2013.05.29 Wednesday
大和軒のニラ炒めが美味かった話もしくは10と9の間
この間、天理の大和軒(中華料理の方)へ行って食べたニラ炒めがやたらと美味かったので、ここ数日、家でニラ炒めばかり作って食べている。
大和軒は大衆中華料理屋で、値段は安いが味はとびきりいい。私が中学生の頃から通っている店だ。ちゃんぽんや中華丼、チャーハンの美味さったら言いようもない。この店の中華そばを食べてみてほしい。当たり前の中華そばがこんなに美味いのかと驚かれると思う。
私はけっこう料理上手な方なので、手を抜いたような店の料理より美味いものを作れるとうぬぼれているが、ニラ炒めを毎日作っていても、大和軒のそれにはとてもかなわない。大和軒の美味さを10としたら、私の作るニラ炒めは9くらいだ。
10と9じゃほとんど変わらないじゃないかと思われるかもしれないが、それはちょっと違う。10というのは完璧ということなのである。9というのはなかなか素晴しいが、それは完璧ではない。だから5と6や7と8の間と違って、10と9の間には途方もない差がある。9と10の間の距離は0から9までの間に等しい。ちょっとの差は途方もない差なのだ。
10と9じゃほとんど変わらないじゃないかと思われるかもしれないが、それはちょっと違う。10というのは完璧ということなのである。9というのはなかなか素晴しいが、それは完璧ではない。だから5と6や7と8の間と違って、10と9の間には途方もない差がある。9と10の間の距離は0から9までの間に等しい。ちょっとの差は途方もない差なのだ。
仕事でも勉強でも何でもそうだ。仕事を9割仕上げてから、そこから10にもっていくときの苦労は0から9割まで仕上げたときの苦労と同じくらいのものだと思うし、また仕事とはそうでなければならない類のものだと思う。勉強もまた同じで、試験範囲の9割をあらかた勉強してから完璧に仕上げるのが大変なのだ。
昨日、中1の生徒達、小学生のときから塾へ通っている子達のクラスで、中間試験の勉強が全体的に甘かったことを説教した。ある子に、勉強したのか?と問うと、その子は「しました」と答えた。私がそれに重ねて「じゃあお前の全力を100パーセントとして、何パーセントくらいやったって言うの?」と訊いたら、「7,80パーセントです」なんて答えるのである。
「皆が走るレースで、自分一人、8割の力で流してレースに勝てるわけないだろう。お前がやった、と言っているのは、走りました、と言っているだけで、勝とうとしました、ではないんだよ。試験勉強で、8割の力で、なんて言ってるのは、一応レースには出ますけれど、勝つつもりはまったくありません、って言ってるのと同じことなんだよ!お前そういうつもりで試験受けたの?」
「皆が走るレースで、自分一人、8割の力で流してレースに勝てるわけないだろう。お前がやった、と言っているのは、走りました、と言っているだけで、勝とうとしました、ではないんだよ。試験勉強で、8割の力で、なんて言ってるのは、一応レースには出ますけれど、勝つつもりはまったくありません、って言ってるのと同じことなんだよ!お前そういうつもりで試験受けたの?」
そう訊くと、もちろんその子は首を振った。
9割仕上げて、そこから10割へ持っていくのも途方もないのに、8割程度で流していたのでは点数が取れるわけもない。よく考えてみてほしい。勉強がある程度できる子ならば、定期試験、500点満点中400点を取るのはそう難しいことではない。しかし450点から上は途方もない努力が必要になってくる。450点と470点の間の20点は350点と370点の間の20点とは別物なのである。
点数なんかはまず置いておいてもいいから、まずは生徒達に9割先を仕上げることが途方も無いことだということから学ばせなければならない。また、未熟な自分の「完璧」はせいぜい7割程度のことなんだということも学ばせなければならない。それを理解し、自覚しないかぎり本当の成長はない。
私のニラ炒めも、本人は9だなんて言っているが、当然、これもよくて7くらいのものに決まっている。だから、それを自覚しない限り、大和軒のニラ炒めには近づけるはずもない。そういう努力をする必要があるのかどうかは別として。(そんなことを書いていても本人は絶対に9と思っているところがタチの悪いところである。だからきっと生徒達もそうなのだろうと思っている。)