとしなければならない。「先生がさあ、楽しく面白く、興味を持てるように授業をしてくれれば俺だって勉強ができるのに」なんて言っている子は多分勉強ができるようにはならない。

では、習慣を変えるためにどこから努力すればよいか。極めてシンプルな方法がひとつある。それは授業中、先生の話が分かったら、フンフンと頷き、わからない、わかりにくいと思ったら眉間にシワを寄せ、首を捻るのである。勉強ができる子というのは授業中、必ず体が「反応」している。分かった瞬間に、大きく息を吸ったり、指先が動いたり、目が大きくなったりしているものなのである。意識が体に表出するならば、身体を動かして、意識を変えていけばいい。

頷いたり、首を捻ったりするためには、「自分が今、この説明を理解できたかどうか」ということを常に自分自身に問いかけ、確認しなければならない。授業を受けるときの集中力が増すことは言うまでもない。最初は意識してやっていても、ずっとそうしていればそれが段々と習慣になり、やがて意識せずともできるようになる。「勉強ができる子」と同じように。




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