「生徒のためにとことん」

こういうタイトルでブログを書くと、「生徒のためにとことん」頑張っているというような文章を期待されるかもしれないが、それとは逆で、「生徒のためにとことん」という塾のチラシやなんかによく出てくるこのフレーズが好きではないということについて書きたい。

誤解のないように先に言っておくと、「生徒の持ってきた質問にはわかるまでとことんつきあいます」とか「わからないことはわかるまでとことんやります」と、言葉を限定して使うなら十分理解できる。私もHPや何かのどこかに「とことん」という言葉を使っているかもしれない。しかし、「生徒のためにとことん」やるなんていう言い方はできない。「生徒のためにとことん」なんていうのはそうそうできることではないからだ。こういうコピーをチラシやHPに書く人は「とことん」の意味が相当軽いか(もしくは意味合いが違うか)、「とことん」をやったことがないのだと思う。

なぜ、「生徒のためにとことん」がそうそうできることではないのか。本当に生徒のために「とことん」なんてやってしまうと、ほとんどの生徒は逃げ出してしまうからである。「とことん」ができるのは、教わる生徒の方に、よほど成長したいという思いと、教える側の「とことん」につき合う覚悟があるときだけなのだ。

たとえば、学校の定期試験で300点くらいしか取れない生徒が、450点を取れるようになって、県で一番の公立進学校への進学を希望したとする。それには相当学力を伸ばさなければならない。先生が「とことん」やろうとしたら、こんなふうなことになる。

「よし、じゃあ今日から授業で扱った問題は次の授業までに少なくとも2回繰り返そう。専用のノートを作ってそこにやろうな。(バサッ。机の上にノートの束を置く)これ、お前にやるからさ。これにやりな。後、今までの勉強で遅れてる分も取り戻さないといけないから、一つ下の学年の単元からやり直そう。(バサッ。一つ下の学年の問題集を置く。)いつまでにやろうか。一年の遅れを一年かけて取り戻すなんてことを言ってたら、とてもじゃないけれど、間に合わないから、これは長くかけても三か月くらいでやってしまわないといけない。一つの単元が終わるごとにチェックテストをするから、進み具合は先生がチェックしよう。あ、そうそう。今、塾のある日以外で一日だけ補習に来てもらってるけれど、それだけじゃ足りないから、もっと日を増やしたいんだけれど、毎日塾で授業やら補習やらを受けてしまうと、家庭学習の時間が取れなくなる。それじゃあ学力を伸ばせないから、どうしようかなと、先生悩んでたんだけれど、いいこと思いついたんだ。あのさ、お前、いつも毎朝、学校何時頃に着いてる?え?8:20頃?よし!じゃあ明日から毎日朝7時から8時まで早朝学習しよう。先生朝から教えるから。絶対成績上がっていくぞ。頑張ろうな!」

「とことん」というのはこれくらいのことだと思うが、学力を伸ばしたいなと、ふと思った子の中で、この「とことん」につき合える子は一体どれくらいいるだろうか。一度でも生徒に「とことん」やってやろうと思った先生というのは、けっこう「とことん」の「入口」に入るか入らないかのところで、生徒に逃げられた経験があるのではないだろうか。(私もある。)

「とことん」なんて書く塾の先生はどれくらいのことを「とことん」と考えてらっしゃるのだろうか。たとえば、私は昨年から大学受験の指導を行っているが、高2生(現高3生)達に専用の勉強部屋を作り、調理道具一式と布団を持ち込み、飯を作り、食わせ、時には泊まりで勉強させたりもする。泊りのときは朝・昼・晩の食事を作る。親御さんから子供を預かって、酷いものは食べさせられないので美味いものを本気で作る。他人(家族ではない人)のために飯を作る、しかもそれが大人数分だったりすると相当疲れる。一日中食事のことを考えることになる。

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休みの日でも彼らの試験が近かったり、部屋を使いたいと、彼らが言えば、休みを潰してつき合っている。3か月休みなしということもある。添削やらテストやらをしつこくやり、勉強の進捗状況にあれこれ口を出したり、夜中に電話やLINEで説教をすることだってある。(高校生にここまで接近戦でつき合ってる塾の先生は少ないと思う。高校生相手にそれをするのは難しい。私は中学生にはそういうことをしていないが、今の高校生達にはそうすることが必要だと思ってやっている。)

おまけに、彼らが部活を引退して毎日たくさんの生徒が来るようになることを考え、この春からもう一室借りた。一緒にいる時間が長いと、彼らのことが色々見えてくる。長い時間を過ごすから気づけることがある。手間も金も相当かかっていて、どう考えても赤字なのだが、高校生達の本気度が高いから私もここまでのことができる。それでも、私は彼らのために「とことん」やってるなんて思っていない。

まあ、「とことん」なんて曖昧な言葉、解釈は人それぞれだからいいんじゃないのと言われればそれまでである。しかし…。

私の中では、生徒にとことんやってるというのはこういうことなのだ。(特に下の方にある『日本一素直な男コウタロウ』を全編お読みいただきたい。)

本当にとことんやっている人を知ってしまうと、「とことん」なんて言葉は軽々しく使えない。もちろん、生徒との付き合い方は先生の数だけ無限にある。このような付き合い方がベストであるというつもりもない。「私はプロですから、こういう生徒との付き合い方は好きではありません」という考え方もあるだろう。そういう先生がおられるのは当然だ。(どちらかというと私もそういうスタンスに近いかもしれない。)「とことん」やっているから偉いというわけでもない。教育には多様性があるべきだ。

ただ、「生徒のためにとことん」と宣伝文句に書くのなら、その言葉は相当の覚悟を持って使ってほしいと思うのである。
 

今年の桜

今年は家の前にある早咲きの桜が咲くのが遅くて、ソメイヨシノとほとんど同じ時期に咲いていた。

毎年写真に撮っていると、開花の時期の違いがよくわかっていい。


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GR DIGITAL4  今年のソメイヨシノ




 
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