「長所伸長法」、しかしながら

先のブログで「長所伸長法」のことを書いた。

私は人間というもの、短所を是正するより、長所を伸ばすことを意識した方が成長は早いと考えている。自分自身のことを考えてみても、短所を是正するより、長所を伸ばすことを考えた方がやる気になれるし、エネルギーが沸いてくる。自分がそうなのだから、他人もそうだろうというのは少し短絡的かもしれないが、大人である自分自身でさえ、そうなのだから、子どもである生徒はなおさらだろうと思う。

ただし誤解のないように申し添えておくと、短所に関しては「それを一切見ない」のではない。成長していくために取り組むべきは「長所」でなければならないと考えているということである。つまり、成長の「きっかけ」として「長所を伸ばす」ことに集中させるのだ。

オジさんが、ゴルフでたまたま出したよいスコアを自分のアベレージの実力であると思いたいように、子どもだって得意科目の成績を自分の全教科の「実力」だと思いたい。心に火が灯っていると、得意な科目の実力に苦手科目を近づけたいと思い始めるものである。

(指導者はできるだけ早くにそうなるように仕向けてやることも必要だろう)

また得意科目があると「自信」につながりやすい。「この教科だけは負けていない」と思えることが、子どもの精神をどれだけ安定させるかを考えると、ぜひ得意科目は作っておきたい。短所を伸ばすためにどれだけ苦労しても「心の支え」があるのとないのとではまったく違ってくるのである。

このように「長所伸長法」が大切だと思っている私であるが、実は唯一絶対に見逃さず、しつこく言い続け、改善を要求する「短所」がある。

それは「躾が身についていないこと」と「マナーの悪いこと」に対してである。

(つづく)

長所伸長法

船井幸雄氏曰く、人を伸ばすには『長所伸長法』に限るのだそうだ。「長所伸長法」とは成長するために、欠点を直すのではなく、長所を伸ばすこと(だけ)を心がける「自己啓発法」あるいは「指導法」のことである。

この「長所伸長法」はとてもよく理解できる。長年、生徒を教えていて実感することだが、「伸びる子」が成績を上げるきっかけは「苦手科目の克服」ではなく、「得意科目の向上」がほとんどである。

「君は数学が苦手だね。この数学さえよければもっと全体の成績が上がるんだから得意な英語もだけれど、とにかく数学を頑張りなさい。数学にかける時間を増やして毎日コツコツと頑張ろう。」

懇談などでこのようなことを言っても、正直効果は低い。これを話していて生徒がやる気になる顔をすることはめったにないし、懇談の後も、話しているこっちが何か腑に落ちないのである。

「君はねえ、英語が得意だね。英語だけなら、偏差値が65もあるんだよ。難関校に進学する子にまったく負けてないよ。この英語をね、もっともっと勉強してね、絶対にこれだけは負けないっていう自信にしてしまおうね」

こちらの方がずっと生徒は明るい顔をする。そして以前に比べてなお真面目に勉強する子が増える。よく考えてみれば、やる気の「火」がくすぶっている子が「弱点科目」の話をされて、燃え上がるということはまずないだろう。火のつきやすいところにまず点火をするのが正しいあり方だと思う。

船井氏は長所が伸びれば、短所は自然と気にならなくなってくるというが、これもある部分は納得がいく。

たとえば、得意科目が伸びてくると、多くの子が全体の成績をもっと伸ばそうとし出すものだ。せっかく英語ができるのに、数学が悪いせいで全体の成績が低くなっていることに納得がいかなくなってくるのである。一旦勉強の「火」がついているので、苦手科目の勉強にも入っていきやすい。

やらないことには苦手科目の成績を上げることはできないが、成績表を見て、「苦手科目をもっと勉強しなさい」というのは誰にでもできることだ。指導者としてはその子の様子を見て、心に火をつけることができる「技」が欲しい。

私は魔法使いのように鮮やかな技をそういつも繰り出せるわけではないが、子どもを動かす一番効果的な方法だと思っているのはやはり「長所伸長法」だ。4歳の息子から18歳の高3生まで一貫して効果的だと思う。

というより、「短所改善」にばかり目を向けさせると、やる気の「火」がどんどん小さくなってしまうことが多いので、そればっかりいうのは避けるようにしていると言った方が正確かもしれない。たとえ受験直前でもできるかぎり短所ばかりの話は避けるようにしているのである。



こどものきもち

私が小学校の1年だったか、2年だったかのことである。学校で何かの拍子に鉛筆を親指に斜めに突き刺してしまった。指を見ると、刺さったところが鉛筆の芯で真っ黒になっていた。じっとながめてみたが、指に芯が残っているのか、黒いのがただ単に跡だけなのかが判断できない。

次の授業はたしか体育だったのであるが、私は授業を受けずに、慌てて一人で保健室に飛び込み、保健の先生に治療をしてもらった。何故私が慌てていたかというと、鉛筆の芯がもし残っていて、これが体内に入って血管の中を流れていくと、心臓に刺さって死んでしまうと思ったからである。

もちろん幼稚な話であるが、何かでそういうことを聞きかじってそんな風に思ってしまったのであろう。とにかく怖くて、そして必死だった。保健の先生に大丈夫と言ってもらってずいぶんホッとしたのを覚えている。

家へ帰って母親が大層怒った。そんなつまらないことで体育の授業を休むとは何事かというわけである。担任が連絡をしたのだろうか、それとも自分で言ったのだろうか。その辺は記憶にない。私の指を確かめた母親はさらに怒った。「あんた、そんな怪我で授業休んだんか!!」それはそうだろう。ほんのちょいっと鉛筆の芯が皮膚と皮の間に刺さって黒くなっているだけで、血もろくすっぽ出ていないのである。

でも私にとっては大事だったのである。授業を休んで保健室へ行ったのは、生きるか死ぬかの瀬戸際での判断であった。それをうまく母親に説明できなくてとてもとても悲しかった。

言うまでもなく、子どもの判断力や思考パターンは大人とまったく違う。親や教師は「大人の判断力や思考パターン」を身につけさせるために教育をしているのだから、子どものそれを全て受け入れってしまってはいけない。間違っていること、あるいは未熟であることを教え、「修正」をしてやる必要がある。

しかし、でき得るならば、その未熟な子どもの判断の源や、感情の重さを理解できる大人でありたい。魔法使いや超能力なんて誰も持っていないので、100%は無理であっても、「できるだけ」汲み取ってあげられる大人でありたい。

ただ、私は、人をまったく傷つけることなしに教育ができるなどとも思っていない。だから子どもの気持ちを汲み取った上で、厳しいことをしっかり言える先生でありたいと思う。

部活動選びは大切

以下は以前楽天で書いたものを少しリライトしたものを載せたHPからの転載です(ややこしくてすみません。)部活動というのは親が思う以上に子どもの生活を左右します。じっくり選んでいただくのがよいと思います。

中学生ならば勉強だけでなく、「部活動」も頑張って欲しい。私自身も中学時代、柔道を熱心にやっていて、「全国大会」に出場したりもした。中学時代の思い出の半分以上は「部活動」にまつわるものだ。

夏休みは二部練習があった。一部が午前9時〜12時、二部が午後2時〜4時半くらいだったと思う。夏は合宿もやっていた。当時独身の顧問の先生の一人暮らしの家に泊まり込んでの合宿だった。むさ苦しいことこの上ない。でも楽しかった。

冬は寒稽古があった。午前5時32分の国鉄の電車に乗っていった。出かけるときは真っ暗で、学校に着く頃ようやく日が昇るといったくらいである。本当に寒かった。極寒の中、素足でいきなり柔道をやるとケガをするので、寒稽古は寝技から始めるのである。今同じことやったら私はきっと命を縮める(笑)

そんなに時間を取られても、練習が厳しくても、素晴らしい思い出で埋め尽くされている。当時の監督の先生にはいくら感謝してもしきれない。

さて、このように部活動によい思い出があり、中学生にはぜひやってほしいと思う私であるが、部活動ならば何でもよいと思っているわけではない。よい部を選んで入ってほしいと思っている。

私が「よい部」と思っている基準はたった一つだ。

それは「責任者の先生の力量が高いこと」である。

私は部活に関して、結果至上主義者ではない。だから部活動は強くなければならないとは思っていないが、生徒をあまりに長く拘束して練習させておいて、市中体の万年一回戦負けというのはあんまりだ。先生は張り切っているが弱いのである。そんな部に入っている教え子が結構いた。

長く練習させ、しごくのであれば勝たせてやれよと思ってしまう。塾であれだけ時間を拘束していて成績がまったく上がらなければ、そんな塾は絶対潰れるだろう。そんな部に入っている子は気の毒だと思う。きっと自らの才能がないと思っていることだろう。そんな部はやめておいた方がよいと思う。

また、先生の力量が低いと、部がまとまっていないので、部の中でいじめや派閥が生まれやすい。ひどいときは先生と部員が反目し合っていたりもする。うまくいってない部活動の人間関係は中学生とって恐ろしいほどのストレスとなっている。中学生の成績急降下の原因の主要なものの一つは「部活の人間関係」なのだ。

「部活より塾を優先させるようなヤツは試合には絶対出さない」なんていう先生も力量が低いと言えるだろう。人にはそれぞれ事情があるのだ。確かに塾を言い訳に部活をサボるヤツもいるだろう。

だが親に期待され、難関校に行きたいと本気で思っている子だって、試合には出たいのである。もちろんできる範囲で懸命に練習をやっているのである。そういう子の気持ちも考えないで、そのようなことを言い放つ先生は力量が低いと言っていい。

このように、所属する部が、強くても弱くても、うまくても下手でもいいのだが、まとめている先生の力量が低い部には入らない方がよいというのが私の考えである。

新しく中学生になる子を持つ親御さんは、子どもの部活選びに慎重になってあげてほしい。子どもがやりたい部活をやらせるというのが基本だが、評判の悪い「部」というのはある。

仮入部の期間を設ける学校も多いし、部活動保護者会なんていうのを4月、5月に行う学校も多いのでよくウォッチしてあげてほしい。子どもは興奮しているので冷静ではない場合もある。親の目でも確認しておくことが大切である。


新学期『教室の教育力』を創る

2月から新学年としての授業を進めている。特に新しい生徒を多く受け入れたいわゆる「入口学年」の指導はとても気を使った。教室の「秩序」は最初に創られるべきだからである。

「教室の教育力」の発動というのは私の指導のテーマの支柱の一つであり、我が塾の最も大切な教育目標でもある。互いに頑張りあえる空間を創ることは「分かりやすい授業」よりも「よいテキスト」よりも大切であると思っている。

我が塾に入塾してきた子が口を揃えていうことは「皆が真面目に授業を聴いている、皆が真面目に勉強している」である。それを目の当たりにした新入塾生は「ここはそうしなければならない場所なのだ」と思い、大抵の子はそのように行動するようになる。余計な説教や指導は必要ない。時折そういう空気に気づかない子もいるが、そういうときはほんの少しこちらがわからせるように持っていく。ここでの「見逃し」は絶対にしてはならない。

途中入塾の生徒の多い学年はそのように「出来上がった空間」に生徒が入っていくので、やりやすいのであるが、小5や中1のような「入口学年」では、一からそういう空間を創り上げなければならない。この後がうまくいくかいかないかはスタート時でほぼ決まる。一年にかけるエネルギーの半分くらいを注ぎ込んで(注ぎ込むつもりで?)授業を行う。

幸いに中1はほとんど苦労せずにそういう「空気」が出来上がった。この学年は凄いと思う。皆とても真面目だ。今これを書いているのは午後6時だが、授業の一時間前にして、もう教室に入って勉強している子が何人もいる。これからがとても楽しみな学年である。

小5もいい感じだが、まだまだ幼いので、こちらの指導次第でよくも悪くもなってしまう。注意が必要だ。

教室をよい空間にするための第一歩は「ルールを生徒達に明確に伝え、理解させること」である。特に厳しい指導をしている塾であれば、これは絶対にはずせないと思う。してよいこと、してはいけないこと、あるいはこうあるべきこと、あってはならないことが生徒に伝わってないと生徒は混乱をするからだ。混乱をすると落ち着いてその空間にいることができない。厳しくても居心地のいい空間は創ることができる。もちろんそういう空間を作りたい。くどいくらい生徒達に同じ話をすることになっても徹底させたいと思う。

であるから、我が塾のスタートは比較的ゆっくりなのである。






『守・破・離』

「個性の教育」などという。誠に結構であるが、「個性」を身につけさせたいから、子どもに「自由」にさせるというのはどうにも短絡的であると思う。

実のところ、どうやって子どもを個性的に育てるのかというメソッドなどは確立されていいないのが実情でで、巷に溢れる「個性の教育」論はほとんどが思いつきの意見なのである。思いつきの意見であるから、無責任で、千差万別である。それを真面目に聞いた親が子育てに迷う。これは悲劇である。

「好きにやっていいのよ」

「やりたいようにやりなさい」


こんなもので子どもは個性的に育つことはない。強烈に「我侭」になるか、何もできずに固まってしまうのがオチではないか。先に私は確立された個性を伸ばすメソッドなどは存在しないと書いたが、それは「現代教育」の話で、実は「個性を伸ばす教育」は存在する。しかも磨きぬかれた実証済みのメソッドである。「個性を伸ばす教育」、それは「芸事」、特に「伝統芸能」の世界に存在していたのである。

昔の人々は弟子にどうやって個性を身につけさせていたのか。

それは『守・破・離』という言葉に凝縮される。『守・破・離』こそが、芸事の修行の鉄則という。これが先人の方法であった。

『守』とは師匠の教えを守ること。自分自身を一度捨て、何から何まで師匠の言われた通りにすること。師匠の技を真似ること。師匠のクセまでも真似なければならない。

『破』とは基本を身につけた後、師匠の教えを破り、自分の技を模索すること。

『離』とは師匠から離れ、自分自身の技を確立すること。

何と「個性の確立」の第一歩は「個性を捨てること」にあるという。このやり方で、落語も、三味線も、歌舞伎も、弟子を育ててきた。数百年の時をくぐり抜けてきた実践である。「個性の教育」の薄っぺらい提言などとは比べものにならない確かさがある。

考えてみると「個性」には核が必要だ。その「核」とは、人間として大切な常識であったり、マナーであったり、正義であったり、美学だ。これが『守』であろう。これはたたき込まなければならない。「あなたの好きにしていいのよ」はない。

この『守』の甘さが今の教育の歪みを生んでいるのは恐らく間違いない。

拠り所を持たぬ「核」の無い子ども達が「個性」を持つことを強要され、どうしていいか分からなくなったあげくに何とかしようと思えば、行き着くところは「外見」でしかない。

もう5年ほど前のことになろうか、私が大阪のアメリカ村を歩いていたときのことである。

通称アメ村は若者達の街だ。様々なファッションの若者が我が者顔で歩いている。

狭い歩道を歩いていると、向こうから一組のカップルが歩いてくる。高校生くらいか。凄まじい格好だ。男がチェックのスカートをはいていて、髪はツンツン、化粧をしていた。女は全身黒ずくめで唇が紫色だ。二人とも表情がなく、不気味だ。

近づくと二人の口から何かが出ている。よく見ると、二人の唇のピアスに電話のコードのような、あのくるくるとした細いヒモがついていたのである。

二人めいめいにではない。なんと一本のピンクのヒモで二人はつながっていたのである。

狭い歩道は3人が並ぶほどの幅はない。よけなければならない。私が端へ避けようとしたその瞬間、二人は道の両側へ避けた。片側にではない。両側へである。

両側へよけたそのカップルの間にはぴよーんと伸びたピンクのヒモが揺れていた…

お、俺はこのヒモをくぐるのか、と呆然としたその瞬間、さすがにカップルは片方へよけてくれた。

この若者達をこんなふうにしたのは誰か。それは「人は個性的であらねばならない」と教育しておきながら、「核」をたたき込まなかった現代教育に他ならない。

「個性なんかいらんいらん、人間として大切なことをしっかり学んだらそれでええんや」

それくらいのことを言って、若者を抑圧(?)する中から生まれてきたものこそが「個性」であろう。「ロック」も抑圧された若者の心の中から生まれたのである。「好きにしていいのよ」と言われてしまってはロックも形無しだ。

「守」で耐え抜き、ときに「抑圧」され、内に秘めた「エネルギー」が「破」という段階で解き放たれる。地中で幾年も過ごした「サナギ」が「蝶」になり羽ばたく。そんな中で、様々な人の影響を受け、「自分自身」が創り上げられていく。その「ブレンド具合」こそが、その人の「個性」なのではあるまいか。

小学生や中学生を教えるとき、自分自身のなすべきことの大部分が「守」の部分であると私は考えている。

(楽天ブログから転載。大幅加筆訂正)


人は苦しみの中からしか学べない

私は、「人生は思い通りにいかないことが多い」ということを、子どもに伝えることを自分の教育の大きな柱の一つにしている。

世の中に出て行くと、あるいはモラトリアムの学生生活の中でさえも、人生は自分の思う通りにはいかない。人生は生易しいものではなく、とても「苦い」ものであるということを、生徒達の成長のレベルに合わせ、ゆっくりと伝えていきたいと思っている。それを知った上で、人生というものを考え、よりよき人生を送ってもらいたいと思っている。

もう10年以上、私が歴代の教え子達に伝えている言葉がある。

「人は苦しみの中からしか学べない」

苦しいときこそ、自分が成長しているのだと思うと、その苦しみを乗り越えられそうな気がする。「苦しみ」が「必然」のものだと思えてくる。この言葉は、私の人生の中で、私自身をずっと支えてくれた言葉だ。

私は、毎年、受験が近づいた生徒達に、この言葉を必ず伝える。自分が自分の人生の中でつかみ取った大切なものの考え方、あるいは先人の考え方などこそを生徒達に伝えていくことこそが「教育」なのではないかと考えることが多くなった。そういう部分が現代の教育に欠けている部分ではないのだろうかとふと思ったりもする。

受験が終わると、先生のあの言葉が自分の支えになりましたと、多くの生徒が言ってくれる。10年前の教え子が便りをくれ、この言葉に触れてくれることもある。自分が大切にしている分、この言葉には「力」が宿っているのだと思う。





もう7年前のことになる。M君という生徒がいた。礼儀正しい子だった。塾ではおとなしくて、時に頼りないところもあったが、受験が近づくにつれ、どんどんしっかりした顔つきに変わっていった。

彼は高田高校という学校を受験した。進路指導の段階で、合格間違いなしと、私は太鼓判を押した。内申点もばっちり。事前の模試の成績でも塾内で高田高校を受験する生徒の中で一番だった。絶対に落ちるはずのない成績だった。

しかし、合格発表の当日、合格者の番号を示す掲示板には彼の番号はなかったのである。彼は不合格だった。連絡を発表を見に行った先生から受けて、呆然とした。何かの間違いだと思った。

彼は私立併願、いわゆる「滑り止め」に清風高校という高校を受験していた。通常は畝傍高校や奈良高校を受験する子が併願にする学校である。併願私学の方が難易度が高いといっていいくらいだ。そういうところを合格していたのである。実力がないわけではないことはこのことが証明している。

非情なことだが、奈良県公立高校合格発表の日の午後、清風高校は入学受付を締め切る。つまり不合格だった子は、その足で清風高校へ行って手続きを本人がしなければならない。

親御さんに連絡をすると、M君の行方が分からなくなって、今探しているところだとのこと。友達も彼を見失ってしまったと言っているという。

私は焦りに焦った。眩暈がした。夕方の4時までに手続きをしないとMは高校に行けない。

あらゆるところに連絡して、彼の居場所を探したあげくに、私は意を決して清風高校へ連絡をした。事情を話し、ルールを曲げてでも彼の入学を認めてもらおうとしたのである。若い先生に電車の時間を調べさせた。清風高校まで行かなければならないだろうと思ったからだ。

電話で清風高校に電話をすると、なんとMは清風高校にいた。電話に出た清風の先生が調べてくださった。今Mは説明会に出席しているという。彼は自分で、一人で誰にも言わず、電車に乗り、大阪の清風高校まで行ったのだ。

安心すると同時に、彼の気持ちを考えるととても辛かった。

皆にそれを報告して、時間が経つのを待った。こういう日も授業がある。塾稼業は辛い。

夕方授業前、職員室のドアが開いた。Mが立っていた。彼の姿を見て、職員室中の音が消えた。

「おい、M!よく清風まで行ったな。えらかったぞ。」そう声をかけると、彼は私の顔を見るなり、

「先生が、人は苦しみの中からしか学べない、と言ったその意味が、今日僕は分かりました。」

とそれだけの言葉を振り絞るように言って、ぼろぼろと涙をこぼした。

私も泣いた。愛する教え子を不合格にした不甲斐なさと、この場面でこの言葉が吐ける我が教え子の素晴らしさに泣いた。

ゆっくりと話を聞くと、掲示を見て、とにかく清風高校へ行かなきゃと思い、気がつくと電車に乗っていたという。

清風高校で先生のお話を聞いているうちに我に返ったのだという。そして清風高校の先生のお話がとても素晴らしく、やる気が再び湧いてきたのだという。

私は清風高校の先生に心の中で深く頭を下げた。第一志望の学校を不合格になった子ばかりを集めて話をし、やる気にさせるというお話をされた先生の力量は尋常ではない。私はこのこと以来、清風高校に深く敬意を払っている。

合格させるのが私たちの仕事だ。しかしそれだけが私たちの仕事というのではけっしてないと思いながら毎日生徒の前に立っている。