畝傍高校の文化祭に行ってきた

 昨日は朝から塾のスタッフ連中と高校の文化祭へ。

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この学校は一年が展示をやり、二年がダンスパフォーマンス、三年が模擬店をやるということになっていて、朝から高2生のダンスの写真でも撮ってやろうということで、朝一番から出かけていった。

事前にウチの生徒達の出番の時間と立ち位置なんかも紙に書いて提出させるという念の入り様で生徒達はさぞかし面倒くさかったろうと思う。おまけに学校で私に会ったら「せんせ〜!」と駆け寄ってきて、ちゃんと「ちやほや」するように言いつけておいた。ますます面倒くさい(笑)

生徒達は夏休みの間、特に盆が明けた頃から、朝から3Fの勉強部屋で勉強、昼から学校へ行き、文化祭のダンスの練習をして、また夕方から塾へ戻って勉強。頑張っている子はそんなスケジュールで動いていたので、だいたい彼らがどれくらいの練習時間を割いて、ダンスを仕上げたかは想像がつく。さすがは進学校だけあって、あれくらいの時間であれだけ仕上げたのなら大したもんだと思って見ていた。

塾生全員の写真を撮らないといけないものだから、ステージをずっと見ていたのだが、文化皆とても優しい。ダンスのMCがスベっても、バンドのボーカルのピッチがずっと不正確でも、皆「イエー!」と盛り上がってくれる。少なくとも私が中学や高校のとき、私の中学、高校ではそうではなかった。ちょっとでもつまらないことを言ったり、したりしたら、すぐに「ブーイング」の声が上がったものだった。そんなのに比べると本当に皆優しく、その代わり、少し甘くてヌルい、そんな気がした。


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お互いがお互いを気遣ってうまくやろうとする。仲良くやろうとする。それは素晴しいことなのだけれど、それでも私はこれでいいのだろうかと思った。皆が足並みを揃えて同じように歩いていく、今の高校生の「あの感じ」はこういう環境から生まれたものではあるまいか、と思ってしまうのである。

以前にも書いたが、青春というのは光と影があり、今の時代の青春には影の存在がないがごとくになってはいないだろうか。もちろんそれがないはずはない。たしかにそれはあるはずだが、「ないはず」のものに出会ったとき、彼らはそれをどう処理するのか。若者の成長には孤独と葛藤が不可欠だと私は思っているが、彼らの青春には「孤独になる覚悟」が生まれにくいのではなかろうか。

そんなことをチラリと思い、彼らの「青春の煌めき」を眺めさせてもらいながら、この子らがしっかり自らの「牙」を研げるよう、色んなものを仕込んでおかねばということを思った。


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