卒園(1)

実は公立高校入試の発表の日は息子の幼稚園の卒園式だった。

正直なことを言うと、公立高校の発表の方が気になっていて、息子の卒園式などどうでもよいとまでは言わないが、心そこにあらずといった気分だった。

式は午前10時からだったので、一応出席することができたので、スーツを着て出かけた。気が落ち着かないので行かないでおこうかということも一瞬考えたが、やはり行ってよかったと思っている。

よく我が子の成長が嬉しくて、式の前からウルウルしたなんていうお父さんもいるが、私の場合、そんなことはまったくない。こういうことを言うと、愛情のない、酷い父親のようだが、「たかが幼稚園を卒園するくらいで泣いてどうする」という考えの人間も一人くらい子どもの周りにはいた方がよいというのが持論だ。それくらいのバランスがいいと思う。(隣の家内はすぐうるうるきていた。そういう人も必要。)

もちろん息子の成長は嬉しい。こういう式は子どもの成長を分かりやすく見せてくれる。私は途中まで写真を撮っていたが、かけがえのないこの光景を胸に刻もうと思い、途中から写真を撮るのをやめた。

卒園生入場。親たちが大きな拍手を送る。笑顔と祝福の拍手に迎えられ、園児が一人ずつ入場してくる。入口から入場し、正面に向かうところで静止。くるっと正面に向きを変え、自分の席に向かう。どの子もこれがきちんとできている。きちんと何度も先生が練習をさせてくださったのだろう。先生方に感謝。

卒園証書授与。名前を呼ばれた園児が返事をし、立ち上がる。正面に立つときに二方向へ深々とお辞儀をする。これもまた、どの子もしっかりとした所作ができている。子どもの美しさには二種類ある。素のままの子どもらしい動きと、きちんと鍛えられた動き。この美しさは後者の方だ。

我が息子も張り切っていた。しかし、彼は納得がいかなかったのか、証書を先生に預け、自分の席に戻るとき、かすかに首をひねっている。表情も不満足気だ。どうしたんだろうと家内と言っていたが、あとで理由を聞いてみたら「ちんちんがべたべたしていた」のだそうだ。緊張して汗をかいていたのだろうか。母親から人前でちんちんを触ってはいけないといわれているので相当我慢したにちがいない。こういうところが子どもの面白いところだ。

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GR Digitalじゃないカメラ 入園式に向かう3年前の写真





別れがあるから人の世は美しく出会いがあるからこそ人生は素晴らしい

最近の母親の口癖は「小学校へ行ったら全部一人でやらなあかんねんで(-"-)」。

気が優しいのはいいが、呑気でマイペースなところが母親をイライラさせているようだ。ちなみに私の小さいときにそっくりだ。もしかしたらまだ私より息子の方がしっかりしているかもしれない(笑)

時折、寝ぼけながら「〇〇くんとしょうがっこうへいったらおわかれせなあかん」と泣く。こうやっていくつもの出会いと別れを経験していくのだろうなと思う。

私達もまた、一緒に頑張ってきた中3達との別れが近い。この時期は毎年複雑で不思議な気持ちになる。

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GR Digital 
久し振りのGR Digital&flickrの写真。やっぱりGR Digitalの画像はきれいだ。1月に私が塾で仕事をしているときにお守でつれてきたときの一枚。息子は落書きをすると必ず「ねないこだれだ」のお化けを描く。

てってーてきにむずかしい

最近息子のことをブログに書いていないのは息子と接している時間が短いからに他ならない。この頃は会うたび(←この言い方!)に彼の語彙が複雑になっていることに驚く。(そしてうれしい。)

「ボクはな、つみをおかしてん…」

「がんばらなあかんさだめやねん…」

「こっちのやつのほうがてってーてきにむずかしいねん」


アニメかなんかで覚えた語彙なのだろうか、日常会話でのミスマッチさが可笑しい。面白いのでそのまま喋らせている。

ただ最後のひとつは「そこは『てってーてき』じゃなくて『あっとーてき』の方がいいんじゃないかな」とは言っておいた。

負けてはいけない

先日、息子は発表会の太鼓がうまく叩けず、幼稚園で担任の先生にきつく叱られたようだ。

家で公文の問題をやっている最中もなかなか問題が進まず、「どうせボクは太鼓も公文も何もでけへんねん」とベソをかきだした。エンピツを握り締めたままおいおいと泣き出したそうだ。

自信を失くした息子は家で勉強をやっていてもうまく進まない。頑張ろうとしたところに幼稚園で頑張っても頑張ってもできなくて叱られたことが頭をよぎる。小さな心は耐え切れず爆発してしまった。その場の一部始終を見ていた家内はとても辛かったろう。

しかし、こういうことはとても大切だ。失敗したり、叱られたり、自信を失くしたりする経験、そしてそこから立ち直り、また歩き出す経験。そうやって子どもは成長する。人は苦しみの中からしか学べない。それは大人でも6歳の子どもでも同じだ。

家内はベソをかく息子を膝の上に乗せ、息子が勉強していた部屋に飾ってあった「着付けの免状」を指差し言った。

「お母さんが着付けの先生なのは知ってるでしょう。お母さんが自信を持って他人に着物を着せられるようになるのにどれくらいかかったと思う。…12年かかったの。あなたは生まれてまだ6年でしょう。時間がかかってできるようになることはいっぱいあるの。できないといってあきらめたらだめなのよ。」

お母さんナイス!いいことを言ってくれたと心から思う。それを聞いて息子は納得したのか、してないか。それでも泣き止み、また公文の宿題をやりだしたのだそうだ。

息子を叱ってくれた幼稚園の先生と、泣いている息子にそういう話をしてくれた家内に私は深く感謝した。

「お話があります・・・」

息子の幼稚園の担任の先生は息子が3年前幼稚園に入園したときに大学を卒業し、新任として園に着任された。最初の家庭訪問のときなどはたどたどしくて話を聞いている方がハラハラしたものだが、あれよあれよという間にどこから見ても「しっかりした先生」になられたのにはびっくりした。

息子の担任の先生の口癖は「○○君、先生は後でお話があります」だ。このセリフを言われた園児達は後で「叱られる」ことが分かっているので、ガヤガヤしていても、先生が誰かにこのセリフを言うと途端におとなしくなるらしい。

この話をどこからか、おそらくはお母さんネットワークなのだろうが、聞いてきた家内は試しに自分の息子に「お母さんは後でお話があります」と言ってみたら、いきなり慌てて「ボク、何も悪いことしてないよな」とブツブツ言い出した。

昨年のクリスマスの二日前、息子がサンタさんへの手紙を書いていた。親というのは子どもの字を読むのが楽しみなものである。寝入った息子の枕元に置いてある「お手紙」をこっそり読んだ。

サンタさん おねがいがあります いい子にするので モンスターボールあんどけんきゅうじょをください

「お願いがあります」という言い回しというか、その書き出しがちょっと面白くてクリスマス以降ずっと頭に引っかかっていたのだが、あれはきっと幼稚園の担任の先生の影響だったのだ。そういえば息子は母親にでも「おかあさん ちょっとそうだんしたいことがあるねん」というような言い回しをする。

先生というのは生徒達本人や、その先生自身にも気づかぬところで彼らに影響を与えてしまう仕事だ。息子の手紙を思い出してちょっと嬉しく、そしてちょっと焦った。









コマ回し

今日は息子が風邪を引いて幼稚園を休んだ。家内に今日は風邪を引いているから幼稚園を休みなさいと言われると、息子はしくしくとベソをかいていた。幼稚園が大好きなのだ。

息子は悲しんでいたが、私は息子と会話ができるので少し嬉しかった。この間の日曜日は早朝から勉強会に参加するのに北海道に行ったため、息子と会話をするのは久しぶりだ。息子はこの間何かのイベントでプレゼントでもらった「コマ」を見せにきたので、目の前で回してやった。

一度やって見せると息子は当然すぐにやりたがる。しかし、いたれりつくせりの今の玩具ではない。昔の玩具は技術が必要だ。案の定、紐の巻き方から苦労している。一度教えて見せたが、確認もせずにすぐにやりたがるがなかなかできない。ギュギュっと最初に力をいれて締めないから、紐がばらけてしまう。10回以上失敗してからようやくお父さんのやり方を見て、「あ〜、そうやんのかあ」なんて言ってる。子どもは失敗をしないと学べない。

ようやく何とか紐が巻けるようになり、コマを投げさせてみるがなかなか上手くいかない。「感覚」をつかむまではできない類のものだから難しいのだ。何度も何度もくりかえし息子はコマを投げている。昔の玩具は単純だからこそ、難しく習得に時間がかかる。習得したら習得したで、さらに高度な技がある。コマの紐の巻き方、コマを回すときの体感覚の習得などは子どもの発達にとてもいい。しかも奥が深いので飽きにくい。

私が回したコマに、息子は紐をひっかけてどうにかしようとしている。きっと幼稚園で先生が回っているコマを紐でひっかけて持ち上げ、手に乗せて見せてくれたりしたのだろう。それを自分でもやってみようとしているのだ。子どもはよく見ている。そうやって彼らは学んでいく。

幼稚園の友達に影響されて、wiiが欲しいなんて言っていたが、ああいうのはまだ買わないことにしよう。




私はドラえもんに負けた

猫ギター先生の「ドラえもん のび太が塾に来たら」シリーズは非常に深い。塾講師も親も様々なことが学べる傑作だ。

その話とはまったく関係がないが、今日は私がドラえもんに負けてしまったという話を。

先日、幼稚園年長組の息子が本屋で小学館の『小学一年生』をねだった。ねだったのは雑誌の付録に「ポケモン時計」がついていたのを彼が目ざとく見つけたからなのだが、その号には「ドラゼミ」の「お試し」がついていた。

「ドラゼミ」というのは通信講座の教材のことで、教材全編に渡り、ドラえもんやのび太が登場する。漫画のキャラクターが出てくるのでお遊び的なものかというと、そこはあの蔭山英男先生が監修されているということで、本格的な教材となっている。

数日前、私が家に帰って遅い食事を取っていると、家内が、息子が「ドラゼミ」をやりたがっているがやらせてもいいかと相談してくる。私は、そんなものはどうせすぐ厭きるだろうからやめとけ、と言った。家内は普段息子に厳しいくせに、私が厳しいことを言うと、とたんに息子の肩をもって、いやあの子はかなり真剣だったと、やらせた方がよいと主張をする。

家内が言うには、息子はこの教材をやると言い出し、それはもう夢中になって取り組んでいたという。連日2時間以上取り組み、もう寝なさいと言われてもやり続けたのだそうだ。おまけに「僕はこの教材をずっとやりたい」と言い出し、母親に真剣に交渉をし出したのだという。

ええ〜、ほんまかいな、とあくまで私は懐疑的。そんなキャラクターに惹かれてやるというのは・・・。ドラえもんやポケモンをとっかかりにして勉強に興味を持たせるというのもアリだろうけれど、ちょっと亜流というか、変化球というか・・・否定はしないが、積極的には肯定しないスタンスというのが私の本音のところだった。

まあ、それでも頭から否定するのもどうかと思い、どんなもんかいなと家内に教材を見せてもらうと、ちょっと驚いた。いや、けっこう驚いた。

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携帯で撮影

これの他にも蔭山先生の代名詞となった百ます計算(この教材では五十ます計算になってたが)の足し算や引き算のやつをびっしりやっていたり、算数の文章題を母親に教わりながら式を書いて答えを書いていたりしていた。子どもが適当にやったか、それとも真剣にやったかというのは字を見れば分かる。そのプリントには「一所懸命」が溢れていた。

確かに教材はよくできている。私もこの仕事をしているから、教材を作った人の意図が見えてくる。いや、なかなか、ざっとしか見ていないが、教材を眺めていると、小1相手にこの教材を使って「お教室」でもやりたくなってくるくらいよくできている。だが、よくできているとはいっても、教材の完成度だけで、子どもが一人でそこまで頑張れるものではないだろう。やはり夢中にさせているのは「ドラえもん」だ。これだけ子どもを夢中にさせる塾講師は果たして世にどれだけいるだろうか。

アニメのキャラクターがいかに子ども達を惹きつける「リーサルウエポン」とはいえ、教材会社の安易な作戦にやすやすと乗ってしまうかお前、と少々複雑な心境にならないでもない(笑)

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塾講師として父として落ち込む私

知らない間に息子のお勉強は進んでいた。私は「ドラゼミ」の教材の質にも驚いたが、息子が一所懸命書いた答案にも驚いた。色んなことができるようになっていた。息子を夢中にさせる「ドラゼミ」にも落ち込んだが、実のところ、生徒達のことに明け暮れる毎日で、ほとんど寝顔しか見ていなかった息子の成長ぶりを「ドラゼミ」によって知らされたことの方がショックだったのかもしれない。