奈良高校と畝傍高校どちらにするか(5)

昔ウチの塾生に畝傍高校のS君という子がいた。野球ばかりやっていて殆どビリに近い成績だった。それでもいい大学に行きたいと志望校を同志社一本に絞り、部活を引退してからは毎日塾に来て猛勉強を始めた。

 

本当によく頑張るので、当時ウチの学生スタッフだったりさことタカちゃんがつきっきりでS君を教えてくれた。高校部ができる前のことで、医大生だったタカちゃんなんて日曜日のガストで自分の勉強をしながら彼に教えてくれたそうだ。

 

そんなS君が日々イライラしていたのは、クラスメイトや部の友達が「なんでセンター受けないんだ」「(センター試験から)逃げんなよ」と突っついてくることだった。早いうちから国公立大をバサっと切り捨て、私大のいいところに照準を合わせて勉強するのは当時の畝傍高校のスタンダードなやり方ではなかった。ビリのくせに皆と同じ道を歩まないS君の態度と頑張りに周りの子は不安を感じたのだろう。日々彼に同じ船に乗るように忠告をしてきた。こういう話はどこにでもありそうではあるが、畝傍高校らしい話だなと思ったのだった。

 

S君は「高3の9月でビリ」から見事同志社大学に合格した。同じ部活の仲間に超絶ビックリされたときが一番嬉しかったと言ったくらいだからよほどイライラしていたのだろう。(実際はけっこう辛辣なことも言っていたがここでは省くことにする。)S君が「畝傍の、センターを受けずば人に非ず、みたいな空気は嫌でしたねえ」と呟いたのが忘れられない。「皆で同じ船に乗ろうとする」傾向が一番嫌らしい形で出るとこんなことになりやすい。もちろん、中には「同じ船」に乗るために今までの自分自身のいいかげんさを見直し、頑張って勉強したという子もいることだろう。良い面と悪い面は表裏一体である。しかし畝傍高校の子には自分自身の進むべき道は自分自身で受け止める覚悟さえ持てばもっと可能性のあるものだということ、そしてなりふり構わず努力することをしたっていいのだと気づく子がもっともっといてほしいと思う。

 

一方、奈良高校にも奈良高校の少し歪んだ価値観みたいなのがあって、それは先のブログでチラリと書いたが、その中の一つは「ガリガリと真面目に勉強やるヤツはダサい」という価値観である。勉強やっていないとこぼし、やっていないフリをしながら猛勉強をする「勉強やってない詐欺」をしてしまうのもこの価値観に由来するものだと思うし、やたらと部活動を遅い時間まで熱心にやっているのもこのあたりの影響が大きいような気がしないでもない。塾生ではなかった奈良高校の生徒や卒業生と話すとよく聞くフレーズが「奈良高校ってヘンなヤツばっかりですからね(笑)」である(塾生だった子は安易に私にそんなセリフを言わない)。私はこのセリフを変形したプライド意識と解釈する。なぜなら勉強ができることなど自慢するのは彼らにとって最も「ダサい」ことだからだ。そのセリフを聞くたびに「おお〜自分達にちょっと酔ってるね、そしてちょっと歪んでるね、キミタチ」と思う。(おそらくだけれど、そんなことを口にする奈良高校生を一番凹ます一言は「いや〜そんなことないよ。いい子が多いよ。東大寺のヤツの方がずっとヘンなヤツがいるよ。」ではないか。とても意地悪なことを言って申し訳ないが。)努力はまっすぐでいい。周りの目を気にせずプライドなどかなぐり捨てて努力しないといけないときがきっと来る。それが「今」なら未来の可能性はもっと大きなものになる。

 

さて、9年ぶりに「奈良高校と畝傍高校どちらにするか」問題をほじくり返して言いたいことは、実はこの両校どちらがいいかということではなかったりする。


私が言いたいのは「高校というフィールドであなたがどうあろうとしているか」ということであり、そのために「中学生の今何をしておくべきか」ということである。奈良高校に行ったからよい大学に行けるということはない。奈良高校からよい大学に行った子というのはたいてい中学時に猛勉強を積んでいるか、能力の相当高い子である。

 

異論、反論を恐れずに、学力上位者の視点から物を見て言うと、畝傍高校は定期試験を真面目に受け、点数を取り、内申点をしっかりもぎ取っていれば、後はそれなりに勉強をしていれば通る。分かりやすく言うと「内申点で逃げ切ることが可能」な学校である。しかし奈良高校は合格最低点の高さから、ほとんどの子は「内申点で逃げ切ることはできない」学校である。もともとの能力の高さが相当あるか、きっちり勉強をやり抜いたかのどちらかでないと合格は難しい。その中のさらに学力上位層の力が畝傍高校よりかなり抜きん出ているので、京大や阪大に多数通るのである。奈良高校に行ったからいい大学に通るのではない。

 

「あ、これはまあまあ勉強しておけば奈良(畝傍)高校行けるな」と高校受験の勉強をそれなりにしかせず、それぞれの高校へ行く子が少なくないのは本当に残念である。せっかくの自分の力を手抜きでダメにしてしまうのはもったいないことだと思う。奈良高校、畝傍高校どちらにするかと迷うより、「どちらの高校へ行こうが俺は(私は)できるだけ高い学力を持って高校へ行く。どちらの高校へ行こうが勉強頑張る。」こちらの方に重心を置いておいてほしい。

 

そして何より大切なのは「集団の価値観がある中で、自分自身のまだまだ微弱な価値観をどれだけしっかりしたものにさせられるか」ということ。つまり「集団に絡めとられ、自分自身を見失うな、個を確立せよ。」ということだ。周りに流され、あるいは物をしっかり考えていなかったがために、自分の高校生活に幾ばくかの後悔があったという子は少なくない。本人にまったく自覚がなく、「最高の高校生活だった」と思っていても、本当はもっと大きな可能性があったかもしれない。個を確立し、自分自身の進むべき道を見つけてほしい。大人でさえも会社や組織や集団に絡めとられ、自分自身の判断を歪めてしまう人は少なくないのだ。それはそんなに簡単なことではない。

 

そうしたことをちゃんと考えるなら、私は家から近い方へ行けばいいと思うし、入りたい部活が強い方とか、好きなあの子が目指してる方、制服がカワイイ方、なんだっていいと思う。どっちに行ったとしても、別に「地獄」が待っているわけではない。素晴らしい未来が待っている。いや、素晴らしい未来を作る可能性を広げる場が待っている。頑張ってほしい。

 

奈良高校と畝傍高校どちらにするか?(4)

私のブログの記事の中でもっともアクセスが多く、長い期間読まれ続けているのはタイトルにもある「奈良高校と畝傍高校どちらにするか」というシリーズの記事である。Googleで「奈良高校 畝傍高校」と検索したときにこのブログは検索のTOPに表示される。アクセスはどうしても多くなるだろうし、それはやはり皆の知りたいことなのだろう。ただ、このブログ、書いたのが2009年と、もう9年も前のこと。内容も現在の状況とも異なる部分もあるかもしれないので、改めて今このことについて思うことを書いておきたい。

 

昔書いたことをざっくりとまとめると(昔のブログでまとめているのだが)以下の通り。

 

1 大学進学実績がいいからといって奈良高校に行った方が必ずよい大学へいけるというわけではない。(そういうのは確率の問題ではない)

 2 ただし奈良高校には切磋琢磨できる猛者はたくさんいるのでよい影響を受ける可能性はとても高い。(奈良県南部から遠い距離を通う値打ちはある)

 3 奈良高校、畝傍高校どちらへ行こうと高校ではしっかり勉強しないと大変なことになる。そこはゴールではなく、次のスタートだ。(けっこう燃え尽きている子がいないだろうか)

 4 奈良県南部の子で部活(運動系)をやるなら、奈良高校は結構ハードである。(覚悟して行ってね)

 5 本人が行きたい方があるならそっちへ行くべき。(どちらでも頑張ればよい大学へ行ける。本人の意思を曲げて無理やり行かせることはない)

 私がこの中で一番大切だと思うのは3で、次が5である。

 

9年前に思ったことは今もまったく変わらない。この通りだと思う。ただ、あれから私は自分の塾に高校部を作り、最初はアパートの一室で自塾の卒塾生(ほとんどが畝傍高校生)を教え、徹底的につきあい、「畝傍高校生ともっとも深く接してきた大人」という自負もいささかある。その経験を踏まえ、感じたことを補足したい。また、あの頃は深く突っ込んで書かなかったことも書いてみたい。

 

奈良高校の生徒は、自分達のあり方、やり方、個性といったものを尊ぶ気質が強いように思う。それをポジティブに語ると、個性的で自主独立の精神ということになるが、ネガティブに見ると、「俺達(私達)は他の奴らと違うよ」「俺達って勉強できるだけじゃ無くって変なヤツらの集まりだよフフ」といささか鼻につく部分にもなり得る。「変なヤツ」がカッコいいという価値観が強いので、「俺勉強してないわ〜」と言いながら家で猛勉強するという、歪んだ「勉強やってない詐欺」の子も多い。真面目に勉強を頑張ってる優等生のイメージを嫌うのだろう。だから部活動にも大変熱心。とにかくユニークであろうとする。

 

一方、畝傍高校生の場合、私が強く思うのは、意外に同調圧力が高いというか、「皆で手をつないで一緒に歩いていたい」というムードが強いということである。皆で並んで手をつないで歩いていて、自分が遅れていたら焦って「横並び」までは歩みを早めるのだが、自分が前に出ていても、ペースを合わせて横並びの位置まで下がってしまう。こうした行動パターンでは、皆の行動や身につくスキル等は「中央値」に集まりやすい。集団としての畝傍高校生にはこういった印象を個人的には強く受ける。同じくらいの勉強量、同じくらいの部活への頑張り、条件を揃えてしまう。その上で自分自身を値踏みして見ていることが多い。人の倍頑張って成績を上げてやる、二倍で足りないなら三倍、みたいなことはあまりやらない、やってはいけない。そこは暗黙の了解、といったような目に見えないルールで縛られている感じ。(奈良高校生に比べると)ユニークなものに憧れるのだけれど、ユニークなものになろうとしない。またそれを許さないという面も垣間見える。


奈良高校の生徒が、「一人でいかだを漕いでる海をヤツ」と凄いと思い、またそうありたいと思っている一方で、畝傍高校の生徒は、そういうヤツが凄いとは思いながらも、一人いかだを漕いでるヤツはちょっとどうなの?ちゃんと船乗れよ、と思っている。


ピントの外れたことを言いたくはないので、念のため奈良や畝傍の卒業生にこの下書きを読んでもらったが、皆苦笑いしながら「そういうところはありますね」と言ってくれた。というか、彼ら自身の口からもそういうことを聞くことも少なくないのである。


両校に在籍する生徒の方がこのブログを読んだとき、自分の学校の悪口を書かれているとカチンとくることもあるかもしれないが、もちろん私にはそういう意図はない。両校とも私は良い学校だと思っている。奈良高校の子には「そういうところをあまりこじらせない方が楽に過ごせるよ。」、畝傍高校の子には「そのつないだ手を離して、自分の可能性を信じて君だけのダッシュをしていいんだよ」というアドバイスとして読んでもらえたらと思う。


奈良高校と畝傍高校の違いは通っている子の学力の違いがあるとかそういう単純なものではない。両校は気質や文化が大きく異なる。当たり前のことであるけれども、偏差値だとか難易度をついつい見てしまう大人は案外それにとらわれ、数字だけで見てしまい、その影響を受け子供もそうなってしまう。行った学校であなたが決まるわけではなく、行った学校でどう過ごすかであなたが決まっていく。そういう当たり前のことを少しないがしろにしてしまう。


つづく


 

 

アイツ半端ないって

「大迫半端ないって」は言うまでもなく今年一番インパクトのあったフレーズの一つであった。基の映像は何度も色んなところで目にしたが、関西人らしく笑いとユーモアで自分の負けの悔しさを昇華しようとするあの選手の姿勢に、日本人の多くがシンパシーを感じたという面はきっとあっただろう。


「アイツ半端ないって」は、つまりは他者と自分、あるいは世間の常識と比較して言う台詞である。あまりにも自分とは次元の違う存在を見たとき、人はそのような台詞でしか昇華できない。


しかし、こんな素敵な言葉は、他人と比べての自分、自分と比べての他者に対して言うだけでなく、自分にも言ってやりたい言葉だとも思う。偏差値などの例を出すまでもなく、近頃は他人と自分との比較で物を見る癖が私達にはつき過ぎている。本当に見つめるべきは自分自身がどうかということのはずである。


自分自身が過去の自分に対して大きく成長できたとき、過去の自分を超えられたとき、「オレ(ワタシ)、半端ないって」と心の底から叫びたい。それはさらに大きく自分が飛躍するために必要な言葉であるし、自分のそこまでの苦労や辛さ、そういったものを癒すパワーワードだとも思う。


「オレ(ワタシ)半端ないって!と必ず言ってやる」、それはきっと原動力になりうる。人は自分の人生の主人公である。この言葉は主人公にこそ相応しい言葉だと思う。他人を賞賛するためにだけ言うのではあまりにも勿体ない言葉ではないか。ショボい自分にそんな台詞は似つかわしくない?もしそう思うならそれは何か世間のつまらない常識に塗れ過ぎている。昨日までの自分から前に進んだということは本当に凄いことなのだから。


全裸で考えた

最近の趣味は「風呂掃除」である。毎日せっせと風呂を磨いている。いつ風呂掃除をするのかというと、それは自分が風呂に入るときである。台所用のスポンジを使うのが具合がよくて、自分の体を洗ったあと、せっせとそのスポンジで風呂を磨いている。今では風呂に入るついでに風呂を掃除しているのか、風呂を洗うついでに風呂に入っているのかよく分からないというくらいのもんである。

 

毎日掃除していると風呂はたいていキレイなので磨くところがなくなってくる。そうすると今度はどこか汚れたところ、磨き損ねたところはないかと色々探し出す。蛇口の裏側とか、浴槽のヘリの溝だとか。汚れを見つけたときは嬉しくなってくる。「へっへっへ、見つけてやったぜ」とほくそ笑みながら磨くのである。もちろん私は全裸である。

 

毎日同じことをやっていると、工夫をしたり、改善をしたり、日々やっていることに漏れがないかを探す習性が人間にはある。毎日コツコツと勉強をしていれば、やり残したところはないか、もっと難しい問題もやってみようか、などと高いところを目指せるようになる。普段コツコツとやらずにテスト前に慌てて、という勉強ではその高みにはいつまでも登れない。

 

それが習性というならすべての人間はあっという間に成長してしまうが、そうは問屋が卸さない。人間はいくつもの相反する習性を内在させている。工夫、改善を目指す習性を持ちながら、一方で面倒臭いとか、物を考えたくないという習性も同時に持っている。どの習性が優位に立つかは、結局のところ、その人の「習慣」が決めているのだと私は思うのだ。「人は習慣の奴隷」である。逆に習慣を変えることによって自分自身を変えていくこともできる。工夫をしたり、改善をしたり、ち密に積み上げていくにはそれができる習慣をコツコツとつけていかなければならない。

 

自分自身を変えようとして新しい習慣を積み上げようとしても、「変化を嫌う」のも人間の習性で、なんやかんやと理由をつけて変化をしないようにしようとしてしまう。「こんなことやってて意味があるのかな」「こんなことをするならもっと他のことに時間を使った方が」と、一見もっともらしい理屈をつけてくる。心の奥のあなたの怠惰さがあなたに囁くときは何かの姿に化けて囁いてくる。ここのところでコロッとやられてしまう人が多い。

 

「続けることに意味がある」という言葉がある一方で、「無駄なことを続けてもまったく意味はない」ということもよく言われる。どっちが正しいということはない。どちらも正しい言葉なのだ。つまりは「無駄ではないことを正しく判断し続ける」しかない。それをどう判断し、見つけていくことができるかは非常に難しい。結局は、色んなことを真面目に考え、数多くの考えに触れてきたかどうかというところにかかっているのだろう。生徒諸君はいっぱい色んなことを考えてほしいと思うのだ。人は他人に騙されるよりも自分自身に騙されることの方がずっと多いのだから。

 

 

 

 

奈良高校のこと

どうやら奈良高校が今ある場所を離れ、移転をすることになりそうだ。建物の老朽化が進み、耐震その他の問題もあるということらしい。卒業生曰く、奈良高校の教室は授業中でもパラパラと上から何かが落ちてくるということなので、色々限界なのだろう。耐震補強工事その他ではどうにもならないレベルなのだろうと推測する。

 

校舎は地震がくればひとたまりもないレベルにちがいない。移転するにしろ、建て替えその他をするにせよ、この問題は何も策が打たれないまま時間が経ち過ぎたのは問題だった。私だけでなく、奈良県中の多くの人がそう思っているだろう。しかしそれは教育委員会や政治家の怠慢だけでそうなったかというと、問題の根はきっと深かったにちがいない。彼らだけを責められない。「あの場所にあってこその奈良高校」と反対をする人達も多かっただろう。ましてや名門校である。卒業生には政治家や様々な名士など、力のある人、声の大きい人もいて、大変だったのだと思う。思えば、高校の統廃合で消えるのはほとんどが歴史の短い学校だった。歴史のある学校はほとんど消えない。畝傍高校や郡山高校は他の学校と統合されたにもかかわらず、校名変更がほとんど為される中、名前すら変更されなかった。そういうことなのだ。

 

老朽化の問題だけでなく、奈良高校の前の道は狭く、たとえば火事があった場合、消防車が路上駐車があるだけで入っていけないかもしれないとか、仮に入れたとして、正門から奥の校舎まで消防車が入っていけるのかということも心配になる。昔からある建物は色々と現在の基準に合っていないことが多い。建て替えとなるとその間学校は使えないし、なにより費用が莫大になる。私は移転はやむなしだと思う。ノスタルジーや歴史のためだけにそのお金は出せない。現実問題そういうことだ。

 

12年前、自分の塾を作って初めての公立高校入試の日の朝、私は自分の塾の生徒の応援のため、奈良高校の前に立っていた。奈良高校の前の道は緩やかな坂になっており、受験生がやってくるのがよく見える。3月も半ば頃になると寒さもそう厳しくはない。私立入試のときほど寒さに我慢をすることもなく、坂を上ってくる生徒一人ひとりの顔を確かめ、自塾の生徒を探すことができる。やがて自分の塾の生徒を見つけ、力が発揮できますようにと願いながらその子に声をかけた。「しっかりね。頑張れ!」自塾の生徒に声をかけ、見送ったらお終い。塾講師はもう何もすることはできない。祈るばかりなのだが、その日の私にはしておきたいことがもう一つあった。それは開業前に勤めていた塾で教えていた子らを激励すること。

 

この1年前、私が勤めていた塾を辞めると言ったとき、その子らは中2だった。彼らはきっと受験まで私に教えてもらえると思っていただろう。「実は…」と語り始めたとき、教室のムードは一変した。ちょうど舞台が暗転して突然すべての照明が落ちたように。授業終了後、教室は凄いことになってしまった。声をあげて泣き出す子が何人もいて、次の授業など始められるような状態ではなかった。最後まで教えられないことを本当に申し訳ないと思いながらも、一方でそれくらい私のことを信頼し大切に思っていてくれた子がいるのだということは開業までの心細い自分自身を支えてくれた。この日のことは一生忘れない。自分の塾の名前をSORAとしたのは最後の授業で彼らが皆で歌ってくれた歌が「空も飛べるはず」だったからというのもあるくらいなのだ。そんな申し訳なさと感謝との入り混じった複雑な思いのある子らが次々と緩やかな坂を上ってくる。「あっ先生!」走り寄ってくる子もいた。飛び跳ねている子も。私は思いを込めながらも、控えめに頑張れよと声をかけた。控えめに声をかけたのはこの子らがそのときの私の生徒ではなく、彼らを懸命に指導した先生がいるからである。

 

その中にいたTさんという子は皆が私に久しぶりに会えてテンションが上がっている中、態度がやけに素っ気ないというか、心ここにあらずみたいな感じなのが物凄く気になった。あの日一番泣いたはずの子がそうだったのでとても気になった。ずっと気になっていたので本人に少し後になって話を聞いたら、ここで先生と話をしたら泣いてしまって試験が大変なことになりそうなので我慢していたという。その健気さに胸がじんわり温かくなった。この学年の子らとは今でも交流があって、離れに泊まりに来たり、彼らが大学生の頃はSORAの高校生にアドバイスをしに来てくれた。

 

受験生もほとんど校内に入り、他の塾の先生も引き上げていく。こちらも帰ろうと坂を下っていると、向こうから3人ほど不安げな顔をして全力疾走してくる生徒がいた。遅刻しそうになっている子だろうと思い、「大丈夫だよ。ちゃんと受験できるから」と声をかけようと思った。自塾の生徒でなくとも、そういう声をかけてあげるのは塾講師の務めだと思っている。しかし、よくその子らを見たら勤めていた塾で教えていた子だった!「うあああ」と声を上げそうになるのを抑えて、一緒に走りながら、至極冷静を装って、「だーいじょうぶ!ちょっと遅くなったけど、ちゃんと受けられる。試験時間まではまだまだあるぞ!ビビらない、焦らない!それにしてもお前ららしいぞ(笑)」とつくり笑顔で背中をたたき、緩やかな坂を上っていくのを見送った。

 

そのとき必死で走っていったHさんは無事合格し、その後大学受験の結果をSORAまで報告しにきてくれたときに、バイトしないかと誘った。そこから彼女は4年間SORAでバイトをし、ウチのかけがえのないスタッフになってくれた。大学卒業後は県庁へ就職し、そして昨年ウチのスタッフと結婚をした。

 

Tさんは合格の後に、空と雲のデザインのノートに毎日日記を綴りながら大学受験を突破した。空と雲のノートは私の塾がSORAだったから。ノートを開くと、自分を励ますために綴った日記の中に私の名前が出ていた。涙が出た。今は私の愛する『角ハイボール』には欠かせないウイスキーを作る会社で働いている。(最近は竹鶴ではなく、角瓶で作るハイボールが好き。)

 

 

私が奈良高校に行ったのはそういう入試シーズンのときだけのことで、10回行ったことがあるかないかくらいのものだが、そんな私にとっても大切な思い出がいくつもある。まして卒業生や地域の方にはさまざまな思いがあることだろう。移転はやむなしだと思うが納得できないという人達の気持ちもよく分かる。人は物語を生きている。自分の人生にとって大切なものがこの世から消えてしまうのはとても寂しいことだからだ。過ごした場所は人生の一部なのである。