子育ての葛藤

昨日まで家におばあちゃんが来ていた。息子はおばあちゃんのことが大好きだ。年寄りというのは小さい子の言うことをきちんと聞いてあげる。息子はおばあちゃんに一所懸命色んな話をしていた。

おばあちゃんが来ていたのは息子の6歳の誕生日を祝うためだ。プレゼントととっておきのお店で買ったケーキを持参して来てくれた。膝が悪いおばあちゃんは片足をひきずりぎみにえっちらおっちら電車に乗ってきてくれる。

昨日、私は朝から息子を放ったらかして、中間試験の勉強会に出ていたものだから、お誕生日ケーキのろうそく消しイベントも参加していない。私が家に帰った頃にはイベントは終了していて、ケーキを食べただの、おばあちゃん手作りの餃子を11個食べたのと、一通り報告してくれた後、息子はお風呂に一人で入り(最近一人で入ることになった)、上がって、体を拭き、パジャマに着替え、寝る時間となった。

夜8時までに暗い部屋できちんと寝させることが幼児の脳の発達にはとてもよいのだと研究者は口を揃えて言う。普段はそうしている息子も、この日はおばあちゃんが来てくれているのだ。息子はまだ起きていたい。案の定、二階へ上がって一人で寝ることを嫌がった。

「上へ行って寝なさい」と言われた息子はさめざめと泣き出す。「何で泣くのよ」と家内が苦笑いをしながら尋ねると、「だってお母さん、いつも上で寝なさいって言うやんか」と目に涙をいっぱいに溜めながら、息子は抗議をする。

私が助け舟を出す。

「お前はさ、もう6歳になったよな。一人で寝られる子と寝られない子、どっちが6歳っぽい?」

「ひとりでねるこ!」

「じゃあ今お前はどうした方がいいの?」

「上で一人で寝る!」

「じゃあ行っといで。」

そんなやりとりをした後、息子は二階へ上がっていった。が、階段を上がりながら息子は声を上げて泣く。理屈では分かっているが、心が張り裂けるのだろう。二階で布団に入ったのだろうが、泣き声が下まで聞こえてくる。

こういうとき親はどうするべきなのか。普段偉そうなことを言っている私でもこういうときは困る。さあどうすればよいか。

1.放っておく。
2.下で寝かせる。
3.寝付くまで上に上がって添い寝をしてやる。

2と迷いながら、私は結局3の方法を取る。(ばあちゃんは2を主張した)やさしい父親がある。しかし、息子がまだ寝付いてないにもかかわらず、「行列のできる法律相談所」が見たかったので、理屈をつけて下へ降りた。ひどい「手抜き父親」だ(笑)家内は一緒にいてやったようだ。

下へ降りるとばあちゃんは「篤姫」を見ていたが、いつの間にか寝入ってしまってる。(ところで「篤姫」、主演の宮崎あおいはアップのときの演技が上手い。驚いた。が、カメラが引き、体全体が写ると演技のレベルが下がる。時代劇の所作ができていないからだろう。)

私が「行列〜」を見ていると、寝入った息子を確認した家内が降りてくる。

「寝た?」

「うん、寝た」

子育ては難しい。きっと多くの愛と哲学、そして理性や技術、向上心が必要だ。そのブレンド具合の理想は分からない。しかし、それを基に日々多くの判断をしていかなければならない。ただどれかに偏るときっと上手くいかない。常に自分のやっていることが正しいかどうかの自分への問いかけと謙虚さを持つ必要がある。そのくせブレてはいけない。だから難しいのだ。

「手抜き父親」が偉そうに言うなですって。すみませんm(__)m












JUGEMテーマ:育児


コマなし2

まるみさんとriringoさんに「自転車マスター」のコツをアドバイスいただいた。本当にありがとうございます。

お二人のコメントを拝読し、子どもというのは数多くの「あたりまえのこと」を親の「働きかけ」によって身につけているのだと改めて思う。箸の使い方、歯の磨き方から、お尻の拭き方に至るまで、勝手に身につくものはない。親が何度も何度も教え、ようやく身につくのである。「親」をするというのは大変な労力を必要とする。損得勘定で考えるととてもできるものではない。昨今の少子化問題は、日本人に「損得勘定」という価値観に強く傾きすぎた教育をしたからではないのか、なんて思ってしまう。



さて、息子、「足けり」の後はとりあえずコマなし自転車に乗ることをトライさせてみた。初手からあれやこれやとアドバイスをしてしまう大人は少なくないが、子どもはとりあえずやってみたいのである。転んでも怪我をしてもいいからいきなりやらせてみるのがいい。子どもは「経験則」でしか学べない。ありがたいアドバイスも「経験」とセットでないと彼らは聴く耳を持たない。

私は一切手を出さずに、子が何度も転んだり、足を着いたりするのを眺めていた。危ない転び方をしてはいけないから、すぐに手を出せるようにしながらも、できるだけ眺めていた。

息子は何度転んでもチャレンジする。何度も何度も同じような転び方、あるいはふらつき方をしながらも、決してめげないし、止めない。あきらめずへこたれず、流れる汗を拭こうともせず、果敢に挑戦する彼の姿を見て、子どもに元々備わっている「生命力」というか、「向上したい心」みたいなものに共鳴したのだろうか、ちょっとぐっときてしまう。

息子は頑張っている。ここからはお父さんの出番。悪戦苦闘の末、独力でバランスを取れるような取れないような微妙な状態になったとき、私は初めて息子の体を支えた。最初は首根っこを支えたが、そうすると息子は彼の首を支えた私の手に体重を預け、依存するような感じになってしまった。これはまずいと私は手を離し、両肩から腕の辺り、ちょうどBCGの注射をするあたりのところを、常時支えるのではなく、バランスの崩れた方向と反対側へトンと押すような感じで支えるようにした。彼の肩に触れる時間はできるだけ短く、彼が独力でバランスを取らなければならないようにした。これはうまくいき、彼は結構すんなりと自転車を漕げるようになってしまった。

彼が何とか補助無しで自転車をこげるようになるまでの練習時間は40分×3回といったところだろうか。最後の方は少し危なっかしいが「立ち漕ぎ」まで身につけていた。「立ち漕ぎ」は男の勲章なのだ。

初めて長い距離(といっても10メートルくらい)を補助なしで走れたとき、息子は「うわあ〜」と喜びの声を上げた。私は後ろに立っていて、その表情は見えなかったが、彼の最高の表情が見たくて必死に走って彼の前に回りこんだ。風に前髪を流され、おでこ丸出しで喜ぶ息子。人生で初めての感覚、その喜び、それはよく理解できた。

自分からどんどん離れ、遠くまで自転車で走っていく息子の後姿を見ながら、「ああこうやって、成長し、やがて親から離れていく息子の姿を、幾度も見るのだろうな」なんて感傷的なことを思う。

息子は私が結婚して9年、もう子どものいない人生なのだろうなあと思った矢先にふと授かった子だ。親になることは損なことだらけなのだけれど、親になれてよかった。声を大にして言いたい。

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GR Digital(GW中のひらかたぱーくにて。息子は写真を撮るぞといってカメラを向けるととたんにこんな顔をしてしまう。)



コマなし

ここ何日か息子の自転車の練習に付き合っている。何でも早く「コマなし」に乗りたいらしい。自転車を乗り回して一緒に遊ぶ友達も近所にいないし、そんなに自転車に乗った合計時間はそう長くないので、「コマなし」は少し早いかなと思ったが、息子が切望するので、私のバイク用の工具を引っ張り出し、コマを外してやった。

息子の父親は子供に勉強を教えるのを生業としている。どうやればもうすぐ6歳の息子に手っ取り早く「自転車の乗り方」を教えられるか。目の前の課題に、父親はあれこれと考え出した。それはプロとしてのプライドでもあり、父親の出番であるという思いでもある。

勉強でもスポーツでも、あるいはダンスなどでも、子供に何かを身につけさせるときにはステップを「細分化」するのがセオリーだ。やってみせ、いきなりやってみろではハードルが高くなってしまう。ハードルの手前に補助の階段を置くことによって習得は楽になる。何をどう細分化するかが指導者(プロ)の腕の見せどころである。

自転車の練習をさせると分かるが、自転車に乗れない子は「乗れない」だけでなく、取り回しが随分と怪しい。自転車を押しているときに自転車と一緒に転ぶことも少なくない。
そこで、私がステップの第一段に据えたのは「コマのない自転車の取り回し」である。

案の定、息子は最初、コマを外せば自転車は支えないと倒れてしまうということが分からない。正確に言えば、頭では分かっているが、感覚としてつかめていないので、自転車の取り回しのところから難儀をしていた。「うわあ」とか「しまった」とか言いながら自転車と一緒に格闘している。仮面ライダーかなんかの影響だろうか、「しまった」というシリアスなセリフが何とも可笑しい。

コマつきの自転車とコマなしの自転車では取り回しの仕方やハンドルさばきが異なる。何せコマなしの自転車は自立ができない。この当たり前のことをしっかり教えなければならない。(教えるのではなく、体感として叩き込まねばならない)それをまずは取り回しをさせることによってまずは身につけさせることにした。「細分化」の第一段階である。

私は早朝(私の早朝は朝8時半ごろだ)で誰もいない7号公園に行き、地面に大きな8の字を書いた。この線に沿って自転車を押して歩くように言った。子供の集中力の持続時間を考慮しながら、これを何度も繰り返させた。

「8の字」が終わると、次のステップは「足けり」である。「8の字」を完璧にしてから、次のステップでは子供は飽きてしまうので、できていてもいなくても飽きる手前で次のステップに移る。技術の習得は「うす塗りの重ね塗り」がよい。完璧主義では(子供は)辛い。

「足けり」とはペダルを踏まずに足で地面を蹴って自転車を走らせる練習である。「足けり」は私が勝手に今名づけた。足で地面を蹴るとペダルが邪魔になるので、一瞬ペダルを外そうかとも考えたのであるが、面倒くさいのでやめた。我が子のことになると少しいいかげんになる(笑)

足で地面を蹴るたびに息子の体が左右にぶれるため、自転車がふらつく。小学生くらいなら、体を揺らさないようにしなさい、とか、体を真ん中においておきなさい、なんて指示が出せるが、5歳児には難しい。四苦八苦して、結局、「足だけ動かせ」という指示と、動きをやってみせることによって何とか形になった。(5歳児の指導は私の専門外だ)

(長くなったので分けて書きます。)









いっしゅんでこんなになかよし

昨日は家内がOGとして参加することになっている高校の吹奏楽部の練習があり、例によって私の車にコントラバスを積み込み、大阪まで出かけていった。彼女が練習している間、私は息子のお守り。

昼食を済ませた後、前回も行った公園で息子を遊ばせる。(ワンパターンだ)私はGR Digitalで息子の様子を何となく写真に撮っていた。最初息子は一人で楽しそうに遊んでいたが、一人の男の子と目が合う。年は同じくらいの子で、二人はシンクロしたように歩み寄って一緒に遊びだした。

自己紹介もない。挨拶もない。でも一瞬にして二人はどこからどう見ても、ずっと前から大の仲よしといった感じになった。

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GR Digital(一緒に遊びだして5分後くらい)

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GR Digital

子供と接する時間の長い家内ならそんな光景は別に珍しくも何ともないのだろう。でも家の近所には子供があまりいないので、私は息子が友達と仲良く遊んでいるところをあまり見たことがない。だから私はにはとても新鮮な光景。

もちろん、生徒同士があっという間に仲良くなる姿を日頃から見ている私であるが、彼らはあっという間どころか、前世からの絆があったかのごとくに仲良くなってしまった。幼い子供のピュアさというか、真直ぐさにちょっと涙がにじみそうになった。

午後3時になり、大の仲良しになった「おともだち」は帰らなければならなくなった。お母さんの姿がなかったのだが、お母さんは日焼けをしたくなかったらしく、ずっと日陰におられたみたいで、子供のところへやってきて帰ろうと告げた。

彼はもっと遊びたいと少し不機嫌そうになったが、それほどぐずることなく、息子にバイバイといって帰っていった。息子はとても楽しかったらしく、ずっと機嫌がよかった。私もまた楽しくて上機嫌。

GR Digitalに収めた二人の写真にとてもいいのがある。素敵な写真だ。ここには載せられないけれど私の宝物だ。嫁さん孝行をしたごほうびをもらったような気になった一日だった。








春の散歩

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RICOH R8

春休みのとある朝、寝巻きのままで朝の散歩で桜を楽しむ息子。

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R8

腰にはライダーベルト。

内なる成長

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GR DIGITAL

家内に言わせると、最近息子は少し反抗期。あれこれ手を出されるのをとても嫌がる。何かを押し付けられるのも嫌がるし、とにかく自分のやりたい方法を通そうとする。洋服も自分で選ぶ。こちらから薦めたものは絶対に受け入れない。

これも「成長」。



息子の相棒

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GR Digital

我が家の犬。名前はロビン。私は猫派だが、ロビンだけは別。可愛くてしょうがない。散歩させていると、「この犬、何犬ですか?」とよく尋ねられる。

チワワとヨークシャテリアとのミックスらしい。

子犬の頃、家内の実家で猫と一緒に育っていたので、食後に顔を洗う。おまけに後ろ足をガジガジかじりながら歯磨きまでしている。