『戦いはスポーツだが勝つことは思想だ』

今日第一志望の大学に合格することができた。人生で一番嬉しい瞬間だった。

自分の番号を見て、本当に涙が出てきた。ボロボロ泣いた。合格してたら、よっしゃーと叫ぶつもりだったのに全然できなかった。声の出るような状態じゃなかった。この喜びの大きさは、一年半の苦しさと引き換えだ。kamiesu先生は「人は苦しみの中からしか学べない」と言ったが、それは本当だと思う。苦しかったからこそ学びは大きいし、手にしたものに対して心から嬉しいと思えるのやと思う。

部活を途中で辞めるという決心をしたときはしんどかった。自分はどう考えても部活と勉強の両立はでけへんし、部活をやっとったら、きっと第一志望の大学に合格できないだろうということは薄々気づいてた。でも、実際に辞めるという決断はなかなかできへんくて、一緒に頑張ってきた友達に「部活辞める」と伝えるときが一番つらかった。友達に「なんで?」と聞かれて、「大学受験頑張りたいから」と答えたとき、「俺達かって受験するっちゅうねん!」と言われた。半分はその通りと思ったけど、「俺はお前らみたいに頭よくないねん!」と叫びたかった。

第一志望の大学に合格するために部活やめたんやから。絶対に受からなあかん。そう思って必死にやった。落ちたり、志望を下げたりして、友達に負けたら、あいつらは部活の思い出と、受験の成功の両方を手に入れることになる。俺には両方無い。そんなんは絶対に避けたい。だから必死でやった。

遊びを全部削るのはよくないと思ってたから、人の半分にすることにした。みんなが10遊ぶなら、自分は5にしよう、そう思ってた。つきあいの悪いヤツみたいに思われるのは嫌やったから、文化祭の打ち上げとかにも出た。そういうのはめっちゃ気を使ったし、一人で遊んだり、ぼーっとしてる時間をできるだけ削るようにした。

何度もめげそうになりながら勉強してたが、kamiesu先生がイチローの話をしていて、それで興味を持って、『イチローの名言』を色々調べた。それはメチャメチャ自分の力になった。kamiesu先生もたまには良いこと言うが、イチローの言葉のキレにはかなわない。ただ先生がイチローの言葉を紹介してくれたのでそれには感謝してる。

『準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。』

という言葉はそのとおりやと思った。だから自分が言い訳できそうなできそうなものを自分の周りから全部排除した。携帯を持たないってわけにはいかなかったけど、LINEは削除してTwitterは勉強のことしか呟かないと決心した。

『「たのしんでやれ」とよく言われますが、ぼくにはその意味がわかりません。』

『少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。』

『プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。逃げられない。なら、いっそのこと(プレッシャーを)かけようと。』

イチローの言葉はしんどいときの助けになった。イチローのこれらの言葉がなかったら、俺は合格できなかったと思う。


部活もやって、遊んでもいる連中に、いくら勉強しても最初の8ヶ月ほどは正直負けてた。同じ部だったAに模試の成績聞かれるのは本当に辛かった。毎回必ず聞いてくるのは本当に根性悪いなコイツと思った。

でも、この8ヶ月経ったときの模試で成績がメチャメチャ伸びた。初めていつも模試の結果聞いてきたAが顔色変わってた。「ま〜そら、部活まで辞めて勉強してたもんな〜。俺も部活終わったら頑張るわ〜」と笑いながら言いやがった。でも初めて見返すことができた。(A,顔ひきつっとった(笑))

成績が上がるまではホンマにしんどかった。部屋で暴れてオカンにメチャ心配されたし、妹にも迷惑かけた。でもこの試験で結果出たときは「ホンマに結果って出るんや〜」と思って、そこからはさらに頑張ることができた。上がると信じることができたらしんどいのはたいしたことない。

みんなが受験勉強を真面目にやり出した頃、さらに勉強時間増やして頑張った。そうしないと人と差をつけることはできない。そこから順調にグングン伸びたわけじゃないけど、辛抱してやってたら伸びるって分かってたので、辛くはなかった。ただヘボいやり方だと伸びないので、先生のアドバイスや受験体験談などは読み込むようにしていた。

『何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では「次の打席が大事だ」と思っていました』

模試でいい成績が取れたときはイチローのこの言葉を思い出して、気を引き締めた。まあAにはAが部活引退してからも一回も負けへんかったけど。絶対に負けたくないと思って頑張れたというのもあるから、Aには、イチローの次くらいには感謝しないといけないかもしれへん(笑)

受験勉強の最後の頃は、周りから浮くとかそんなこと、気にしてられへんかったけど、そういうヤツは、俺だけでなく、クラスにもチョコチョコいたので、気にならなかったというのが正直なところ。でも、逆にそういうヤツがどれだけ頑張ってんねんやろということの方が気になって、「自分、文法、何で勉強してるん?」とか「一日何時間くらいしてるん?」とかさりげなく聞いたりしていた。(全然さりげなくではなかったと思うけど。)

『夢は近づくと目標に変わる。』

受験間際、大きなミスがない限り、半分は無理と思っていた大学に合格できる可能性が高くなってきたときにイチローのこの言葉は本当だと思った。ここで気を緩めたりして落ちたら馬鹿馬鹿しい。最後の最後まで気を緩めないのは本当に難しかった。伸びないのは辛くなくても、最後まで緊張感を保つのは本当にしんどかった。部活を辞めたときのことと、Aの顔と、夏に見学に行った大学の様子を思い出しながら頑張った。人生でこんなに頑張ったのは初めてだった。

たしかに大学に合格できたのはうれしかったけれど、受験勉強の間に学んだことも俺の財産。先生が「孤独を愛せ」と言ったことの意味は今ならわかる。「なかよしこよしは駄目だ」の意味も。言われた最初は全然わからんかったけど(笑)まあその分成長したということなんやと思う。

kamiesu先生が、受験のときに思ったことを綴っておけ、そしてどこかにそれをしまっとけというから、この受験で感じたことを書いてみた。自分では絶対にやらないけど(笑)紙に書いたら、絶対失くすので、スマホに書いてしまっておくことにした。10年経ったら読み返してみろと先生は言うので、とりあえず言われたとおりにしてみる。10年後これを書いたことを覚えているかどうかはわからんけど、ここに書いたことは自分の力にはなっていることを信じてはいる。


◆◆◆◆◆◆

上の文章は私が書いた。創作ではあるが、かつての教え子達の言葉や行動から紡いだ文章だ。こういう子は君達が気づかないだけで君達の周りに(多くはないだろうが)実際にいる。

ある詩人は「戦いはスポーツだが、勝つことは思想だ」と言った。私はこの子の様にしなさいというつもりはない。部活も頑張ればいいし、やりたいこともやればいい。けれど、君達が学力を伸ばして、大学受験に合格したいというなら、この子以上に勉強のことを考え、この子に負けない努力を、どこかでどうにかしてやらないと勝てませんよ、と言いたいのだ。


 

公立進学校への呟き 〜Twitterより〜

 朝からツイッターで呟いたものだが、今の公立進学校への私の思いや考えが素直に表せたので転載したい。実はブログで何度か書こうとしたのだけれど、うまく書けなかったのだ。勢いで書いていて、日本語がおかしいところもあるがご容赦いただきたい。
このツイートに対してFacebook経由で教え子のT君がコメントをくれた。「僕は空気が読めないのでよかったのかもしれません(笑)公立高校にいって一番困ったのは世の中の一番上がどんな風に生活しているか見えなかったことです。」たしかに彼は空気を読むような子ではない。彼は畝傍高校から現役で京大医学部に進学した子である。畝傍高校から京大医学部へ現役で合格したのは20年ぶりとか何とかいう話を伝え聞いた。(正確には知らないがたしかにめったに合格する子はいない。)
上のツイートを書き込んだら、これもまたFacebook経由で、りさこ先生が「いいね!」を押してくれた。私が書き込んで5分以内だった。りさこ先生はそういつもいつも私が何を書いても「いいね!」を押すような人ではない。彼女が押すにはそれだけの意味がある。りさこ先生は畝傍出身で、現役で阪大に合格できず、一年後京大に合格した女性である。京大では東大寺や西大和の学生と多数知り合いにちがいないし、またふりかえって畝傍高校がどんな学校かも分かっているにちがいない。
昨日、SORAのスタッフとDaichiのスタッフでお好み焼きを食いながら呑んだ。ウチのスタッフに畝傍出身のS君というのがいて、彼は同志社の学生なのだが、彼もその場にいて、私は、彼の高3のときの受験勉強のことを話題に挙げた。
 
「先生、ボク同志社に行きたいんですけれど、どんな勉強したらいいですか?」
 
S君は同志社に行きたいというのだが、いくつか彼の英語の質問を受けた私は愕然とした。とてもではないが、同志社に合格できるような学力ではなかったからだ。畝傍の中でも練習が厳しい部活をやっていて、勉強には全然手が回っていなかったのだ。

彼の話をふんふんと聞いていると、センター試験受験の話が出てきた。「え、え、ちょっと待って、君は同志社に行きたくて、私立しか受けないんだろう?なんでセンター受けるの?」と訊いたら、「いや、センターでも同志社は行けますよ」なんて言うのである。いや、お前それは京大とか阪大を受験するような子の話だろう。お前が(センター利用で)受かるわけないじゃんと返した。聞けば畝傍には何だかセンターを受けなければならないような不文律があるという。
 
私はS君に言った。「あ〜、先生のところに行ってさ、センター受けませんって言ってきな。先生と喧嘩してもいいからさ。同志社行きたいんならセンターの勉強なんてしてたら無理だから。最悪、勉強をまったくせず、当日欠席でもいいけど。私立行くって決めてんのにセンター受験はおかしい。」
 
S君は意を決したように「先生と喧嘩してきます!」と言った。曖昧に誤魔化したくないということだったのだろう。S君らしいと思ったが、彼は担任と本当に喧嘩してきた(笑)ともかく彼は畝傍に流れる「同調圧力」と戦い、人とは違う戦いに向かう決心をしたのである。
 
そこからは、先ほど出た、りさこ先生や、たかちゃん先生(今は医大でインターン)をフル動員してS君に勉強させた。貴ちゃん先生などは自分が勉強していたガストで、同じく勉強に来たS君と会い、そこでも質問を訊いていたのだという。で、彼は見事同志社大学に合格した(私が一番信じられなかったかもしれない)。
 
後で聞いたところによると、センター試験を受けないことで色々大変だったらしい。一番悔しかったのは、一緒に部活を頑張ってきた仲間が、S君に「お前、何でセンター受けないんだよ。(成績が悪いSのくせに)」と結構、嫌味を言ってきたことだったという。
 
「皆仲良く」というのは、裏を返せば人と違う道を行けば、足を引っ張られる可能性だってあるということだなと思った。S君はその悔しさもあって猛勉強をした。合格したときは「俺はやってやったぜー!!!」と拳を突き上げ喜んだらしい。彼に色々言ってきた子達がどういう結果だったかは、S君から聞いたが、ここには書かない。

たしかに、センター試験を切り捨てなければいけない状況にまでしたのは、S君自身の責任であるが、人は気づいたところからベストを尽くせばいい。彼のベストとは「センター試験を受けずに第一志望に全力を注ぎこむこと」だった。それが人とは違う道であっても、彼は一直線に走りぬいた。だから勝てた。
 
私は生徒達に奈良や畝傍や郡山のような進学校に通ってもらいたいと思っているが、そこで、仲良しこよし「だけ」をしてもらいたいとは思っていない。広い世界を見ようとする「高い意識」と、孤独に歩む「強さ」を持ってもらいたいと思っている。この文章を書いている間にも、一連のツイートがどんどんリツイートされて広がっている。それは共感してくださる方が多いということであろうし、畝傍出身のスタッフや教え子が反応してくれていることも併せ、私が主観だけで物を言っているのではないということを証明してくれていると思う。

実は、一番これを読ませたいSORAの高2生なのだが、彼らの中で、私のブログやツイッターを読んでいる子は正直少ない。私や猫ギター先生やロカビリー先生、赤虎先生、細川先生を始め、私がフォローしている方のツイッターやブログを読めば、世界が広がり、モチベーションも上がろうというものだが、彼らの世界は物凄く狭いのである。そんなものなのだ。(世の中には自分の受験勉強の進み具合を書くだけの別アカウントを作って、塾の先生や予備校の先生をフォローしてモチベーションを上げようとしている連中もいるのに!)

そんな彼らに広い世界を理解させ、自分達が過ごしている「空気」の温度というものがどんなものであるかを気づかせるのは本当に大変なのだ。







 

赤虎先生の塾を訪問 その2 〜飛び込み授業「日比谷高校英語解説」〜

10年以上ぶりの東京。
 
新幹線や電車やバスを乗り継いで赤虎先生の塾へたどり着く。(たどり着く前に三鷹の駅でそばを食った。駅のソバ屋は東京の方が美味い。ソバのつゆは東京式の黒くて濃い方が美味い)赤虎先生は、外見はドクターコトーの吉岡秀隆みたいな感じ。話し方もやはりドクターコトーがシャキッとした感じ。(声自体もそんな感じ。)ブログのイメージでは赤虎先生のイメージは厳しくて細やか。そしてユーモラス、そこへ毒気のフレーバーが少し、というところ。それがその通りかどうかを確かめたいと思った。
 
塾へ伺って先生とお話をしているときに、机の上に貼ってあったメモに気がついた。

                 返却   戻し
9/30 山田(仮名) ソク単CD  □    □

おおお、素晴しい。「返却」で☑チェックを入れるところまでなら分かる。なんと、ご自身が元ある場所にCDを戻したかどうかのチェック欄まで入っているのだ。私の周りにはこんな人はいなかった。これだけで赤虎先生がいかに細やかな方であるかということがわかる。塾の中をあちらこちらシゲシゲと観察させていただいたが、どこもかしこも先生の細やかさが垣間見える。こういうところは私はからきし駄目なものだから余計に素晴しく見える(笑)

先生はしきりにウチの塾は狭くて…と仰る。たしかに先生の塾は広くない。しかし一人の先生がやっている塾というのはこれくらいの方がよいのではないかと思った。たしかにスペースというのはあった方がよいに越したことはないのだろうが、隅々まで先生の思いが込められた空間を見ていると、それこそがよいのだと全てを肯定してしまいたくなる。

さて、私の授業は午後3:30からで、それまでは赤虎先生、そして、私の授業を見に来て下さった細川先生と三人で様々なことを話した。話の中には日比谷や国立の話も出てきて、やはり東京の塾にとって、日比谷を始めとする自校作成問題入試を行う学校の対策、そしてその合否はとても大切なことのようである。様々な塾が研究に研究を尽くした日比谷の問題を一発勝負で解説をするのである。緊張とワクワク感が同時に走る。

やがて生徒達が来始める。皆いい声で挨拶をする。初めて見る顔の私にもその挨拶は向けられる。挨拶というのはすればよいというものでもない。相手の顔を見て、できれば笑顔でするのがいい。先生の塾の生徒達は皆そういう挨拶をしてくれた。おまけに皆賢そう(笑)こういう子達相手に授業をして失敗ってことはないな、と少し安心をした。

つづく

 

赤虎先生の塾を訪問 その1 〜飛び込み授業「日比谷高校英語解説」〜

10月13、14日の連休を利用して赤虎先生の塾を訪問させていただいた。

赤虎先生は私よりずいぶんお若いが、日々、ツイッターやブログを拝読させていただいて感じる、その知識の量や、仕事への情熱、造詣の深さ、言葉の鋭さには圧倒されるばかりで、日本でも有数の力量をお持ちの塾講師だと心から尊敬している。かねてより赤虎先生の塾をぜひ拝見させていただきたいと思っており、スケジュールの調整もつけられそうだったので、赤虎先生にお電話で見学のお願いをした。先生は快諾くださり、おまけに先生の生徒さんに授業までさせていただけることになった。

授業に関しては赤虎先生の方から依頼されたのであるが、人の塾を見学させていただいて、授業をしてほしいという依頼を受けたならば、断ったりしてはいけない。もちろん「やります」と即答した。(ちょっとやりたいという思いもあった。自分で授業をした方が赤虎先生の生徒のことがよくわかるからだ。)

先生から、どのような授業をされますか、と尋ねられたとき、私は何も考えず、「日比谷高校の自校作成の問題でもやりましょうか」なんて軽く言ってしまった。(よい問題だとは聞いていたし、想像もついてはいたが)日比谷高校の問題なんて見たこともないくせに言っちゃったのである。数日後、授業の準備をしようと、日比谷高校のHPで問題を確認して吃驚仰天。なんと素晴らしい!そして、なんと大変な問題であろうか。考えもせず、日比谷高校の問題を、と言った自分に眩暈を覚えた。しかし、これだけの問題の解説を飛び込み授業でやれる、しかも赤虎先生の前でできるという機会など、めったにあるわけではない。気合が入ろうというものだ。

人間は生まれたその時から「死」に向かって進行している。肉体的にもそうだし、肉体がそうであるならば、精神もまたしかりである。人の精神は日々死に向かっている。だからこそ外部から刺激を受け、肉体がそうであるように、精神もまた、生き続けるための努力をしなければならない。肉体が栄養を補給するために飯を食らうように、精神もまたガツガツと日々何かを食らい続けなければならない。毎日、新しい自分への挑戦をし続けながら、精神の死を防がなければならない。つまりは、この赤虎先生の塾を見学すること、そして飛び込み授業を行うことは自分にとって、精神の特別料理、新しい自分への挑戦=精神が生き続けるための努力、なのである(えらく大層)

ちなみに私はこの日比谷高校の問題、このH25年度の問題きりしか見ていない。他年度の問題も、他の自校作成の問題も一切見ていない。様々な情報を集めることの大切さは分かっているつもりであるが、私は、このH25年度の問題に向き合い、それだけを分析して解説することにした。そして赤虎先生にもその旨申し上げた。たった一年分の入試から私が何を捉え、授業ができるか。そういう勝負を、あの都立自校作成問題に徹底的に取り組んでこられた赤虎先生の前で、しかも先生の生徒相手にするのである。

平成25年度日比谷高校自校作成問題は本当に素晴しい。(日比谷高校のHPから見ることができる)読み進めながら、解きながら、よくぞここまでと驚き、作成された先生に敬意を払わずにはいられない問題であった。共通問題を除く2番以降を40分で解かなければならないというその量の多さに圧倒されるが、そこに気をとられて、この問題の中にある大切なことを見逃してはいけない。ここを逃してしまっている塾の先生はきっと多いにちがいない。「それ」は分かる人にしか分からぬよう潜ませてある。さっと目を通し、一回解いただけでは、私も最初は「それ」に気づかなかった。しかしながら、きちんと解答を作成しようとすると、そこに気づかないと答えが作れないのである。

その証拠に、というわけではないが、日比谷高校の英語の問題は、自身で英文作成を必要とする「半」自由作文形式の問題がやたらと多いのだが、これらが軒並み「省略」となっているだから模範解答は「省略」だらけなのだ。出版社が出す過去問集には解答例が載っているかもしれないが、日比谷高校オフィシャルでは「省略」なのである。これには大きな意味がある(と私は睨んでいる。)この「省略」は思想なのである。日比谷高校が採りたい生徒を採るためには、模範解答例は出すわけにはいかないだろう。私がこの問題を仮に作ったとして、私なら絶対に模範解答例は出さない。そんなことをしたら台無しになってしまう。この入試、試されているのは生徒ではない。生徒達を教えている先生なのである
 
東京へ行く準備の段階から、もうえらいこと学びが始まってしまったのだった。

(つづく)





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  iPhone    行きの新幹線から撮った富士山。こんなに綺麗な富士山を見たのは初めて。

 

 
 
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