サプライズ

数日前に、塾生全員の三者懇談が終わったら、飲みに行こうと森川先生を誘っていたのは私の方だったのだが、昨日三者懇談が終わって、行きつけの飲み屋に行ったら、SORAのスタッフが全員いて、サプライズのパーティーみたいなことをしてくれた。

三者懇談が終わったのでおつかれパーティーというのもあるのだが、実は数日前が私の誕生日で誕生日パーティーも兼ねてくれたのだ。私が森川先生を誘ってから、突然ひらめいたのか、こういうことにしようと計画してくれていたようだ。

どうりで、私が途中でいつもの「小間蔵」ではなく、寿司にでもするか?と森川先生に話をふったら、寿司を蹴って「小間蔵」がいいですなんて言うので、ちょっとおかしいなと思っていたのだ。私が今日はやっぱり疲れたからやめとこうなんて言ってたらどうするつもりだったのか。

まあそれはともかく、とにかくこういうのはうれしいものだ。もしかしたら私の人生でサプライズパーティーなんていうのは初めてかもしれない。44にもなってサプライズパーティーをしてもらえるなんてこんな幸せなことがあっていいのかと本気で考えた。

今月は、もう見ることはないと思っていたS&Gのコンサートに行けた上、アート・ガーファンクルと握手はできるわ、こんな嬉しいパーティーは開いてもらえるわで、自分の周りの人をハッピーにできるように懸命に生きなければバチがあたると本気で思う。

夏のモチベーションがマックスに上がった夜だった。


ヒーローに会えた日(2)

実はちょっとした筋からの依頼で、コンサート当日のお昼、サイモンとガーファンクルのバックバンドの何人かを大阪観光のガイドをすることになっていたのだった。

DVDやCDで、その素晴らしいプレイを目にし、耳にしていた超大物ミュージシャン達の観光案内をするのは光栄なことこの上ない。





このとき案内したのは、この映像の左でギターを弾いているマーク・スチュワート(途中サックスも吹いている)とベースのバキチ・クマロ(3:50あたりのフレーズは20年以上前に初めて聞いた時、痺れまくった)。あとの二人はギターのラリー・サルツマンとキーボードのロブ・シュワイマー。
(二人の映像はyoutubeでは映像が見つからなかった。きっとよく探せばあるのだろうが。この二人もOld friendsというライブのDVDとCDに出ている。)

大阪観光は、時間的に厳しくていろいろ周れなかったが、大阪城を楽しんでもらった。午後3時から35,000人のコンサートのサウンドチェックが待っているというのに、お昼に大阪城観光を楽しそうにしている彼らのバイタリティーには驚嘆した。この日は暑くて、私は気も使ってけっこうヘロヘロだったのに。

今日のお礼にと、彼らはコンサート後に楽屋に入れるバックステージパスをくれた。


R0012283

(記念にコンサートのパンフレットに張り付けた。)



R0012284

(おまけに「もし今日のコンサートよい席でなかったら・・・」といって招待席のチケットもくれた。)



コンサート後、楽屋に行かせてもらうと、昼間に会った彼らがとてもいい顔をして立っている。私も嬉しくなって、「素晴らしいプレイだった」と握手をし、ハグをして、今日のプレイに感動したことを伝えた。そして感謝の意味を込めて、彼らにちょっとした「おみやげ」を彼らに渡した。特にギタリストの二人には私も愛用する貝印の爪切りを渡した。「これは素晴らしい爪切りで、日本人が本気を出した製品です。とにかく切れ味が半端ではありません。ヤスリをかける必要がないくらいです。」と説明したら、こちらの想像以上に喜んでくれた。


R0012279


楽屋には飲み物のセットやけっこう豪華な料理が用意されていて、さすがスーパースターのコンサートという感じだったが、ポールサイモンとアートガーファンクルの楽屋は別のところにあり、バックのミュージシャンたちでもおいそれと立ち入ることができない。

公演前にMCを務めた関西では超有名人の、あの角淳一氏ですら、見ることすらできなかったそうだ。(テレビで言っていた。ちなみに大阪のコンサートの主催は毎日放送で、角氏は毎日放送関係者。)

だからアートに会えたというのは、本当に幸運に幸運が重なった中で起こった出来事だったのだ。

(つづく)




















ヒーローに会えた日(1)

この28年、私のヒーローはサイモンとガーファンクルだった。

私の世代(昭和40年生まれ)はS&G世代よりも少し若いが、高校1年の秋にサイモンとガーファンクルがニューヨークのセントラルパークで再結成のコンサートを行う少し前から私はサイモンとガーファンクルに夢中だった。きっとポールサイモンのギタープレイに魅せられたのが最初だったのだと思う。

私が英語を教えるような仕事に就いていて、発音がきれいだとか言ってもらうことが多いのはS&Gのおかげである。私はポールサイモンのギターをコピーするのと同じ感覚で、アートガーファンクルの発音をコピーしていた。

昨日、おそらくは最後の日本でのコンサートになるであろうサイモンとガーファンクルの来日コンサートを観に行ってきた。幸い、塾の授業は夏休み前の進度調整で授業時数の少ない理社国に振り替える必要があったので、スタッフに後を頼んで行かせてもらった。

R0012282

当日のセットリスト

1. Old Friends / Bookends
2. A Hazy Shade of Winter
3. I Am A Rock
4. America
5. Kathy's Song
6. Hey, Schoolgirl
7. BE-BOP-A-LULA
8. Scarborough Fair
9. Homeward Bound
10. Mrs. Robinson 〜 Not Fade Away
11. Slip Slidin' Away
12. El Condor Pasa
13. Bright Eyes
14. A Heart In New York
15. Perfect Moment 〜 Now I Lay Me Down To Sleep
16. The Boy In The Bubble
17. Graceland
18. Still Crazy After All These Years
19. The Only Living Boy in New York
20. My Little Town
21. Bridge Over Troubled Water
22. The Sound of Silence
23. The Boxer
24. Leaves That Are Green
25. Cecilia

コンサートはまずスクリーンにS&Gの軌跡を辿りながら、当時の社会情勢を絡めたビデオを映し出すところから始まる。そのビデオの最後のシーンは今まさにコンサートが始まる京セラドーム大阪のショットだった。つまり40年の時を経て、今ここに立つという演出である。これがなかなか泣かせた。

ビデオが終わると同時に二人が現れ、二人だけでポールサイモンのギターだけを伴奏にOld Friendsが始まった。3万5千人の観衆がいるドームコンサートの一曲目がギター一本の弾き語りとは恐れ入るが、これが本当に素晴らしかった。

Old Friendsの歌詞の中に、「70歳になるなんてどんな奇妙な感じなんだろう」という一節があるが、二人はもう限りなく70歳に近づいている。そして15のときに彼らの歌を聴きだした私ももう44歳だ。会場にいる人の中には彼らの歌を聴きながら涙を流している人も少なくなかった。皆自分の過ごしてきた人生と重ねている。

私は授業のなかったまゆみ先生とまなみ先生をコンサートに連れて行った。若い人達が彼らの歌を聴いたらどんな印象を持つのかを知りたかったし、何より一人でいくのは寂しい(笑)まゆみ先生はご両親も会場に来られていたそうで、彼女自身も小さい頃から車の中なんかでS&Gの曲をよく聴いていて、しかも結構好きなのだそうだ。まなみ先生は日頃kamiesu先生が口ずさんでる曲と同じ曲を聴けてびっくりしたと言っていた(笑)それはともかくも、S&Gは若い人達にも大きなインパクトがあったようだ。

二人の歌も素晴らしかったが、バックの演奏も素晴らしかった。一流中の一流を連れていた。ギターのマーク・スチュワートはアコーステッィクギターからエレキギター、笛からチェロまで演奏していた。器用に演奏するだけでなく、とにかく迫力があって熱いプレイだった。

(ベースのバキチ・クマロは南アフリカの誰も知らないミュージシャンだったが、ポールのソロアルバム「グレイスランド」での演奏で世界中のベーシストの度肝を抜いた。その彼のBoys In The Bubbleのプレイを聴けたのは感慨無量だった。ギターのラリー・サルツマンはS&Gへのリスペクト満タンの演奏をしてくれた。きっと彼はポールサイモンのファンなのだ。レコードと違わぬ完全コピーの演奏をする場面がかしこに見られた。キーボードのロブ・シュワイマーは終始安定した演奏をしていたが、ボクサーの間奏部分で何と「テルミン」を演奏した。テルミンの演奏を始めて生で観た。)

長い年月が経ち、私もたくさんのことを学んだ。この長い年月のいろんなことを思いながら、二人の歌う姿を見ていた。バンドはほとんどがベテランだったが、たったひとり、ドラムだけが若かった。その若くて少しだけ青いドラマーの演奏が心に残った。ベテランの中に一人若いのが一人いることで演奏全体が見事に活性化されていた。音楽を聴く耳は拙い私でも、高校生のときとは違う。長い年月の間にいろんなことが見えてくるのだ。私は自分の人生や塾のことを思う。

「明日に架ける橋」と「ボクサー」は私の人生の大切な曲だ。二人のその曲を生で聴けただけでもう言うことはない。中には二人の「衰え」なんかについて言う人もいるだろうが、衰えなんてほとんどなかったし、老いながら、彼ら自身のベストを見せてくれることが素晴らしい。(ポールは老いどころか、老いてなお過激になっているような気がするが)70近くで二時間以上のドームライブを外国に来て連日行っているのである。化け物みたいだ。

R0012283

コンサートだけでも、ずいぶんと心の洗濯になったが、この後私はもっと心震わせることとなった。実はコンサート終了後、私は幸運にもアートガーファンクルに会うことができ、握手することができたのである。

(つづく)






イエスタディをうたってもしくは雨上がりの夜空に

忌野清志郎が死んだ。

スポーツ新聞の一面に「忌野清志郎死す」と大きく書かれていた。

普通、芸能人が死んだときには「死す」なんて書かない。

それはきっと書き手の清志郎への敬意だったのだろう。



私が高校の頃、RCサクセションは凄い人気だった。

清志郎の奇妙な歌い回し、派手なメイク、それに世間の流行りに背を向ける自分の習性もあってRCは「食わず嫌い」だった。

ましてや坂本龍一との「いけないルージュマジック」なんて軽蔑の対象だった。


大学に入ったとき、高校とは違ってギターの上手い先輩がうじゃうじゃしていて、大学は流石に凄いなあなんて思っていた頃、一人の先輩がやたらとカッコイイ曲を弾いて歌ってる。

先輩にそれなんていう曲ですかと訊ねるとRCの「イエスタディをうたって」という曲だという。

初期のRCはハードフォークだったのだ。

「イエスタディをうたって」はマイナーキーだが、ナヨナヨしていず、渋かった。

サビの「イエスタディをうたって〜」のところはDm/G/F/E7と循環するが、リフレインの最後だけE7のところがF♯7になる。

ここが格好いい。

今まで私が弾いてきたアコースティックギターとは全然違っていて、毎日何度も何度も歌っていた。

そしてRCに、そして忌野清志郎に食わず嫌いだったことを後悔した。




あるとき、新入生歓迎の泊まりがけのイベントか何かだったと思うが、その打ち上げのとき私はリーダーだったので何かやらなければならなくなってしまい、「雨上がりの夜空に」を伴奏も無しに一本線が切れたみたいに熱唱「してみた」。

当時の私のキャラと大違いのこの曲に、男共は大盛り上がり。

女子は最初場を読んで戸惑ったふりをしていたが、やがてつられて大盛り上がりになった。

私は、大盛り上がりの中心が自分であることの気持ちよさを満喫した。

もしかしたらあれは人生で一番気持ちよかった瞬間かもしれない。




私は時折先入観で光り輝くものを見損なう習性がある。

思えばそのことを人生で最初に気づかせてくれたのは忌野清志郎だった。



育て方の違い

先日、二人の「後進」のことを書いた

杉山先生は塾の先生としても素晴らしい。しかしその才能が多岐に渡るところが半端じゃない。森川先生が塾の先生をするために生まれてきたといってもいいくらいの、その部分の「長所」が一点突破で光っているタイプなのに対し、杉山先生は「マルチ」タイプ。二人は「輝き方」が違う。そんな有能な若者が二人も自分の傍にいる。素晴らしいことである。

色々ゴチャゴチャ書くのは控えるが、私は私こそが森川先生を誰よりも伸ばせるのだと思っている。彼の近くにいて、塾講師として私が身につけてきたことをしっかり教え、彼に大きく成長してもらおうと思っている。

一方、杉山先生はそのマルチの才能を伸ばすには私だけに学ぶよりも色んな人の下で学んだほうが大きく成長できると思う。変に私の持っている「価値観」だけを叩き込むと固まってしまう。それが「足枷」ならないほうが彼は柔軟に成長できると思っている。(もう10年ほど私と一緒にいる森川先生は既に私の『価値観』が随分と占めてしまっているはずだろう)



で、


色々考えた末、杉山先生に大きく育ってもらうために、彼を私が最も尊敬する先生のお一人に育てていただくことにした。

ほんとにうれしいや

以前の職場を辞め、塾を開く準備をしている頃、ある「食べ物屋」によく行くようになった。

若い夫婦と少しのアルバイトで回している小さなお店で、その店で出されるものは何でも美味かった。若い夫婦の小さな娘さんはウチの息子より年下で、なんと私達が店に行く深夜頃にはカウンター越しの厨房の流しの下に置かれたベビーベッドに寝かされていた。

私はこれから小さな塾を開いて奮闘しようとしている自分と、この夫婦を無意識のうちに重ねたのか、心の中でいつも応援していた。若い連中を連れて行って腹いっぱい食わせたり、一人のときも仕事帰りに飯を食ったりということをよくしていた。会う人会う人にその店がいかに美味いかを伝えて回り、そういえば奈良へ来て下さった猫ギター先生をお連れしたこともあった。

主人(といっても当時25歳くらい)と仲良くなってからは、お節介を承知で自分が読んだ経営の本なんかをあげたりしていた。私は若い主人のちょっとしたファンだった。「お互い成功しような」という声を、私は(自分にも言い聞かせるように)かけた。セリフがくさくならないように気をつけ、ちょっとふざけながら言うよう心がけた。

SORAを開いて一年くらいした頃だったろうか、芽育学院の角田氏と共に行ったとき、店に他に客がいなかったのをいいことに、若い主人に二人で矢継ぎ早に色々無礼に質問をして、ああしろこうしろとアドバイスをした。角田氏も本気で色々言っている。そう、この若い主人、可愛げがあって、そういうことを言ってあげたくなってしまうのである。人に好かれる、何とかしてあげたくなる、そういう面を持っているのは成功していく人に多い。私は彼がうまくやれば成功できると思っていた。私のそういう勘はあたるのだ。

その後、彼はちょっとしたチャンスがあって(それもやはり何とかしてあげたくなる人が現れたという)、小さな屋台の数を増やす。それを聞いて、私は「よかったな〜、ちょっとその幸運を分けてよ」といって彼にハグしたりした。私は自分のことのように嬉しかった。

そんな彼が先日、本店である店を移した。勝負に出たのだ。今日私は恐る恐る彼の店に行ってみた。

もう小さい店ではない、彼のおしゃれな大きな店は大繁盛していた。並んで待っている人もいて、店には芸能人からの花があったりした。店の中はてんてこまいというくらい流行っている。私は思わずにんまりして呟いた。

「どんだけ成り上がっとんねん…」

並んでいる人の横を気遣いながら抜けて、忙しそうにしている主人に「おめでとう」だけを言って帰ってきた。

あ〜うれしい。







15年前の卒業生

『15年前の卒業生』という方がブログにコメントを寄せてくれた。「方」なんて堅苦しい言い方をするのだが、「子」じゃおかしい。何せもう30歳を越えた昔の教え子なのである。

今まで読むだけでしたが、kamiesu先生に教えを乞うた者として何かグッとくるものがあり昔を思い出しました。

受験生諸君はkamiesu先生の一言一言が今は「憎い」「うっとうしい」「嫌い」と思うかもしれませんが親以外で自分を本気で叱ってくれ、自分の為に笑ってくれ又泣いてくれたのはこの時だけでした。
高校に入ったら自分自身との戦いが待っています。今は先生を使えるだけ使ってください??(笑)
受験というひととき、自分自身の鍛錬・挑戦を超えて後の人生に色々な宝物を手にした時期でした。今更ながらにお礼を…
「ありがとうございました。」

追伸 わが子が今嫁さんのお腹にいます。大きくなったらまたお世話になります。いやならしてください。


先日のブログで生徒に厳しく接していくことの決意を書いたブログへのコメントである。

追伸の最後の一文までが私を泣かせ、力と勇気を与えてくれる文章。一読して、瞑目、読み返し、深く息をして、このコメントを書いてくれたこの教え子に感謝した。(あの頃の私の年齢を追い越した彼はもうすぐ父親になる。)

15年前の私は今とは比べ物にならないくらい厳しかったし、怖かったはずだ。授業も下手だった。とにかく未熟だったし若かった。私の「武器」は「一所懸命」だけだった。一ヶ月休みがないなんてざらだったし、付き合っていた彼女(今の家内)に、この子達の受験が終わるまでは結婚できないと頭を下げたくらい彼らに思い入れていた。「愛とガッツ」だけで頑張っていたのだ。そうだ、それは私の原点だったのだ。

15年前に巣立っていった教え子が自分自身の原点を改めて教えてくれた。あの「一所懸命」は15年経って「自分自身」のところに帰ってきたのである。私はなんて幸せなのだろう。