今日生徒に言ったこと(13)


「あきらめたら『あすなろ』にもなれないんだよ。」


「あすなろ」という木がある。「あすなろ」の木はその木目が「檜」そっくりで、むしろ「檜」より美しいにもかかわらず、「檜」より脆く腐りやすいので、材木としては使えないのだという。

「檜」になりたい「あすなろ」は、明日は檜になろう、と言い、つまりは「今日」何もしないので、いつまで経っても「檜」になれないのだと、とうとうそんな物語までできてしまった。

私は中1の生徒達に450点を目指そうといつも言っている。450点の難しさが分かってきた彼らの中には諦めそうになっている子もいる。

「あすなろ」は今日何もしないのだけれど、いつも「明日は檜になろう」という夢は少なくとも捨ててはいない。しかし、「目標」があるが、「行動」ができない、その「あすなろ」が「檜」なる夢さえ捨ててしまったら…

今日、中1の生徒に「あすなろ」の話をしながら、今どんなに450点が遠くても、今からあきらめたり、目を背けたりしたら、「あすなろ」にもなれないのだと何度も話をした。

私もまた「全員を伸ばす」ということをあきらめない。



今日生徒に言ったこと(12)

「今回、メッチャ頑張ってたな。凄いじゃん。」


試験が終わったら、結果が出る前に、頑張っていた子には頑張っていたことを認め、しっかりと褒めておきたい。

もし、よい結果が出たなら、褒めるのではなく、一緒に喜んであげたい。

「結果」が大事だという人もいて、特に塾の先生にはそういう人は多い。

私もそれは否定しない。

「結果」を目指して指導するのが私たちの仕事でもある。

けれども、「結果」は大切であるが、「過程(プロセス)」も同じくらい大切なのだ。

どちらかだけが大切だということはないのだ。

今日生徒に言ったこと(11)

「いいか、勉強できない子のほとんどは、『勉強できない子のものの考え方』をしているから勉強ができないんだ。」

「ここもやるんですか?」「これ一回やりましたよ」「ここ、まだ学校で習ってません」「試験範囲がまだ発表されていません」

成績が上がらない子は習っている内容が難しくて理解ができないのではなく、「ものの考え方」が勉強をできなくさせている場合が多い。思考は行動を決定する。大人は「勉強しろ」と、「行動」を変えさせようとするが、その子の「思考パターン」へも切り込まないとその子は変わらない。

勉強はできるようになるには「心の向き」を変える必要がある。その「向き」が変えられるように導くことが私達の一番の仕事だと思う。道は険しいが。

今日生徒に言ったこと(10)

「倍やれ。倍。」

「倍やる」は成績をできるだけ早く上げる一番のコツだ。これは勉強だけでなく、諸事全般に当てはまる法則かもしれない。

「倍やる」で勢いをつけ、結果を出してから「コツコツ」へ移行するのが一番いい。成績向上の最短距離だ。「倍やる」で一気にテンションを上げて、「内的変化」を起こし、「コツコツ」継続させることで心の奥底まで「変化」を定着させていく。「倍やる」のは「量」の問題ではなく、それは心の「スイッチ」を入れる作業なのである。

学校の定期試験の前なのでこういう話がどうしても多くなる。

今日生徒に言ったこと(9)

「じゃあ、今から教科書を読みなさい。」




教科書をしゃぶりつくすように読み込むことは、定期試験でよい点数を取るための鉄則である。しかしながら、この「鉄則」はなかなか実践されない。その理由はいくつもあるが、何と言っても最大の理由は、生徒達が「プリント漬け」にされて、「麻痺」してしまっているからだと私は思っている。そういう生徒達は「教科書を読む」行為がかったるくて仕方がなくなってしまっているのだ。

化学調味料で麻痺した現代人の舌は、素朴な天然の味付けでは物足りなくなってしまっている。そんな様子に似ていると言ったら分かりやすいだろうか。

「まとめプリント」「重要事項プリント」「過去問プリント」、そんな刺激的なタイトルのプリントで、何とか点数を取らせようと刺激的にアプローチされた生徒達は、何かが「麻痺」して、当たり前の王道を歩むことができなくなっている。

教える方は口角泡飛ばし、教科書を読めと繰り返すも、生徒は「麻痺」してしまっているので、その重要性がわからない。「先生、いいプリントはないんですか。」と不満げに生徒が言い出したら、「麻痺」は「中毒」の段階にきているのかもしれない。

当たり前の感覚を取り戻すためには「リハビリ」が必要だ。その方法はたった一つ。塾で時間をとって、目の前で教科書を読ませることしかない。「家で読んでこい」では、絶対にやらないからだ。

教科書を読ませている間、後ろから生徒を観察していると、テストなどしなくても誰が勉強ができて、誰ができないかが一瞬でわかる。勉強ができない子や「麻痺」してしまっている子は教科書を読み通せないのである。

「プリント」を大量に配ってやるのはいい。しかし教科書で勉強ができるようにすることとバランスを取っておかないと、プリントがなければ何もできない子になってしまう。「伸びる子」に育てるためには一番注意しておきたいところだ。

貴重な授業時間を使ってただ教科書を読ませる。一見手抜きのようだが、それはちがう。これこそ一番「プロ」の哲学と技術が入っている指導なのである。









今日生徒に言ったこと(8)

「それは優しさで言ったのですか、意地悪で言ったのですか?」




小5の教室での出来事。問題が解けなくて解答欄が埋まらなかった子がいて、その子に他の子たちが、「早よ、問題やりやー」とあれやこれや言ったらしい。その場を私が見つけ、何を言っていたのか確認すると、「あの子が問題が進んでなかったから」とか何とかと言う。「善意」のフレーバーがきいた「悪意」。こういうのを見逃してはいけない。

私は「ではそのセリフは優しさで言ったのですか、それとも意地悪で言ったのですか?」と問いただした。子どもたちはぐっと言葉を詰まらせたあと、「意地悪で言いました」と小さな声で言った。

「勉強ができるようにする」ことに優先して私達がやらなければならないのは、「生徒の安全確保」と「どの子も塾では気持ちよく過ごさせてあげること」であると私は思っている。それができていないのに「勉強しろ」と言うのは本末転倒だ。

小さなトラブルはときに癌細胞のように大きな問題へ進行することがある。だからこそ芽の小さなうちに摘み取っておくことが大切である。この手の問題の発見とその対処や指導は塾や学校の先生が絶対に身につけておかなければならないことなのである。

今日生徒に言ったこと(7)



「『えっ?』と言ってはいけません。」



授業中先生が何か指示を出すと、必ずクラスに一人か二人は「えっ」と言う子がいる。指示を受けたときに注意が足らずに聞いておらず、思わず口にしてしまうのである。

「『えっ?』と言ってはいけません。大体、そんなのは先生に失礼です。ちゃんと『先生、もう一回言ってください。』と言いなさい。」と指導するのであるが、教えているのは「礼儀」や「マナー」のことではない。これは「聞く力」を伸ばすための指導である。

人はいつも集中できているわけではない。集中の「スイッチ」が切れていることも多い。思っているよりも、人は煩雑に集中力の「スイッチ」をオンオフしている。誰かが大切なことを言い出しそうだったり、必要なことを言いそうだというとき、ぼうっとしていたり、他のことをしていたりしたとしても、その人の「無意識」ともいえる「何か」が反応して、集中力のスイッチをオンにする。この「何か」のレスポンスが弱い子やレスポンスが遅い子が「えっ」と言ってしまうのだと思っている。

「えっ」というのが口癖になっている子は、今までそれで済まされてきた子だ。「えっ」と言うだけで、周りが親切にもう一度同じことを言ってくれたのである。これを矯正するには「聞いておかないと面倒くさい手順を踏まなければならない」ようにするのが一番である。そこで、「先生、もう一度言ってください」と言わせることにしている。矯正するには途方もない時間がかかる。本当に大変だ。笑い話みたいだが、一度「えっ?と言ってはいけません」と私が言った直後に「えっ?」と応えてしまった子がいた。

ちなみに私の5歳の息子も最近、「えっ」と言ってしまうことが多い。これは聞けなかったのとはちょっと違う。息子が聞けなかったときは「なに?」と言う。息子が「えっ?」というときはやりたくないことをやれと言われたときだ。心が拒否して思わず言ってしまうのである。「葛藤」が「えっ?」という言葉になって表出したのである。それで、よく家内に叱られている。家内は叱るときは剛速球ストレートだ。もう少し変化球を混ぜた方がいいかなと思うときもあるが、「えっ?」という言葉のような些細なことを見逃していないのはなかなか凄いと思っている。