半ドン

土曜日の学校の授業を復活させるかどうかの問題で様々な意見が出ている。

私は土曜日の授業はあった方がいいなと思う。

土曜のお昼は、いつの季節も日差しがふんわりとしていて、友達と一緒のあの帰り道が私は大好きだった。

誰に聞いても、土曜日の帰り道は素敵だったと言う。

私は母一人、子一人で育った。

家に帰ると、親がいないときもあったが、それでもあの帰り道は楽しかった。

土曜日の帰り道はどうしてあんなに素敵だったのだろう。










猫ギター先生

猫ギター先生がまた精力的にブログを執筆されている。やっぱり先生のブログはどうにも面白い。

猫ギター先生は最近ブログを半分お休みされていたので、私の塾の生徒やそのご父兄の方で、私のブログを読んでおられる方の中には先生のことをご存知ない方もおられるやもしれない。ぜひお読み頂きたいと思う。

私は先生のブログを初めて目にしたとき、数時間PCの前で固まってしまった。「こんな人がいるのだ!」私は既に書き始めていた自分のブログの文章を消去したり、リライトし始めた。

「こんなヌルい文章を書いている場合ではない!!」

私は猫ギター先生のブログに夢中になったからこそ、こんなに長くブログを書けたといってもいい。

こんな文章、滅多にお目にかかれるものではない。10回以上も読み返してしまった。先生の文章は、人の心の奥底にある気持ちの「核」を、不純物を取り除いて純化して後、鮮やかなデコレーションを施し、私達にそれを突きつける。

やっぱり凄い。

お母さん方、重ねて申し上げますが、ぜひお読みください。




最高の仕事をするために

自分自身が最高の仕事をするための「仕事環境」を作りたい。

具体的には今は書かないが、私は、どういう環境が、自分自身が一番大きな力を出せる環境かということを分かっている。

それを今から2年で完全に実現したい。

おおよそというならば、それは今すぐにでも作ることができて、大体今はその形になりつつある。

昨年よりも今年の方が進学塾SORAはいい塾になっていなければならない。

どんどんどんどん動いて形にしていきたい。

それは生徒達のためであり、何より自分のためだ。

大変なことだが、やりたいことができるので、ストレスが溜まらなくていい。


『ピアノの森』一色まこと

ボリュームのある食事を出してくれる「漫画喫茶」が塾から少し車で走ったところにあって、わりとちょくちょく通っていたのであるが、そこで何気なく手に取った「ピアノの森」という漫画にノックアウトされて、そのマンキツに数日通ってしまったことがあった。

作者の「一色まこと」は昔からちょっと気になっていたのであるが、(だから手に取ったのだけれど)この作品は傑作で、宝物を掘り当てた気分になって、読み進めてしまった。

一色まことは、人の心の中に浮かぶ様々な感情を描くのが上手い。そして涙が出るほどの「崇高な美しさ」を描くことができる。それができる理由の一つは、彼が「美しくないもの」の表現をリアルに、そして緻密にできるからであると思う。

しかも、この漫画、アニメで映画化されるという。(情報はこちら

漫画をアニメ化するとがっかりすることもあるが、どうやら相当に気合が入っているようだ。というのも、作品中のピアノ演奏をなんと「アシュケナージ」が担当するという。

アシュケナージって確か凄いピアニストだ。大学時代、クラブの女の子が大ファンで、いっぺん聴いてみてとテープを渡してくれた記憶がある。(結局そのときは聴かなかったけど)それくらいの記憶で言うのもどうだと思うが、とにかく「アシュケナージ」は凄いらしい。製作への本気度が伝わってはくる。

この映画は見なければなるまい。

心の動きを見つめてみると…

最近とても忙しいこともあって、ブログを書かない日がある。

ブログを始めた一年目はとにかく一年は絶対に毎日続けようと心に誓ったので、書き続けることができた。

もちろん2年目も毎日綴ろうと思ってはいたのであるが、一回途切れるといけない。

ずるずるっと途切れることが増えてしまう。

「行」は切ってはいけないのである。

大人でもこうなので、子どもにいたってはもっといいかげんになってしまうことだろう。

勉強はどんなことがあっても、たとえほんの10分であったとしても毎日しなければならない。

昨日の保護者会では、塾を休んではいけない、遅刻してはいけないということを力説した。

その思いが途切れぬままであれば、小さな火は燃え続ける。

一回膝を折ってしまうと、「なしくずし」になってしまう。

そういうことはいつも恐れていたほうがいい。

「こんな短い時間、やってもやらなくても…」

「心」の動きを見つめながら生活してみると、そういうのはとんでもない間違いであるということに気づくのである。






10代の煌めき

名阪国道の針インターの道の駅には休日になると、もの凄い数のライダーが集まる。

そこらのでかいバイク屋へ行くよりずっとレアなバイクを目にすることができて、それはさながらバイクショーのようだ。(本当に凄い)

好きな者にはたまらない光景である。

集まったライダー達はみんないい顔をしていて、楽しそうだ。

ほとんどがオジサンで若い連中は少ない。

若者はほどんど見ないと言っていい。

バイクは結構お金がかかるというのもあるが、今の若者はあまりバイクには興味がなさそうだ。

バイクは(クルマに比べれば)危ない乗り物なので、乗らないならその方がいいのかもしれないが、本音で語らせてもらえれば、若者がバイクに興味を持たなくなる時代というのも何だかちょっと寂しい気もする。

それはただのオジサンの感傷だろうか?







ゴールデンウィーク

連休に入り、一つ気づいたことがある。

塾を開いて以来、呑気にやりたい放題やってきたつもりだったが、相当なストレスを蓄積していたようだ。

とり憑かれたように「あること」ばかりやっている。

そのためのお金も結構使ってしまった。

自己分析してみると、どうもこれは「ストレス解消」のための衝動的行動にしか思えない。

昨日くらいからようやく落ち着いてきたようだ。

こう書くと何かこう大きな問題のような感じもするが、本人は至って楽しかったので何ということはない。

やりたいようにやるということは好き勝手ができて、とても楽しいことであるが、やりたいようにやる代償として、ケツは全部自分で拭かなければならないのはいうまでもない。

「勤め人」時代とは別種の、「一匹狼」のストレスがあるのは当然であろう。

そうやってストレスを自覚し、それを解消し、それで、今日あたりから授業がしたくて、生徒の顔が見たくてたまらなくなっている自分がいる。

連休明けに行う中1と中2の保護者会で話す内容を考えたり、「第二ステージ」に移る自分の目標のことなど頭がぐるぐる回る。

こういうのは調子が出てきた証拠か。

人というのは色々な「思い」を行ったり来たりしながら、自分の「行くべき場所」にたどり着くのだなと思う。

「停滞」や「休止」も「行きたい場所」があるならば、「無駄」ではない。

遠出はしないが「内なる旅」に出かけたゴールデンウィークという感じである(笑)