動名詞

今日は塾が休みで酒を飲みに行き、今は酔っぱらい状態であるが、三回戦の「動名詞」が始まっている。書かない訳にはいかない(笑)

他の先生の指導に関する記述を読ませて頂くことは大変勉強になる。そして、自分自身の指導方法を書くことも大きな勉強になる。何と言っても、自分の指導方法を晒すわけである。人の批判は簡単であるが、自分がどういうところをポイントにおいて指導をしているかを書き記し、それを公開することは勇気が必要だ。ある意味、こういうことを書き続けるだけで結構成長できるのではないかと考えている。

さて、動名詞である。不定詞にせよ、動名詞にせよ、深く入り込めばいくらでも深くなる。導入の時点でどこまで進めるか、そのあたりの制御が教える側のセンスと哲学が問われることとなる。

私は動名詞を教えるときに必ずこの話をする。

「動名詞を学習するポイントは二つあります。一つは不定詞の名詞的用法との使い分けです。もう一つ動名詞を使った数多くの熟語をきちんと覚えることです。」

結局点数になるのはそこらあたりで、「動名詞の本質」を熱弁しても、ここのところを外して勉強しても点数にならない。塾講師としてはまずここのところを押さえておきたい。

もちろん点数が取れればそれだけでいいとは思っていない。私もロカビリー先生と同じく「用語」をきちんと教える。導入のときだけは比較的抑えるが、用語を使って説明し、用語に馴染んでおくと、高校以降の学習が有利となる。(もちろん「本質」を理解する上でもとても役に立つ)

私は動名詞を教えるところで、準動詞の「意味上の時制」と「意味上の主語」を初めて生徒に教える。そしてto不定詞は「これから〜すること」であり、動名詞は単に「〜すること」、あるいは「これから〜すること」ということも教える。全てを習得するのは難しいが、生徒達はこれから何度もこの話を聞かされることになる。少しずつ彼らは習得していく。「薄塗りの重ね塗り」こそが定着が確実になると私は考えているので、ここですべてを理解できなくとも一旦教えることにしているのである。

stop 〜ingとstop to〜の件に関しては、私は、stop to 〜は動名詞ではないので、「stopは動名詞しか目的語を取らない」と教える派である。不定詞のときに書いたが、ここでの混乱を避けるためには、「目的語とは何か」「目的語は名詞(代名詞)(名詞句・節を含む)しかなることができない」ということを生徒達に叩き込んでおかないといけない。私が不定詞までに教えておくべきことを重要視するのは、方便なしに不定詞・動名詞の理解をさせたいからである。

だから私が不定詞・動名詞を教えると時間がかかる。けっこうここで立ち止まり、長いこと不定詞動名詞を教えている。しかしながらここで時間をかけるとあとがスムーズなので、ふんだんに時間を使う。

「ここんとこ節で言い換えてみて」
「これを名詞で書き換えてみて」
「不定詞でも表現できるよ。書いてみて」

「節表現」「不定詞表現(句表現)」「名詞表現」が縦横無尽にできれば本物の力だ。不定詞・動名詞はそこへ至る一番大切なところなのである。

追記:私が「不定詞は全ての単元の中で一番難しいからしっかり勉強してね」、つまり難しいと表現した「不定詞」のことを赤虎先生は「不定詞は楽しい」と記述されていた。そうだ視点を変えれば不定詞を学ぶことは楽しいことなのである。とても興味深いところで、英語への理解がぐんと深まるところである。先生の肯定的なものの捉え方に軽いショックを受けた。

酔っぱらった勢いで推敲もせずに更新ボタンを押してみる。通らばリーチ!(笑)






不定詞について

ごうまじまじ先生や赤虎塾長が不定詞について書いておられたので私も書いてみる。関係代名詞に続く「第二弾」という感じがして面白い(笑)

中学生に「不定詞」を教えるときに私が最初に言うことは、「不定詞って英語の単元の中で一番難しいからしっかり勉強してね」ということである。

最初の入口はできるだけ敷居の低いように気を配るが、やはり不定詞は難しい。最終的には意味上のSV関係を掴まねばならないし、意味上の時制も捉えなければならない。勉強をしてこなかった子はここでかなりの確率で行き詰る。だから学びの最初に脅かしておくのである(笑)

実は私は不定詞を教えるまでに自らに課していることがある。それは以下の2点である。

「副詞」「形容詞」とは何かということを分からせること
文の主語と動詞を掴ませること


上記の2点を生徒達にできるかぎり叩き込んでおくことを目標に置いている。不定詞をどう教えるかというよりも不定詞までに何を身につけさせておくかということに意識を置いているといっていい。

「副詞とは名詞以外を修飾するもの」
「形容詞とは名詞を修飾するもの」


たったこれだけのことを全員が「言える」(「分かる」ではない)ようになるだけでも膨大な時間がかかる。私も赤虎先生と同じく、「用語」を導入時には極力用いないようにしているが、「副詞」と「形容詞」、「主語」「動詞」だけは早くから言うようにしている。

「この under the tree って何を修飾してる?」

これを正確にできるようになるためには何べんも何べんも同じような質問をし続けなければならない。

「私は英語を勉強するためにアメリカへ行くつもりです」
↑この文の動詞は何ですか

と生徒に問うたら、うっかりした子は「勉強する」と答えてしまう。「不定詞」の単元で正しくできるようにするのではなく、「不定詞」までに正確に答えられるように鍛えておきたい。

だから「不定詞」を教えるときはドキドキしてしまうのである。今年は勝ちか負けかで言えば、「負け」だったような気がする(笑)ここから逆転しなければならない。頑張ろう。



関係代名詞、私も…

そういう時期であるので、「関係代名詞」の指導法についてブログに書いてらっしゃる先生が多い。私も便乗させていただいて書いてみる。

そんなに変わった指導法を行っているわけではないが、目的格から導入する点と、「先行詞」などの文法用語は一通りの作文ができるようになるまで用いないというのが特徴かもしれない。あとは二文を一文にまとめるアプローチの導入ではなく、作文からの導入を行っている。

「私が昨日会った女性」を英語の語順に直す→「女性、そいつに私が会った昨日」

この「そいつに」という日本語を差し込むところがミソで、ここでは「そいつ」しか使わせない。「彼に」とか「彼女に」はNGである。このあたりが、日本語にない関係代名詞を書かせる私なりの苦心である(笑)

これを口頭で言わせる練習をしてから作文に入る。私は授業中、英文を和訳させるとき、口頭の場合は「語順訳」(最近これを「読み下し文」と言おうかと思っている)しかさせないので、英語の語順へ変換するのは慣れている。口頭で答えさせるとテンポが上がるので理解が速くなる。ステップを細分化することによって、「できない子」を生まないように工夫しているのである。

一通りの導入が終わり、一応の理解ができるあたりから、今度はそれらを文法用語をバンバン使って繰り返し説明する。用語を馴染ませ、文法用語を身につけさせるためである。文法用語に疎い子は高校の授業についていき難いと私は考えているので、文法用語は徹底的に使う。

私の塾では春に一度関係代名詞を教えてある。その後、不定詞と動名詞、分詞ときて、来週から関係代名詞の復習を行い、分詞や受動態と絡んだ関係代名詞の文の書き換えなんかを行うことになっている。

私の英語指導は英作文が基礎になっているので、作文テストは頻繁に行う。25問テストが多い。来週使おうと思っている作文テストを載せてみる。

1.ナンシーが作ったケーキを食べました。
2.向こうでテニスをしている少年はボブです。
3.彼には画家になった息子がいます。
4.メアリーの作ったサンドイッチはあまり美味しくなかった。
5.彼が描いた地図を見せてください。
6.フランス語で書かれた手紙を受け取ったが、まだ読んでいない。
7.私が図書館で会った女性はロビンソン夫人です。
8.彼女が私たちにしてくれた物語は面白かった。
9.トムが世話している猫はとてもかわいいです。
10.私は昨日ここへ来たあの女性を知っています。
11.彼は私に駅への道を教えてくれた人です。
12.ポチは皆で世話をしている犬です。
13.これが先月日本で買ったカメラです。
14.彼が買った車は赤いスポーツカーです。
15.イタリア製のバッグを持っています。
16.先週にあなたが買った本を貸してください。
17.彼はしっぽの長い犬を飼っています。
18.君に言っておかなければならないことがあるんだ。
19.大阪は多くの人々が訪れる都市です。
20.彼によって作られたテーブルはとても大きいです。
21.彼が数年前に建てた家はすばらしいです。
22.私は音楽に合わせて踊っている少女を知っています。
23.屋根の上に横たわっている犬は私の犬です。
24.私が一番好きなミュージシャンはジョンレノンです。
25.向こうに見える建物がわたしたちの学校ですよ。

春に一度教えてあるので、ハードルが高くなっていて、「主語落とし」の文を結構入れてある。関係代名詞を教えながら、英語全体のセンスを磨こうというのが狙いだ。関係代名詞を用いると少し不自然になる文もあるが、そういうところはちょっと目をつぶっている。

ちなみにa と the の違いも結構しっかり追いかける。安易にどっちでもいいですよとはやらない。できる子もできない子もしっかり書いて、聞いて、繰り返して身に着けてもらいたいと思っている。難しいことを理解するためのプロセスは「基礎力の向上」でもあるからだ。


板書について

あまり大きな声では言いたくないのであるが、私は授業の「板書」に重きを置かない。

様々な教育書で、「板書」の重要性について書かれているのを読むたびに居心地が悪くなり、罪悪感に苛まれる。(ちょっとウソ)

「板書が無駄だ」と言うつもりなどさらさらないが、授業に関する大抵のことに拘りを持つくせにどうして板書にだけは拘らないのだろうと不思議に思う。

あれこれ考えてみたが、自分自身を納得させるほどの理由がどうしても見当たらない。

あえて言うならば、その場で「分からせる」ことに重点を置くため、きれいな板書をして、説明のリズムが乱れるのを嫌うからか。

「分からせる」ときには私はテキストを使わない。板書だけで説明をする。

その際に最も気を使うのは説明が「淀まない」ことだ。

そして「分からせた」後、問題をやらせてみて、定着を図る。

一旦生徒に自分の頭で考えさせた後、テキストの解説部分を用いてもう一度、「解説」を行う。

「能動的」に生徒の頭を動かさせた後、説明を繰り返すと、「なるほど」と生徒は感じやすい。

「念のためにもう一度」は結構私の授業のキモである。

再度の説明のときには、テキストにいくつも「書き込み」をさせる。

足りないところや重要なところをいくつも赤字でメモさせる。

復習をするときはそれを見ればいいじゃんと思っている節があるのだ。

「板書」を写したノートは時系列であるが、テキストの解説&書き込みは単元別となる。

当然復習もしやすい。

いざ役に立つのはどちらかと言えば、後者だと思う。




などと、そうやって板書に重きを置かない理由をあげつらうのであるが、本当の理由は何なのかは定かではない。

中3の英語

赤虎塾長先生とロカビリー先生のブログで、英語の指導について書かれている。読んでいるとワクワクする。お二人の力量の高さが見えてくるからだ。凄い先生は「俺は凄い」とは言わない。何をやっているかを記すだけで凄い先生はその凄さが見えてくるものだ。

で、私も中3の英語について書いてみる。実は今「関係代名詞」を教えている。この時期に「関係代名詞」を教えるというのはポピュラーなのだろうか。なんとなく違うような気もする。

私が何故今中3に関係代名詞を教えているかというと、関係代名詞を教えると、英作文全般の復習というか練習ができるということが大きい。

文章の主語をしっかり見つける訓練もできるし、時制にも気をつけなければならない。修飾・被修飾の関係があいまいだとまず書けない。「関係代名詞」にはそういうことが全部詰まっていてちょうどよい練習になる。

句と節の表現を使い分けたり、「意味上の主語」を見つけさせる訓練もできる。一段深い指導ができるのも大きなメリットだ。「シリウス発展編」の関係代名詞の章の冒頭の説明は私好みでとてもいい。

この時期に関係代名詞を教えているのは、「関係代名詞」という単元を仕込むというよりも、英語の学力の底上げのために関係代名詞という単元を利用しているというのが近いかもしれない。




やってみせ…

小5の英語をゆっくりゆっくり進めている。カタツムリの如くにゆっくりである。おまけに宿題もほとんど出さない。何せ50分授業が3回ある。フラッシュカードや発音の練習、あるいは単語の練習なんかも時間内で結構できるものだ。

授業中に単語の練習をさせるなんて手抜きだと言われそうだが、ここのところは重要だ。単語の練習をいきなり宿題などすると、小5など、はちゃめちゃになってしまう。(中1でもそうだが)綴りの写し間違いを何行にも渡ってやっているなんてざらである。それを「しっかり見なさい」とか「集中してやりなさい」なんて言っても、改善されるはずもない。そういうのは「指導」とはいえないだろう。

私は単語の練習のやり方を塾の授業の中でしっかりと身に着けてもらうことにしている。私は生徒に単語練習を指示し、彼らが練習しているのを眺めている。綴りミスが出たら、即指摘する。単語と単語の間が広かったり、狭かったりしても直すように指示する。ノートの使い方や覚えたかどうかの確認のやり方も教える。

やらせてみて、できるようになったことは褒める。しくじった部分はできるだけ早くに見つけて教えてあげる。こういうのは地道な積み重ねであって、目の覚めるような鮮やかな方法というのはないだろうと思う。

そういうことを一通り仕込んでから、満を持して宿題を出したい。こんなのは遠回りのようでいて、一番の近道なのだと思う。

tree tree tree trre trre trre ・・・あれっ!?

というノートは見ていて可愛い。本当に小5は可愛い。まあだからといって、もちろんほっとくわけにはいかないのであるが。

授業についてあれやこれや

授業は「教える半分、観察半分」というのが最近の自分のモットーになっている。

全員を伸ばそうとすれば、生徒一人ひとりを「把握」することが不可欠だ。

その「把握」の精度を高めるためには全神経を注いで生徒を「観察」しなければならない。

個々の生徒のできるところ、できないところを掴み、そしてその情報を授業に生かす。

授業はカリキュラムからフリーなので、できていないと思えば、長めに取り、できていると判断すれば、どんどん進む。

(どんどん進むときがないと、学校より授業が遅れてしまう。いけるときには突っ走る姿勢が大切だ)

「臨機応変」さが大切だと最近つくづく感じる。

状況を見て、授業を変化させる。

この「変化」が的確で俊敏であることが、わかりやすくてよい授業を作る。

一方DVDなどの映像授業は完璧なシナリオを書き、そのシナリオを完全に再現することがよい作品を作る最大のポイントだ。

ライブの授業はアドリブ(基本技術に裏打ちされた)が重要な「ジャズ」で、DVDなどの映像授業は緻密なシナリオと完璧な技術が要求されるクラシック音楽のような感じか。

自身の力量を上げるためには両方の修行が必要だ。

「ジャズ」ばかり演っていると、時間が経つと軸がぶれていく可能性がある。

時折「クラシック」の修行をすることで、「再現性」の高さが維持できる。

生徒の復習用にDVDライブラリでも作れば一石二鳥なのであるが、そんなストイックな修行が続くだろうか。

うーん、どうしても二の足を踏んでしまうな(笑)