風雲児たち

みなもと 太郎
リイド社
¥ 700
(2002-03-28)
コメント:素晴らしい!

こんな面白い歴史漫画は初めて読んだというくらい面白い。文句なし。息子にも読ませたいし、塾生にも読ませたいので、速攻で全巻そろえた。いつでもどこでも読みたいので、本とキンドルの両方を買ってしまった。
 
絵柄は正直、昭和のギャグ漫画で、ギャグ自体も少し時代遅れのそれだったりするのだけれど、それでも物凄く面白い。学習歴史漫画などとはレベルが違う。石ノ森章太郎の日本の歴史シリーズは正直面白くなかったがこれはぐいぐい引き込まれた。
 
私自身が詳しい部分については、ギャグを混ぜながらここまで描くのかと唸り、知らないことに関しては、これまた、ほほーと唸らされる。歴史の流れが頭に入るという意味ではぜひ小学生から高校生にまで読ませておきたいレベル。

関ヶ原から幕末迄編と幕末編がある。どちらも面白い。桜田門外の変をここまで詳しく描いた、あるいは書いた本はそんなにないだろうし、ジョン万次郎がこれほどの人物だったとは正直知らなかった。前野良沢の名前がなぜ解体新書に記されていないのか?福沢諭吉は勝海舟をなぜ生涯に渡って軽く見たのか?そういうことが人間ドラマとして読める。あの時代に生きた人々の人間讃歌になっているところが素晴らしい。

作者のみなもと太郎氏が風雲児レベルだと思う。皆様ぜひ読んでみてください。(ちなみに幕末編がまだ終わっておりません。)




 

ストップウォッチ

高3の連中の間で「ストップウォッチ」が流行っている。

Amazonで安売りしていたストップウォッチを私がいくつか購入していて、余ったのを二人ほどにあげたら、なるほどこれはいいという感じで、それが周りにまで広がっていったのである。計算問題や英語の長文問題を解くのにどれくらいかかったかを計ったり、自分がどの教科をどれだけの時間勉強したかなんていうのを計っているようだ。

道具というのは使っていくうちに使い方が洗練されていくもので、とうとう最近では自分の勉強時間を厳密にきっちり計りだすのに使い出した。トイレに行くときなどにもストップウォッチを止めるのである。トイレに行くときに止め、お茶を汲みに行くときに止め、コピーを取りにいくときに止め、と、そこから計り出された彼らの「勉強時間」は、かなり厳密なものになった。彼らの「勉強時間3時間」はきっと世間の普通の高校生の勉強時間3時間とは違うのである。

彼らは、今まで3時間やっていたと思っていた勉強時間が、実は3時間ではなかったことをストップウォッチ一つから学び、無駄な時間を省き、密度の濃い勉強ができるようになった。道具は与えてみるものだ。

もう本当にいいことづくめなのだが、私としては一つだけ困ったことがある。

彼らが勉強している最中に、伝えておかないといけないことなんかがあって、「〇〇、ちょっといいかな」と声をかけると、まず無表情ですばやくストップウォッチを止め、「はい」と言って席を立つ。最近はこういうことが多くて、なんかこう、ものすごく彼らの勉強の邪魔をしているような気にさせられてしまう。何気ないことなのだが、ちょっとだけ傷つくのである(笑)


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やたらと他塾の話をする塾

自塾の生徒に、他の塾の話を、わざわざ塾名を出してまでする塾というのは、「よくない塾」だと私は思っている。

塾の先生が他の塾の話をするとき、「○○塾っていうのは素晴らしい塾だね〜」なんて言っていることはほとんどないだろうから、たいていは「悪口」を言っていることだろう。「悪口」なんていうのは指導にまったく関係のない話なのでそういうことを頻繁にやっているような塾はまあよくない。わざわざ「悪口」とカギカッコをつけて言っているが、「悪口」というのはたいてい巧妙にやっているからである。

例を挙げてみよう。たとえば、ある他所の塾が私の『進学塾SORA』のことをこんなふうに頻繁に話していたとする。

「いやあ、SORAっていうのは本当に勉強できる子ばかりが通っているよね。奈良や畝傍に行く子しか通えないらしいし、ずいぶんと厳しいらしいよ。君たちも頑張ろうね。」

一見悪口でも何でもなさそうだが、大っぴらに悪口を言うと格好悪いのでたいていはこんな感じに、狡猾な感じで「悪口」をまき散らすのである。

結局上記の言い分は「SORAっていうのは奈良や畝傍にたくさん生徒が進学しているけれど、それは最初から勉強できる子が行ってるだけだからね。SORAが生徒を伸ばしている塾というわけじゃないからね。」という「刷り込み」になっており、巧に生徒達を「誘導」して、他塾の評判が上がらないようにコントロールをしているのである。

また、日頃から「SORAは勉強できる子しかいけないし、厳しい」と誘導しておけば、自分の塾からSORAに移ろうとする生徒は止められるし、世間でそういう評判になれば、敬遠した生徒が自分の塾に来るという思惑もあるだろう。くりかえしなされる行為には必ず意味があるものだ。そうでなければ何で他塾の話を頻繁に自塾の生徒にするのかという話になる。

貴重な生徒の時間を使ってそんなことをやっている塾が良い塾のはずがない。それは自塾の指導に対する自信のなさの表れであるし、やり方が卑怯である。

一方、ストレートに他塾の悪口を言い、「○○塾のヤツに負けるな」とハッパをかける塾もある。こういう場合、その塾の先生はよほど○○塾に負けたくないと思っている。負けたくないと思うこと自体は間違っていないとは思うが、本来なら、先生の指導力や、様々な工夫で生徒の学力を伸ばし、点数を取らせなければならないところを「○○塾に負けるな!」と、策もなく、売り上げを伸ばそうとする無能経営者のように生徒を焚きつける。指導の手法としては三流以下だ。

実は、他塾の悪口を言い、生徒を誘導して、仮想敵を作り、「あいつらに負けるな!」とやるのは、意外なことにけっこう効果的なのである。人の心の「ダークサイド」のエネルギーを利用しているからだ。「ダークサイド」のエネルギーというのはとても強い。だから人を動かしやすいし、また頑張らせやすい。(もっと言うと、洗脳もしやすい。)しかし、この方法で生徒に勉強させると、憎しみや怒りの感情を使わないとモチベーションを上げられないという性分が生徒達についてしまう可能性も高いし、心が荒みやすい。このエネルギーを利用するのは教師の「禁じ手」にしておかなければならない。こういう塾に通っている子の中には、他所の塾の子にやたらと点数を聞いてきたり、「お前には負けないぞ!」と敵意むき出しに「宣戦布告」をしてくる子も少なくない。なんとなく感じがギスギスしてくるのである。子供を動かせるからと、この禁じ手を使う塾が良い塾のはずがない。

誰しも自塾の指導が一番だから塾をやっているわけで、他の塾のやり方がよくないと思うときもあろう。私だって既存の塾のあり方にカウンターパンチを浴びせるつもりで塾をやっている。けれど、そういうのは自塾の指導の在り方で示すべきものなのだ。

もしお子さんが通ってらっしゃる塾で他塾の話が頻繁に出るならば、それは「よくない塾」の可能性が高い。もしそういうことがあるなら、お子さんが機嫌よく通ってらっしゃるとしても、よくウォッチしておくべきであると思う。

 
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